どの政党も支持団体を持ち、業界団体、労働組合などが議員を送り込んできた。自民党の場合は個人後援会が強いが、いずれにせよ政党はみな民意をくみ取る回路を持っている。
近年、このパイプが著しく目詰まりしている。
労働組合が典型的だが、加盟率が下がっているだけではなく、加盟していることで自分の意見が社会に反映される実感を持つ人が少なくなっている。
利益配分の仕組みで団体と結びついている自民党をはじめ、団体と政党の間のパイプはしっかりある。しかし、その先の団体と一般の人々の間のパイプが細くなり、民意が政党に届かなくなっている。
だから、国会議員と世論の隔たりが起きる。安倍晋三元首相の国葬をめぐっても、かつての自民党であればさまざまなところから意見がきて修正されていたはずだ。逆に、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)のように特定の団体の意見を過剰に取り込むことも起きる。
政治の役割が認識されていない
政治の役割は社会が抱えている問題に対し、資源をどう配分し、ルールをどうするか決め、問題を解決することだ。
資源は予算であり、ルールは法律だ。国民全体を束縛する。にもかかわらず、一部の人だけで何が問題かを設定し、解決方法を決めることが当たり前になると、政治に参加すること自体が困難になり、さらに特定の人だけが政治に参加するようになる悪循環に入る。
その結果、大多数の人が身近な問題を社会の問題と認識せず、政治では解決しないと考えるようになる。
たとえば学生はみな学費の問題で悩んでいる。ところが学費が政治で解決しうる問題だという認識がほとんどない。
一方で、SNS(ネット交流サービス)などの情報媒体が発達すると、団体はむしろ、民意を目詰まりさせていると批判される対象になる。「直接言えばいい」となりがちだ。
ポピュリズムは既存の団体を迂回(うかい)して、カリスマ性を持った政治家が人々と直接つながろうとする。
人々を引きつけるために、単純な争点だけ、「イエスかノーか」だけを提示していく。…
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