「たまたま」要人が標的 日本の「テロ」

中島岳志・東京工業大学教授
中島岳志氏=梅村直承撮影
中島岳志氏=梅村直承撮影

 安倍晋三元首相が殺害された事件に、「ついに起きてしまった」と思った。2008年の秋葉原無差別殺傷事件以来、「いつか政治家が標的になる」と危惧してきた。

 日本では戦前、政治家や実業家を標的にしたテロ事件が頻発した。テロというと、特定の過激組織や政治思想に導かれた明確な理由でターゲットを攻撃し、国家などに要求をのませたり、社会を恐怖に陥れたりするものとされる。

 ところが、戦前のテロの多くは、背景に犯人自身の貧困や孤独などによる生きづらさと、それへの怒りがあった。秋葉原事件など近年の大量殺傷事件の多くも、この背景が共通する点で戦前からの「テロ」の系譜に連なると考えてきた。近年の事件は、「たまたま」要人が標的ではなかったり、政治的な要求がなかったりしただけだ。

個人的な怒りと要人テロ

 私が秋葉原事件後に著書で論じた大正時代の右翼テロリスト、朝日平吾は、1921年に安田財閥の祖、安田善次郎を殺害した。家庭内不和で家出し、大学や陸軍に入ったり、中国で一旗揚げようとしたりしたが結局職を転々とした末、「私腹を肥やす資本家」に敵意を向け、暗殺に至った。

 事件後、朝日は一部で英雄視された。その影響もあり、約1カ月後には原敬首相が刺殺された。つまり、模倣犯が出た。昭和初期の30年に起きた浜口雄幸首相銃撃事件や、32年の井上準之助前蔵相射殺事件など、その後の国粋主義者によるテロも、朝日同様に犯人の生きづらさがあったからこそ起きたと言える側面がある。

 戦前は、「君側の奸(かん)」(天皇の周囲で悪政を働く人)のように「敵」を分かりやすく名指す言葉が流布していたこともあり、個人的な怒りが要人テロに結びつきやすかった。標的が標的なだけに影響は大きく、社会運動や自由な言論に対する弾圧と軍国主義への道を開く遠因ともなった。

思い込みで憎悪の的を攻撃

 それから半世紀以上がたった90年代、就職氷河期世代が登場した。彼ら以降の世代は、非正規労働者が急増した。中年になっても安定した仕事や家庭、人間関係などを得られず、精神的に追い詰められる人もいる。個人の努力で越えられない壁の前で傷つき、憤る人が増えている点は、戦前と同じだ。

 そうした怒りは、秋葉原事件だけでなく、「津久井やまゆり園」障害者殺傷事件(16年)、京都アニメーション放火殺人事件(19年)、小田急乗客刺傷事件(21年)などでも暴発してきた。戦前と違い社会的な「敵」が見えにくく、障害者や企業、女性など思い込みで憎悪の的となった相手が攻撃されてき…

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東京工業大学教授

 1975年生まれ。京都大大学院博士課程修了。北海道大准教授を経て現職。著書に「中村屋のボース」「朝日平吾の鬱屈」「血盟団事件」「親鸞と日本主義」など。