思い邪なし

思い邪なし15 祖父七郎と父畩市(一)

北康利 / 作家

第一章 勝ちに見放されたガキ大将

祖父七郎と父畩市(一)

 稲盛和夫は昭和七年(一九三二年)一月二十一日、鹿児島市薬師町(現城西一丁目)に、父畩市(けさいち)、母キミの次男として生まれた。

 鹿児島市の人口は近隣町村との合併もあって現在約六十万人だが、和夫の幼い頃は十八万人ほど。薬師町周辺にも、のどかな田園風景が広がっていた。

 彼の生まれた昭和七年は、軍部の力が急速に伸長していた時期にあたり、満州国が建国され、血盟団事件や五・一五事件が起きるなど、世情騒然としていた。

 だが物資不足などなく暗い雰囲気はない。むしろ日清・日露の二度の対外戦争に勝利し、世界の一流国への道を駆け上っていく高揚感に包まれていた。このわずか十数年後、空襲に逃げ惑ったり、若者が命を散らす特攻隊が飛び立つ事態になろうとは、誰も想像すらしていなかった。

現在の甲突川
現在の甲突川

 鹿児島は維新の英傑を輩出したことで知られる。気候も風景も、自然と大志を抱きたくなるような男性的な土地柄だ。

 南国特有の日差しが強く雨量も多い。そのため見上げるような楠(くすのき)の大木がそこかしこにあり、中でも蒲生(かもう)町(現姶良<あいら>市)の大クスは日本最大の巨樹とされる。

 鹿児島市内のほとんどの場所から、錦江湾の向こうに黒煙を吐く桜島が遠望できる。

--わが胸の燃ゆる思いにくらぶれば煙はうすし桜島山

 西郷隆盛の盟友であった幕末の志士・平野国臣は、この地を訪れた感動をそう歌に詠んでいる。

 胸の内なる“燃ゆる思い”を連想させる何かが、この山には秘められているのだろう。

 一方で桜島は、この地に暮らす人々に試練を与えた。

 鹿児島はどちらかと言えば米作りに適さない。台風の通り道である上、火山灰で形成されたシラス台地は水はけが良すぎ、少し雨が降ると崩落する。肥沃(ひよく)さとは無縁な土地であった。

 そんな厳しい風土が、薩摩隼人の強靱(きょうじん)な精神力を育てたとも言えるだろう。そして同時に稲盛和夫の人格形成に、この気候風土、そして歴史が影響したのは間違いあるまい。

 稲盛の生まれた薬師町は、江戸時代には薬師馬場町と呼ばれる薩摩藩の城下町で、薬師の名はここにあった薩摩藩別邸の薬草園に由来する。

 西郷の腹心で、彼が将来を嘱望していた村田新八は薬師町の出身だ。藩の剣道指南役であった小示現(こじげん)流の伊集院鴨居も薬師町に道場を開いていた。

 この道場に四キロの道を歩いて吉野村から通っていたのが、もう一人の西郷の側近で、幕末には“人斬り半次郎”と呼ばれて恐れられた桐野利秋である。

 薬師町には甲突(こうつき)川が流れており、稲盛家は川から一つ通りを入ったところにあった。

 <京セラを創業した稲盛和夫名誉会長の半生記「思い邪(よこしま)なし」を、作家の北康利さんの執筆でお届けします。毎日新聞経済面との連動企画です。次回「思い邪なし16 祖父七郎と父畩市(二)」>

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北康利

北康利

作家

1960年生まれ。東大法学部卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長などを経て、2008年みずほ証券を退職し、本格的に作家活動に入る。著書に「白洲次郎 占領を背負った男」、「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」など。

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