今回は、子どもの高等教育関連の家計の負担を引き下げるための提案です。
経済協力開発機構(OECD)主要12カ国の中で、日本の家計に占める教育費負担の割合は22%と、30%の韓国に続いて2位の水準になっています。一方、低い国で言いますと、オランダは5%、デンマークは4%です。さらに、義務教育期間後の高等教育では、韓国を抜いて、日本の負担率が53%と、1位になってしまいます。
日本で高等教育の家計負担が大きいのは、大学の授業料が上がり続けているからです。例えば、70年代前半まで10万円未満だった国立大の初年度納入金は現在、授業料50万円、入学金30万円の計80万円余りに及んでいます。この納入金は、所得階層を5段階に分けた時、一番低い第1段階の年間所得の26%に達します。一番高い第5段階の家計では7%で、4倍近い負担の格差が生じているのです。
そして、高い家計負担は、以下の弊害を生んでいます。(1)教育費負担を恐れた世帯が子どもを産まず、少子化を招いている(2)所得段階別の大学進学率が、同じ成績であっても異なり、格差固定につながる(3)家計への重い教育費負担が他の支出を圧迫し、内需不振を引き起こしている。
したがって、私は以下の二つを提案します。(1)国公立大の学費、入学金は所得に応じたスライド制に(2)私立大生向けに、給付型奨学金を増やす。
(1)は、すでに東大が一部採用していて、年間所得400万円未満の家庭の学生の授業料を免除しています。(2)も諸外国はグラントといわれる、返済義務のない奨学金を増やし、弊害解消を図っています。現在、大学生は250万人です。そのうち、20%の学生に年間50万円ずつ学費の免除や奨学金で援助すると、必要な財源は2500億円です。他の公共投資などとのバランスを考えた場合、不可能な金額ではないと思います。
そうすれば、以下のことが実現できると考えています。
(1)少子化の緩和。高等教育の費用が引き下げられ、3人目の壁が打ち破られる(2)低所得世帯の子どもも進学できるようになり、格差是正に寄与する(3)教育費負担の切り下げが内需拡大につながる。もちろん、お金だけでは不十分で、大学間の健全な競争を促して、教育効果を高めることや、低所得世帯に大学進学の可能性を知ってもらうことなど、さまざまな課題も同時に解決する必要があるでしょう。
しかし、どのような家庭に生まれようとも、子どもたちが同等に教育を受けられる機会を持つべきだと、私は強く感じており、そのためには高等教育の低廉化は不可欠だと考えています。子どもたちへの教育投資を社会全体でどう行えばいいのか、ご意見を毎日jpまでお寄せください。
※このテーマでの投稿は終了しました。たくさんのご意見ありがとうございました。

たくさんの意見をありがとうございました。そして、思想であった教育機会の平等化について、ご理解をいただいてうれしい限りです。
そして、ベストアンサーとして、43番岩田康晴さんの意見を選ばせていただきました。岩田さんは、国連人権規約の問題を含め、なにが日本の高等教育について問題なのか、包括的に提示した上で、今回の無料化を含めた解決のための具体案も同時に、指し示しています。
もちろん、教育機会の平等化について、その方法論として、複数の方から指摘があったとおり、学費低廉化だけですべて解決するとは思っていません。ただし、その第一歩として、まずは門戸を広げる効果をわかっていただきたかったのです。
意外に多かった意見として「高等教育、特に大学教育は自己責任論」ですが、残念ながら家庭の所得によって、同じ成績であっても大学進学率が異なるということ、さらに、大学卒業者と高校卒業者の生涯年収が明確に異なることを考えますと、私としてはそのまま、それを受け入れることができません。もっともっと、機会平等に対して、何ができるのか、考えていくべきでしょう。
ただし、財源をどうするのか、本当にこの部分が最優先課題なのか、ということについてはみなさまのご指摘のとおり、議論の余地があると思います。しかし、意欲を育てることで教育投資の結果が生まれてくるよう、カリキュラム改革や職業訓練を同時に行いながら、国の投資として行う余地は非常に大きいと考えています。
また、生活費についても配慮すべき、という指摘が多かったのが印象的でした。具体的には、寮の完備の指摘が多く、単なる学費だけではなく、生活費を含めた保障をどう行うか、ということまで含める必要があるのでしょう。
