「新しい資本主義」を解剖する

田中秀明・明治大学公共政策大学院教授
田中秀明氏=宮武祐希撮影
田中秀明氏=宮武祐希撮影

 1月17日、通常国会で、岸田文雄首相が施政方針演説を行い、「新しい資本主義」を改めて提唱した。

 今回は、2022年度予算という財源の裏付けを伴って関連施策を説明している。新しい首相が新しいビジョンを語るのは自然であるが、それは日本の経済や社会の問題を解決できるだろか。

市場というより政府への依存

 施政方針演説では、新しい資本主義の背景として、「市場に依存し過ぎたことで、公平な分配が行われず生じた、格差や貧困の拡大」を挙げる。

 経済協力開発機構(OECD)のデータベースに基づき所得格差を表す指標であるジニ係数(可処分所得を基準、16年)を見よう。

 これがゼロであれば最も格差がなく(全ての国民が同じ所得を有する)、1であれば最も大きい(1人だけが所得を有し他はゼロ)。日本は0.339であり、OECD平均0.315を上回り、対象36カ国中11番目に格差が高い。

 また、同様に相対的貧困率(可処分所得が低い人から高い順に並べ、その順番が中央である人の所得の半分未満しか所得を有しない人の全体に対する割合)を見よう(図参照)。

 日本は15.7%であり、OECD平均11.7%を上回り、対象35カ国中9番目に高い。

 こうした統計数字を見ると、確かに、日本の格差や貧困は、先進国の中で高い。しかし、これは、首相が演説で述べるように、「市場や競争の効率性を重視し過ぎたことによる」のだろうか。

 1990年代以降のジニ係数や相対的貧困率(いずれも所得再分配後の可処分所得を基準)の推移を見ると、日本はほぼ変化がない。再分配前の所得では格差は拡大しても、再分配後は異なる。

 市場や競争を重視する考えは「新自由主義」とも言われ、日本では、しばしば小泉純一郎元首相による、いわゆる「小泉改革」がしばしば引用される。彼は、「民間でできることは民間に任せるべきだ」と主張し、郵政事業、道路公団などの特殊法人を民営化した。

 しかし、その多くは、法人形態は株式会社になっても、政府が株式の大層を保有し、その事業や活動は特殊法人時代とそれほど変わらない。

 例えば、日本政策金融公庫などは、リーマン・ショックや今般のコロナ危機では、政策的な見地から中小企業などに対してさまざまな支援を行っており、収益を拡大するという株式会社の市場原理主義を貫いているとは言えない。

 筆者は、90年代初めのバブル経済崩壊以降、小泉改革という例外は一部あるものの、今日に至るまで、日本で実際に実施されてきた政策の多くは、市場原理主義というより、政府による介入策だと考えている。少なくとも「市場や競争を重視し過ぎている」とは言えない。

 その最大の証拠は、国や地方などを合わせた一般政府債務の合計(対国内総生産<GDP>比)の累増である。日本の債務残高は、90年の62.5%から21年の242.0%へと4倍弱になった。なお、OECD平均の債務残高は、約2.3倍になっている。

 政府による介入の典型的な現象は補正予算である。経済危機の時はもちろんのこと、バブル経済崩壊以降、恒常的に補正予算で公債が追加発行され、経済対策が行われている。危機の際には政府の役割は重要であるとしても、平時においてはそうとは言えない。補正予算はほぼ予定されているのだ。問題はその中身である。

 例えば、新型コロナウイルス感染症に対応するため、20、21年度において、数次にわたり補正予算が編成されたが、その中身をみると、必ずしも感染症とは直接関係しない施策や予算も含まれている。原発対策や海上保安体制の強化、大学ファンドやデジタル田園都市国家構想などだ。

進まない規制改革

 第2次以降の安倍政権では、成長戦略の一環として、民営化、なかんずくPFI/PPPが推進された。特に、コンセッション(施設は国や自治体が所有する一方、その運営は長期にわたり民間が担う)が重視されて、事業規模の目標(13~22年度の10年間で21兆円)なども導入された。空港のコンセッションについては、伊丹空港などで導入されたものの、上下水道や道路などでは、はかばかしくない。さまざまな理由があるが、既得権を守るため規制が十分に撤廃されていないからだ。

 安倍政権では、首相自らがドリルの歯となって岩盤規制に穴を開けると規制改革が強調された。確かに、農協改革などの分野において、官邸主導の力で一定の改革は進んだ。

 しかしながら、医療・福祉・教育などの分野では、規制緩和のスピードは遅い。例えば、オンライン診療だ。ようやく少し前進したものの、まだ規制は強く患者のニーズに十分応えているとは言えない。

 また、首相の関与が疑われた加計学園の獣医学部設置である。当初は、京都産業大学も設置を希望したが、検討の途中で、同大学は申請を断念した。現在、日本では、所要の基準を満たせば、大学は自由に設置できるが、医学部・歯学部・薬学部・獣医学部は異なる。文科省の通知で、設置申請そのものが認められていないのだ。

 安倍政権は、規制改革の一環として、獣医学部の設置を一部認めることを決めた。しかしながら、10校を認めるといった話ではなく、当初希望した京都産業大学を含めて、たった2校さえ設置を認めなかったのである。いかに既得権益が強いかがわかる。「1強」と言われた安倍政権でもそれを打破できなかった。

 これらは一面に過ぎないが、規制改革の分野でとても市場や競争原理が進んだとは言えない。

大学ファンドの懸念

 岸田首相は、就任当初、成長より分配を重視すると述べていたが、昨秋の衆院選以降、「成長も分配も」という考えに変わった。今回の演説でも、「成長と分配の好循環」を強調し、前者に関しては、科学技術・イノベーションが不可欠と説いた。

 その具体策の一つが、大学ファンドである。…

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明治大学公共政策大学院教授

 1960年生まれ。85年大蔵省(現財務省)入省。オーストラリア国立大学客員研究員、一橋大学経済研究所准教授、内閣府参事官などを経て、2012年より現職。専門は財政・ガバナンス論。著書に「官僚たちの冬 霞が関復活の処方箋」など。