戦国武将の危機管理

毛利家の嫡男に重臣が説いた「君ハ船、臣ハ水」の教え

小和田哲男・静岡大学名誉教授
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 毛利元就の重臣に志道広良(しじ・ひろよし)という武将がいた。志道氏は安芸国高田郡志道村(広島市安佐北区)を名字の地とする毛利氏の庶流家であった。広良は元就の父弘元と兄興元に仕え、興元のときには重臣筆頭ともいうべき執権職についていた。

 その興元が若くして亡くなり、興元の子幸松丸も大永3(1523)年に幼くして死去し、家督争いが生じた。そのとき一部の反対を押し切って、興元の弟元就に家督をつがせたのが広良だった。

 そうしたいきさつもあり、元就も広良に全幅の信頼を寄せ、嫡男隆元の補導役をまかせていたのである。実は…

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小和田哲男

静岡大学名誉教授

戦国大名・今川氏のお膝元で、徳川家康の隠居先でもあった静岡市で1944年に生まれる。72年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。専門は日本中世史。戦国時代史研究の第一人者として知られ、歴史番組でおなじみの顔。趣味は「城めぐり」で、公益財団法人「日本城郭協会」の理事長も務める。主な著書に「戦国の群像」(2009年、学研新書)、「黒田官兵衛 智謀の戦国軍師」(13年、平凡社新書)。公式サイト https://office-owada.com