熊本城と大イチョウ=2016年12月2日、野呂賢治撮影
熊本城と大イチョウ=2016年12月2日、野呂賢治撮影

社会・カルチャー戦国武将の危機管理

朝鮮出兵で籠城を経験 清正は熊本城に何を残したか

小和田哲男 / 静岡大学名誉教授

 加藤清正が慶長6(1601)年から築城を開始した熊本城は徹底した籠城(ろうじょう)の備えがみられることで知られている。とにかく、城内に120もの井戸が掘られていたことが確認され、一つの城の井戸としては全国一の数ではないかと思われる。それは、清正自身が体験した悲惨な籠城戦に由来するものであった。

 豊臣秀吉による2度にわたる朝鮮出兵で、第1次の文禄の役も、第2次の慶長の役も、清正は豊臣軍の主力として渡海し、朝鮮および明の大軍と戦っている。

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小和田哲男

小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com