吉永磨美撮影
吉永磨美撮影

医療プレミア連載陣インタビュー【13】

 東京に土地勘のない人でも、「成城」という地名には聞き覚えがあるのではないでしょうか。医療プレミアの人気連載「大人のためのスキンケア講座」で、身近な皮膚の病気の見分け方や治療法などをわかりやすく解説してくれる角田美英さんは、そんな“全国区の街”の駅前にクリニックを構えています。ご自身を「平凡な町医者」と表現する角田さんですが、実は大変な苦労人で勉強家なのでした。【聞き手=編集部・瀬上順敬】

他の美容皮膚科を受診して勉強も

 --お肌がきれいですね。やはり、皮膚科の医師としていろいろと気を使っているのですか。

 それほど特別なことはしていません。健康的な生活を心がけ、よく寝てよく食べて、他には必要最低限の基礎化粧をする程度です。美容皮膚科という仕事の関係で情報が集まってくるので、いい化粧品があったら使います。あとは、ヒアルロン酸を入れていますが、自分ではできないので有名な先生のところに行きます。1年に1度、自分へのご褒美です。

 頻繁には行けないのですが、他の美容皮膚科の先生の施術は受けに行くようにしています。そうすると雰囲気が分かったり、患者さんの気持ちになってこんなことしてもらったら気持ちがいいんだなといったことが分かったりするので。今でも勉強が好きなんです。

吉永磨美撮影
吉永磨美撮影

 --皮膚科医という仕事を選んだきっかけは。

 元々は内科の医師を目指していました。高校1年の時に父親を突然死でなくしたのですが、勤務中に突然倒れ、病理解剖をしても原因は分からずじまいでした。とてもショックを受け、父がなぜ亡くなったのか、自分が医師になって原因がつかめたらいいと思ったのが医師を目指したきっかけでした。

 それ以前は、弁護士を目指していました。白黒をはっきりさせたい性格で、弁護士という仕事が自分に合っているのではないかと漠然と思っていたのです。

 働き手が突然いなくなったので、私大には絶対に行けない。自宅から通える国立大の医学部でなければ医師にはなれないという状況でした。文系から理系に変わったこともあり、猛勉強しました。自分の人生で一番勉強したと思います。なんとか東京医科歯科大に入り、医者への道を歩むことができました。

 国家試験に合格後は、当初の目標通り父の死の原因を知りたくて循環器内科の医局に入局しました。結局、死因にはたどり着けなかったのですが、「世の中には分からないことがあっても、それを抱えながら生きていかなければならない」ということが分かり、父の死の呪縛から解き放たれました。それで、自分のやりたいことをやろうと思うようになりました。

 皮膚科を選んだのは、皮膚から体の中の病気を知るということが非常に興味深く思われたからです。医局ではいわゆる「糖尿病内科」で仕事をしていたのですが、糖尿病と皮膚の合併症の患者さんが多く、皮膚科と関係する機会が多くあったのが興味を持ったきっかけでした。

大学を変わって皮膚科を修める

 --そのまま皮膚科に移ったのですか。

 同じ大学の中で科を変えるのが難しい時代で、科を変えるということは大学を変わるということでした。いろいろな大学の医局試験を受けて、順天堂大の皮膚科に入局させてもらいました。

 「順天堂の皮膚科は日本一」と言われた時代で優秀な先輩がたくさんいて、勉強することが楽しかったです。仕事で勉強もできるし、患者さんから病気の情報ももらいながらお金がもらえて、医者ってなんていい職業なんだろうと思っていました。

 ただ、研修医を2回やったことになるので、皮膚科での1年目はすごくつらかったという思い出があります。私の20代は結構暗かったな、と思ってるんですよ(笑い)。

吉永磨美撮影
吉永磨美撮影

 --その後、民間のクリニックに移りましたね。きっかけは何だったのですか。

 順天堂をやめるきっかけになったのは、医局に入るときに面接をしてくれた小川秀興教授が大学理事長になられたことです。小川先生のいない大学にいても仕方がないかなと思ったのが一つ。もう一つは、当時台頭してきた美容皮膚科を勉強したいということでした。

 一般皮膚科では保険診療でしか治せない窮屈さを感じていました。自由診療の美容皮膚科の勉強をして、患者さんに新しい治療法を提案できることに魅力を感じたんです。でも、「美容は学問と離れたもの」という扱いで、当時の順天堂ではやっていませんでした。この時「不惑」の40歳で、大学での仕事もそろそろ潮時かなと思っていました。

 最初に働いたのは「オザキクリニック」という美容皮膚科クリニックで、ここではケミカルピーリングやヒアルロン酸注入、ボトックス注射などの施術を勉強しました。育毛外来の担当もし、女性の薄毛を美容皮膚科的に治すこともやっていました。その時、頭皮に直接育毛剤を注入するフランス発祥の「メソセラピー」という治療法を手掛け、評判が良かったのでテレビなどにも取り上げられました。

