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健常者には理解できない「息切れ」の苦しさ

和田裕雄 / 順天堂大学准教授

慢性呼吸不全患者の生活【前編】

 私たちが生きていくためには、血液を通して必要な量の酸素が全身の臓器に行き渡らなくてはなりません。しかし、病気のために肺の機能が低下して十分な量の酸素が摂取できず、血中の酸素量が足りなくなることがあります。それが1カ月以上続く状態を「慢性呼吸不全」と呼びます。慢性呼吸不全になると、在宅時も外出時も機器を使用して酸素を吸入する在宅酸素療法(Home Oxygen Therapy :HOT)を行わなくてはなりません。

 以前、「たばこは老化も促進する」でお話しした重症の慢性閉塞(へいそく)性肺疾患(COPD)の患者さんが、正に慢性呼吸不全の状態です。今回と次回の2回で、COPDによる慢性呼吸不全の患者さんの姿と生活についてお話ししたいと思います。

慢性呼吸不全患者の息切れ

 私が大学で受け持つ講義「公衆衛生学実習」で、HOTを行っている患者のIさんにお話をうかがう機会を設けました。Iさんは56歳の男性です。重症のCOPD患者で、その時は肺炎を併発したために入院中でした。

 Iさんは、病室から私たちの待つ待合室まで、酸素ボンベを引いて歩いて来てくださいました。病室と待合室は同じフロアにあり、十数mの道のりですが、Iさんは待合室に入った直後に息切れで動けなくなりました。

 Iさんは立ったまま前かがみになり、しばらく「口すぼめ呼吸」を繰り返していました。呼吸は横隔膜などの収縮・弛緩(しかん)によって行われます。その際に前かがみになると横隔膜が動きやすくなります。また、口をすぼめて頬が膨らむように空気を吐き出す方法を「口すぼめ呼吸」といい、口から肺にかけての気道に通常より圧力がかかり、空気の吐き出しが楽になります。COPDなどの病気の患者さんが息苦しくなった時は、この呼吸法を行うよう指導しています。

38歳でCOPD診断、50歳でHOT開始

 IさんがCOPDと診断されたのは38歳の時です。草野球チームで活躍していたのですが、野球をすると息切れを感じるようになり、病院を受診したのです。

 今から20~30年前の日本社会は、たばこが健康に有害であるという認識がまだ希薄でした。Iさんの会社の職場にも灰皿が置かれており、仕事をしながらたばこを吸うことができました。Iさんも1日20~30本程度はたしなんでいたそうです。もちろん、たばこの有害性は当時でも医療従事者には常識でしたので、Iさんは診断されたその日から、薬による治療と禁煙を始めることになりました。

 当初、息切れを感じるのは、階段や坂道を上った時、長い時間動いた時だけでした。長距離を移動して病院に到着した時に息切れがあっても、待合室で順番を待っている間に回復しました。

 しかし、COPDは、喫煙によって肺細胞の遺伝子に、あるたんぱく質を作り出す(または作り出さない)機能の慢性的な異常が生じることが原因と考えられています。発症してしまうと薬による治療や禁煙をしても、病状は徐々に進行することがあります。

 Iさんは50歳になると、平らな道を歩くだけでも息切れを感じるようになったといいます。そして、ある日、いつものように病院で順番を待っていたのですが、診察時間になっても激しい息切れが治まりませんでした。この時に慢性呼吸不全と診断され、HOTを開始することになったのです。

HOTはライフスタイルに合わせて

 HOTは酸素ボンベ、液体酸素装置、酸素濃縮装置といった装置からチューブを通して鼻に酸素を送り込む治療方法です。最近、落語家の桂歌丸さんが慢性呼吸不全でHOTを受けていると報じられたので、ご存じの方も多いでしょう。

在宅酸素療法を受けている落語家の桂歌丸さん=東京都新宿区で2017年7月26日、丸山博撮影
在宅酸素療法を受けている落語家の桂歌丸さん=東京都新宿区で2017年7月26日、丸山博撮影

 酸素ボンベは、その名の通り酸素の入ったボンベを使います。軽量化が進んでおり、外出時の使用が中心です。液体酸素を少しずつ気化させて気体の酸素を作るのが液体酸素装置です。この二つは定期的にボンベや容器の取り換えが必要ですが、電気は不要です。一方、酸素濃縮装置は、ゼオライトという物質が、吸い込んだ空気内の窒素を吸着・除去することにより、空気の酸素濃度を90%以上に濃縮します。特にメンテナンスは不要ですが、電気が必要です。患者さんのライフスタイルに合わせて、これらの装置の特徴を組み合わせて使用します。

HOTでは取り除けない苦しみ

 Iさんの場合、HOTの効果はどうだったのでしょうか。

 「息苦しさから解放されると思っていましたが、酸素を吸っていても呼吸はさほど楽にはなりませんでした」。Iさんは、そう話しました。COPDの患者さんは、低酸素に加えて気道閉塞も息切れの原因となります。患者さんによっては、酸素濃度が正常値域であっても苦しいことがあります。

 さらにIさんは「ただただ、息ができない。動けない。脈拍が上がり、心臓バクバク、全身から冷や汗が出る」と続けました。肺と心臓は背骨と肋骨(ろっこつ)で囲まれた胸腔(きょうくう)という同じ空間にあって大変密接に関係しており、お互いに影響を及ぼし合います。

 このように、HOTを受けていても慢性呼吸不全の患者さんの苦しみは取り除かれません。「動けない、息ができない、生きているのもつらい、怖い、泣けてきます」。Iさんのような患者さんは、1人でジッと耐えているのです。

「表現のできない苦しさ」

 Iさんは「ひたすら、息が落ち着くまで我慢するしかない--この苦しさは表現のできない苦しさで、健常者には理解できないと思います」とも話しました。私も「健常な医療従事者が、どんなに傾聴しても、どんなに親身に対応することを心掛けても、病気の方の苦しみを本当に理解することは不可能だ」と考えています。

 Iさんのおかげで、学生たちは重い病気を持った患者さんの苦しみを少し理解し、そして、その苦しみは完全には理解できないことを知ったのではないかと思います。何でも分かった気にならず、謙虚さをもって「患者さんを診る」という姿勢を学生たちには学んでいってもらいたいと思います。

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和田裕雄

和田裕雄

順天堂大学准教授

わだ・ひろお 1993年、東京大学医学部卒。東京大学医学部付属病院、東京大学医科学研究所、英国Imperial College London留学、杏林大学付属病院呼吸器内科学教室などで、特に閉塞性肺疾患、慢性呼吸不全などの呼吸器疾患に焦点を当てて診療・研究・教育に携わってきた。2014年より順天堂大学公衆衛生学講座准教授として、予防医学や産業医学の分野で地域や働く人たちの健康管理にも目を配っている。医学博士、内科学会専門医、呼吸器学会専門医、老年医学会専門医。

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