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岐路に立つ台湾の国民党の「親中」

福岡静哉・ソウル支局長
主席の就任式で、孫文の肖像に頭を下げて敬意を表する党幹部たち=台北市の国民党本部で2020年3月9日、福岡静哉撮影
主席の就任式で、孫文の肖像に頭を下げて敬意を表する党幹部たち=台北市の国民党本部で2020年3月9日、福岡静哉撮影

 台湾の最大野党・国民党の主席(党首)に3月9日、立法委員(国会議員)の江啓臣氏(48)が就任した。中国に対する台湾人の警戒感が強まる中、江氏は対中政策を見直し、「親中」イメージの払拭(ふっしょく)を目指す方針だ。だが新たな国民党像を示すのは容易ではない。国民党の立て直しが難しいのは、中国大陸で結党された歴史的な経緯と近年の社会の変化が大きく影響している。

「中国人アイデンティティー」の政党

 江氏は3月7日に投開票された主席の補欠選挙で大勝し、国民党本部で同9日、就任式が開かれた。江氏は「国民党は100年にわたる深遠な歴史と、確かな政権運営の経験がある」と歴史に思いをはせた後、「党は現代化を図らねばならない」と決意を語った。会場となったのは国民党の生みの親である孫文(1866~1925年)の別名から名付けられた党本部1階の中山ホール。江氏の後ろには、孫文の肖像と「革命いまだならず」という遺言が掲げられている。

 孫文は1911年、辛亥革命を主導して清朝を倒し、「中華民国」を南京で建国した。国民党は、孫文が1919年、前身の政党を改組して結成した。現在は台湾に拠点を置く国民党だが、結党の原点は中国革命の実現にある。現在も正式な党名は「中国国民党」。3月12日に没後95年を迎えた孫文は今も、党の精神的支柱となっている。

 孫文の死後、蔣介石(1887~1975年)が率いる国民党は、第二次世界大戦後の内戦で中国共産党に敗れた。蔣介石は100万人以上の党幹部や兵士、その家族らと台湾に逃れた。台湾で独裁統治を始め、日本統治時代(1895~1945年)を生きてきた台湾人に中国人としての教育を徹底した。国民党は「中国人」アイデンティティーを基礎とした政党と言える。

「反中共」から一転、融和へ

 「大陸反攻」を掲げる国民党にとって、共産党は不倶戴天(ふぐたいてん)の敵だった。だが蔣介石は75…

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ソウル支局長

2001年入社。久留米支局、鹿児島支局、政治部、台北支局などをへて、24年からソウル支局長。