 次に「青山ラジュボークリニック」で院長を務めました。小規模なクリニックでしたが機器が充実していて、ここでレーザー治療のやり方を教わりました。

20代で立てた目標通り開業

 --ご自身で開業するきっかけは。

吉永磨美撮影
吉永磨美撮影

 実は、順天堂の医局に移ると決めた段階で、45歳で開業しようと思っていました。研修医募集要項に「順天堂は大学ではなく医院です。名医ではなくとも良医である開業医を育てるための大学です」と書いてあり、ここで学べばいつか開業医になれるようなトレーニングを受けられるんだと思いました。

 順天堂を出ると決めた時から、将来の開業の場所探しを始めていました。実家が狛江(東京都狛江市)だったので、(同じ小田急線沿線の)成城学園前は小さい時からなじみがありました。ここなら、土地柄もあって美容皮膚科と一般皮膚科の両方を診るという展開もできそうかなと思い、物件を探していました。現在の場所が見つかるまで4年かかりましたが、目標にしていた45歳で開業ができました。

 --20代で立てた目標を、そのまま達成できるって素晴らしいことですね。

 順天堂皮膚科の女医さんで私のクリニックに来て、勉強をした後に開業した人がこれまでに6人います。美容皮膚科と一般皮膚科を一緒にやっているお医者さんはあまり多くいないようで、ここで勉強して喜んでもらえてよかったと思います。

 --医師をやっていてうれしいことは何ですか。

 美容でも保険医療でも、患者さんが困っていることを解決でき、ありがとうございましたと言われた時が一番うれしいですね。だから、できるだけ勉強を続けて、患者さんが望んでいることに対応できるようになりたいと思っています。

 まだまだ勉強して、治療内容をさらに充実させていきたいと思っています。

医療プレミア・トップページはこちら

角田美英

角田美英

かくた皮膚科クリニック院長

かくた・みえ 東京都出身。1988年東京医科歯科大卒業。当初は内科医局に入局するが、皮膚科への転身を決意し、92年順天堂大皮膚科学教室入局。先天性表皮水疱症という難病の研究を行う一方、皮膚科全般の研さんを積んだ。美容皮膚科の専門クリニックで一般皮膚科とは異なる体系の技術、知識を学んだ後、09年に開業。特にニキビ治療と育毛治療の経験が豊富で、医師対象のセミナー等で講師を務めることも多い。美容皮膚科については科学的エビデンス(根拠)があり、効果が実証されている方法のみ取り入れている。かくた皮膚科クリニックウェブサイト

瀬上順敬

瀬上順敬

毎日新聞 医療プレミア編集部

せがみ・よりたか 1963年生まれ。1988年、毎日新聞社入社。静岡支局、西部本社報道部、サンデー毎日編集部編集次長、浜松支局長、科学環境部・医療情報室次長などを経て2015年7月から現職。現在の関心は先端医療、精神医療、脳科学など。

イチ押しコラム

無難に生きる方法論

季節の変わり目の「めまい、耳鳴り」は気象病かも

 秋が深まり、冬の寒さに切り替わる11月は寒暖の差が大きく、体調を崩す人が多い。寒暖の差が大きいと自律神経が乱れ、めまいや耳鳴り、…

人類史からひもとく糖質制限食

糖質含むカロリー制限食では糖尿病を防げない?

 福岡県久山町は、福岡市の東に隣接する人口約9000人の町です。九州大大学院のチームが1961年以来、40歳以上の町民を対象に脳卒…

旅と病の歴史地図

「海外出張183日」高裁が過労死を認めた理由

 ◇首相の外遊は過重労働? 政治家の海外出張を「外遊」と呼びます。その字を見ると遊びのようにとられますが、この「遊」は「旅」を意味…

超高齢化時代を生きるヒント

「痛みと医療費」二重に苦しむ若年がん患者たち

 高齢化社会をどう生きるか、高齢化社会を支える仕組みが今後どうなるのか--本連載はこれらを中心にお伝えしていますが、若い人から「高…

医をめぐる情景
ドクターヘリで搬送され、救命救急センターに移される負傷者=ドラマのロケ地でもある千葉県印西市の日本医科大千葉北総病院で

障害があっても強く生きる患者と、勇気もらう医師

 ◇ドラマ「コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命-」第3シーズン(2017年) 事故で突然、大切な身体機能を失うことがある。不意に…

Dr.林のこころと脳と病と健康

演技性パーソナリティー障害のうそが肥大する土壌

 ◇うそつきは病気か【5】 自分を実際よりよく見せるためにうそをつくのは、誰でもある程度までならすることです。ではそういう普通の人…

Dr.米井のアンチエイジング・セルフチェック チャートでわかる、あなたの機能年齢 北海道大学COI×医療プレミア