レギュラー 浅田均の「政治のリアル」

真田山旧陸軍墓地のこと

    浅田均氏=太田康男撮影
    浅田均氏=太田康男撮影

    友人から大阪市内にある真田山旧陸軍墓地(大阪市天王寺区玉造本町14―83)の現状を憂える声を聞き、先般、真田山に赴いた。真田山とは大阪城の南約2キロにある地名で、真田幸村が大坂冬の陣で出丸(真田丸)を築いたことがその由来とされる。(以下の文章で事実関係は公益財団法人真田山陸軍墓地維持会の説明による。また、同維持会作成の資料も参考にさせていただいた)

    「佐賀の乱」以来の将兵、軍属の墓地

     同墓地の正門を入ると先ず目に入るのが日清戦争で死亡した軍役夫(物資輸送等のために軍に雇われた人たち)の墓碑群である。1メートルほどの高さで同規格の墓碑が等間隔に整然と並ぶ。まるで隊列を組んだ兵士のように見える。

     戦死した軍役夫は靖国神社に祀(まつ)られる一方、病死者等は「英霊」として扱われず記録もされなかったそうだが、この真田山墓地には戦病死した多くの軍役夫も眠っている。しかし、墓碑は砂岩製でもろく、(遺族により)改築された少数の墓碑を除き故人の氏名も読み取れなくなるほどに傷んだものが多い。何しろ日清戦争(1894~95年)から124年たつのだから表面が剥落していない墓碑が残っていることを驚くべきだろう。

     墓碑数が多い順に数えると、日清戦争が1377、西南戦争(1877年)が767、日露戦争(1904~05年)が413である。満州事変(1931年)以降は納骨施設を持つ忠霊塔が建てられるようになり個人の墓碑は建てられなくなった。日清戦争より日露戦争の方が死者が多かったのに墓碑数が少ないのは、個別に埋葬する場所が少なくなり合葬されるようになったからと考えられている。満州事変から第二次世界大戦にかけては合葬、さらには納骨堂に骨壺(つぼ)が並べられるだけとなった。骨壺の中には遺品しか入っていないものもあるという。

     現在の墓地面積は4569坪(約1万5000平方㍍)、墓碑数5089基以上(このような表現になるのは第二次大戦末期の大阪大空襲により相当数の墓碑が破損したことによる)。墓碑は、明治6年に徴兵令が発せられる前の士官・兵士にはじまり、西南戦争、日清、日露、第一次世界大戦から第二次世界大戦にいたるまでのものであり、納骨堂には8200余の骨壺が安置されている。戦争が近代化するにつれ如何(いか)に戦死者の数が増えていったのか、逆に言うと人の命が如何に軽くなっていったのかがよく分かる。

     ところで、この陸軍墓地は、戦争終結に伴い陸軍から大蔵省の所管となり、さらに昭和21年には大蔵省から大阪市に無償貸し付けされることになったが、通達により大阪市が祭祀(さいし)に関与できなくなったために代わって設立されたのが「財団法人大阪靖国霊場維持会」であり、現在同墓地の維持管理をして下さっている「公益財団法人真田山陸軍墓地維持会」の起源である。

     同維持会の資料等によると、大阪は日本陸軍創設の地であり、明治2年から大阪城を中心に兵部省、大阪兵学寮、放銃火薬製造局、軍医院等の軍関係施設が次々と設置され、明治4年この地に墓地が創設され日本で最初の陸軍墓地となった。

     他に80カ所以上造られたといわれる旧陸軍墓地の現状は知らない。しかし、この真田山旧陸軍墓地が戦死者を祀っていながら靖国神社と著しく異なる点は、①事故死、戦病死した軍役夫も祀られている②ドイツ兵の墓2基、清国(当時)兵の墓6基も日本兵と同規格で祀られている③西南戦争以来「招魂祭」が他の場所で行われている、ことであろう。つまり、真田山陸軍墓地は佐賀の乱(1874年)から太平洋戦争に至る戦争で亡くなった将兵、軍属等のお墓であって神社ではない。

    関わろうとしない国

     ところが、この墓地の現状はどうだろう。真田山陸軍墓地維持会を中心としたボランティアの皆さんの草取り、清掃奉仕等のお陰で墓地自体はよく管理されている。しかし、5089基以上ある墓碑は遺族が修復したごく少数を除き、風雨に晒(さら)されたままであり、そのうち1000基はいつ倒壊してもおかしくない。納骨堂の傷みもひどく耐震化もされていない。国のために命を落とした方々を国が追悼するどころか全く放置されたままなのだ。国が何もしなくていいのかと強く思う。

     靖国神社について語ることが本稿の目的ではない。千鳥ケ淵戦没者墓苑と比較することも本稿の目的ではない。しかしながら、真田山旧陸軍墓地の現状を見るにつけ、靖国神社や千鳥ヶ淵戦没者墓苑と同墓地の扱いを比べざるをえない気持ちになる。

     天皇陛下が直近に靖国神社に参拝されたのが昭和50年(1975年)であり、首相の直近の靖国神社参拝は平成25年(2013年)である。ここでは靖国問題には立ち入らないが、これが政治のリアルである。

     天皇陛下や首相の靖国参拝、あるいは不参拝がメディアを賑わす一方、世の中からも歴史からも忘れられたような旧陸軍墓地が存在することをどのように捉えたらいいのだろうか。自分にとっては、こちらの方も政治のリアルなのだ。

     千鳥ケ淵戦没者墓苑には軍人、軍属以外に民間人も安置され、厚生労働省が主催して慰霊碑拝礼式が行われている。

    なぜ旧陸軍墓地だけが捨て置かれるのか。なぜ国が関わろうとしないのか。戦死ではないから靖国には「英霊」として祀られなかった。そういう方々をこそ国が追悼すべきだと思う。追悼するとは追って悼むということである。国と国民が死者の生前をしのんで悲しみにひたることである。悼み続けることは不戦の誓いそのものではないだろうか。真田山旧陸軍墓地の現状を放っておいて、憲法9条の改正でもあるまい。自衛隊を憲法に位置づけて、仮に戦死者が出た場合、政府はどのような対応をするのだろうか。

     (同墓地を管理する「真田山陸軍墓地維持会」の田中正紀事務局長と学芸員の永田綾奈さんに墓地を案内していただいた。炎暑の中、賜ったご協力に記して謝意を表したい)

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    プロフィール

    浅田均

    浅田均

    日本維新の会政調会長

    大阪府議を経て、2016年参院初当選。参院憲法審査会幹事。参院大阪、当選1回。地域政党「大阪維新の会」の結成当初から関わった。政策通として知られる。