岐阜城(稲葉山城)=2016年12月14日、岡正勝撮影
岐阜城(稲葉山城)=2016年12月14日、岡正勝撮影

社会・カルチャー戦国武将の危機管理

難攻不落の稲葉山城を落城させた織田信長のウラ工作

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 織田信長の一番詳しい伝記である「信長公記」に信長の負け戦のことが書かれていないので、「信長は一生勝ちっ放しだった」と思っている人が多いが、まちがいである。実は信長は何度も負けている。「信長公記」の著者太田牛一は信長の家臣で、自分の主人のキズになる負け戦のことは書けなかったのである。

 太田牛一がカットした信長の負け戦の一つが永禄9(1566)年閏8月8日の河野島(かわのじま)の戦いである。この戦いは、美濃の斎藤龍興軍と信長軍の戦いで、龍興の重臣である氏家直元ら4人が甲斐武田氏の関係者に送った書状(平井家文書「山梨県史」資料編4)にくわしく記されており、「信長軍が多数溺死した」とある。

 斎藤方の戦勝報告なので、多少は割り引いてみないとならないにしても、信長側の敗北だったことはまちがい…

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com