思い邪なし

思い邪なし72 一回目の辞職願(三)

北康利 / 作家

第二章 京セラ設立

一回目の辞職願(三)

 内野先生の言葉に目が覚めた稲盛は、パキスタン行きをきっぱりとあきらめた。

 だがパキスタンへの電気炉輸出は松風工業にとって大事な商談だ。誰かが現地に行って試運転したり操作の指導をしないといけない。代わりに白羽の矢が立ったのが元部長の青山政次だった。彼は松風工業の再建に入っていた銀行出身役員からリストラ対象と目され、社長室付という閑職に追いやられていた。

 「稲盛君に今抜けられたら困るが、君はどうせ暇だろう」

 経営陣からあからさまに軽んじられ、そろそろ辞め時だと思い始めた。

 このことは後の京セラ創立の際、青山の不退転の決意となって稲盛の背中を押すこととなる。

 相変わらず稲盛は、川上満洲夫とは京都と大阪を行ったり来たりしながら交友を続けていたが、高校時代の恩師である辛島先生も鹿児島から二、三度京都に遊びに来てくれ、ある年の夏など、先斗町で川床料理を先生にご馳走(ちそう)してあげた。

京都・先斗町=1953年
京都・先斗町=1953年

 「給料も安かったのに、よく頑張って招待したなと思いますね」

 稲盛は、そう遠い目をして語ったが、まがりなりにも研究者としてやりがいのある仕事ができるようになったのも、彼を大学に行かせるべきだと畩市(けさいち)を口説いてくれた辛島先生のおかげだ。深い感謝の気持ちを抱いていた。

 昭和三十三年(一九五八年)五月十日付の両親宛ての手紙によれば、

 「君にはフィロソフィがある」

 と言ってくれた例の第一物産の吉田が、上京しないかと言ってきたという。

 だが稲盛にはそんな金も暇もない。そのまま日が経(た)つうち、しびれを切らせた吉田のほうが再び会社を訪れ、稲盛に面会を求めてきた。

 そして別れ際、

 「私がいますから頑張って下さい」

 という心強い言葉をもらった。

 これからも吉田のような立派な方とつきあっていかねばならない。見苦しい格好ではいけないと考え、スーツを新調した。十カ月の月賦払いである。多少生活は厳しくなるだろうが、七月に定期昇給があるのでそれまでの辛抱だと割り切った。

 給料は同年代で“ダントツ”だが、他社対比で高いわけではない。そもそも同期の大卒は皆辞めているのだ。そこで会社は考えた。この年の九月、稲盛を製造部技術第二課長に昇格させたのだ。実態はこれまでの特磁課主任と変わらないが、“第二課長”という名前だけの課長職を作り出して抜擢(ばってき)したのだ。稲盛はまだ二十六歳の若さであった。

 「いっそほかの仕事はやめにして、稲盛の特磁課だけにしたほうがいいんじゃないか」

 会社の幹部の中には稲盛にごまをするように、そんな言葉を口にする者もいた。正直悪い気はしなかった。

 <京セラを創業した稲盛和夫名誉会長の半生記「思い邪(よこしま)なし」を、作家の北康利さんの執筆でお届けします。毎日新聞経済面との連動企画です。次回「思い邪なし73 結婚を決意する(一)」>

経済プレミア最新記事へ

「思い邪なし」連載ページへ

北康利

北康利

作家

1960年生まれ。東大法学部卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長などを経て、2008年みずほ証券を退職し、本格的に作家活動に入る。著書に「白洲次郎 占領を背負った男」、「吉田茂 ポピュリズムに背を向けて」など。

イチ押しコラム

知ってトクするモバイルライフ
手のひらにしっかり収まる「アクオスR2コンパクト」。発売は1月

日本人の好みに応えたシャープ・アクオス小型スマホ

 シャープが、小型スマホの「アクオスR2コンパクト」を開発。ソフトバンクから2019年1月に発売されるほか、SIMフリーモデルとし…

ニッポン金融ウラの裏

NISAに最初の「5年満期」更新しないと非課税消滅

 少額投資非課税制度(NISA)が初めての期間満了を迎える。一定の手続きによって、さらに5年間の非課税期間延長となるが、いま、証券…

藻谷浩介の世界「来た・見た・考えた」
地下化されたワルシャワ中央駅上の広場。スターリン建築と民主化後のビルが林立する(写真は筆者撮影)

西に移動させられた国ポーランド 首都ワルシャワの今

 ◇ポーランド・ワルシャワ編(1) 36年前、高校の文化祭のディベートで、「史上最大の英雄は誰か」というお題に、「ポーランドで共産…

メディア万華鏡
週刊文春11月1日号

メディア騒がすドタキャン沢田研二の「格好いい老後」

 騒ぎ過ぎじゃないか。取り上げ方の息もなんだか長い。ジュリーこと沢田研二さん(70)が、10月17日にさいたまスーパーアリーナで予…

職場のトラブルどう防ぐ?

「部下の夫から連日クレーム」42歳女性上司の困惑

 A美さん(42)は、夫が院長を務めるクリニックの事務長を務めています。2カ月前から経理担当として働いているB子さん(33)の夫か…