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「秀吉には勝てない」伊達政宗の命を救った軍師の諫言

小和田哲男・静岡大学名誉教授
伊達政宗公騎馬像
伊達政宗公騎馬像

 片倉景綱は、通称の片倉小十郎の名で知られている。梵天丸(ぼんてんまる)といっていた子ども時代の伊達政宗の傅役(もりやく)で、政宗が家督を継ぐとともにその補佐役となった。政宗の軍師といってよい武将である。政宗は片倉景綱の補佐によって東北を代表する戦国大名にのしあがったといっても過言ではない。

 天正17(1589)年6月の会津磐梯山麓(さんろく)における摺上原(すりあげはら)の戦いで蘆名(あしな)義広を破ることができたのも景綱の働きがあったからである。景綱が事前に蘆名義広の重臣、猪苗代(いなわしろ)盛国に内応工作をしかけたことが伊達軍勝利につながっている。

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静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com