思い邪なし

思い邪なし59 松風工業入社(三)

北康利 / 作家

第二章 京セラ設立

松風工業入社(三)

 入社後も川上とは、稲盛が大阪に行ったり向こうが京都に来たりしながら、三カ月ごとくらいに会っていた。

 「お前なぁ、しょうもないヤツがおるんや」

 川上はそんな稲盛の愚痴をよく聞いたという。川上は川上で、入社してすぐ耕耘機(こううんき)の耐久試験をやらされ、毎日、朝八時から五時頃まで田んぼを掘り起こしていたから負けじと愚痴がこぼれでた。

 それにしても松風工業の社内事情は想像以上だった。稲盛は入社当初、給料というものは月に四回に分けて貰(もら)うものだと思っていたという。給料の遅配や分配が常態となっていたのである。

 経営が思わしくないから自分のような地方大学の出身者まで採用したのだと気づいたときには遅かった。この会社に入るために先生に無理を言って必死に無機化学の勉強をしてきたことや、家族や友人たちの盛大な見送りを受けて鹿児島をあとにしたことを思い、悄然(しょうぜん)とした。

松風工業の全景
松風工業の全景

 五人いた大卒の同期も、一人辞め、二人辞め、半年も経(た)たないその年の秋には、京大を出た天草出身の男と二人きりになってしまった。

 「おれたちも辞めてやり直そう」

 二人で相談して自衛隊に願書を出した。伊丹の駐屯地で試験を受け、二人とも合格したところまではよかったが、入隊に必要な戸籍抄本を送るよう鹿児島の実家に依頼したところ、待てど暮らせど届かない。今のように電話で尋ねることもできないまま、期日がすぎてしまった。

 もやもやした気持ちのまま、なけなしの金をはたいて自衛隊に入るその同期のために送別会をしてやったというから人がいい。そのあとに彼一人が取り残された。

 後でわかったのだが、利則が、

 「竹下先生からのご紹介でようやく入れてもらった会社なのに、半年もしないうちに辞めるとは何事か!」

 と戸籍抄本を送ることに反対したらしかった。

 「いくらボロ会社でも、若いお前よりは立派なはずや。しっかりやれ!」

 そう言って怒っているということも伝わってきた。

 彼は退路を断たれたのだ。

 (気持ちを切り替え、目の前にある研究開発に全力を傾けてみよう)

 そう腹をくくった。

 稲盛が取り組んだフォルステライト材料の合成という研究課題には、松下電子工業という松下電器産業(現在のパナソニック)の子会社が大きく関係していた。

 松下電器は言わずとしれた「経営の神様」松下幸之助の創立した家電メーカーである。この頃の稲盛にとって松下は伝説の人であり、近づくこともできない存在だ。だが、同じ関西の起業家として、やがて目に見えない太いきずなで結ばれていくことになる。

 <京セラを創業した稲盛和夫名誉会長の半生記「思い邪(よこしま)なし」を、作家の北康利さんの執筆でお届けします。毎日新聞経済面との連動企画です。次回「思い邪なし60 フォルステライト合成成功(一)」>

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北康利

北康利

作家

1960年生まれ。東大法学部卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長などを経て、2008年みずほ証券を退職し、本格的に作家活動に入る。著書に「白洲次郎 占領を背負った男」、「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」など。

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