ほかにも、ベストアンサー以外で興味深い意見を一部紹介させていただきます。
51番 吉田もとたかさん 援助を受けた学生に、学習塾の講師を行うアイデアを示唆
64番 古川賢太郎さん 大学の再構築について、包括的な提案を提示
83番 山田尚行さん 家計負担の引き下げについて、より深い方法を提示
114番 沢広あやさん デンマークでの体験から、親の立場としての教育費負担が低いときに考えることを披露
156番 小松利彦さん フィンランドにならい、大学を社会人での生活弱者の再教育の場にしたい
これらの意見を踏まえ、ふたたび有力関係者と議論を重ねながら、次の展開をみなさんに報告していきたいと思います。
【主な意見まとめ】
<賛成>
・質の議論ももっともだが、それ以前に機会の平等がないと、始まらない
・おおむね賛成だが、就職機会もバランスを取る必要がある
・若い学生だけではなく、社会人の生活弱者が学び直せる場にしたい
・奨学金の返済に8年間かけた身としては、賛成
・学費だけではなく、寮などの住空間への援助も必要
<反対>
・教育機会の平等化の理念には賛成だが、大学のカリキュラム内容そのものを見直す必要がある
・無利子の奨学金で代替できないか
・学費だけの問題ではなく、教育意欲に関する高校以下の初等教育への改革も必要
・高校までの教育改革をむしろ、優先すべき
・学校教育全体にかかる高いコスト構造の見直しを優先すべき
賛成です。
憲法で保障された教育を受ける権利が、家庭が低所得であるという理由で侵害されている状況を放置することはできません。高校や大学の漸進的無償化をうたう国際人権規約A13条を留保する国は日本とマダガスカルだけになってしまいました。留保の撤回について「諸般の状況を見て検討する」(衆参外務委員会付帯決議)のであり、まさに時宜を得た意見です。大学を出ても現在の貸与奨学金3,072,000円(私立大・自宅外の4年分)を返しながら働くことは、競争率が4倍となっている無利子奨学金を受けられたとしても大変な時勢になっています。高校授業料の無償化法案は、先月参議院を通過し、衆議院に送られています。
また、地方大学の経済効果は年間数百億円であり、少子化対策のみならず、地域経済・文化の発展の意味でも、社会全体で智恵を出す価値があります。現在、国立大学は、運営費交付金が毎年効率化係数ということで1%ずつ削られています。根本的に国立大学をはじめとする地方大学への支援は焦眉の急であり、授業料の値上げの危険さえある状況です。大学への関心を高めることは大きな意義があります。
社会的投資を増額する合意形成をすすめるためには、大学での地域密着型の研究・活動を増やすとともに、国立大学が無償で給付型の奨学金制度が整備されている諸外国の情勢や、地元に及ぼす効果等を社会的に啓発する必要があるでしょう。当然、教育・医療・福祉などのセーフティーネットを張ることにより富の再配分を行う、グリーンニューディール的な施策について、国民の合意を得ることが前提となります。その時期も近いようですが。
方法としては、
(1) 米国のように教育費控除を拡充する。
(2)さしあたって低所得者を対象とした給付型奨学金や無利子貸与奨学金を整備する。
(3)(2)の方策を全体へ広げる。
(4)国立大学の授業料を漸進的に無償化する。
などを、可能なところから手をつけることでしょう。
今回の勝間さんの提言に、おおよその部分で賛成します。
そもそも何故「教育費」にこんなにもお金がかかるのか大いに疑問を抱いているからです。子供の教育とは、人間の将来に向けての投資であり、経費でも無駄なものでもないのです。
今の世の中、大学を出ることが特別なことにはなっていません。これから日本はどんどん子供の数が減り、生産性が落ち、他の国々とまったく異なった形の成長をしていくことでしょう。大学まで国公立なら親の大きな負担無く学ぶことのできる国もあります。母子家庭でも十分な補助を受け奨学金制度を利用して十分な教育を受けられる国もあります。大学進学率が国の未来と直結だとは思いませんが、世界に視野を広げ、自国の文化を知り、前向きに学ぶ心を養うという点では必要だと思います。日本はどうでしょうか?毎年毎年あがっていく教育費に頭を抱え、子供の出生率にまでかかわっていく教育制度です。そんな中で懸命に頑張り、未来を支えるのが今の子供たちです。その子供たちに、学費をひとつのハードルと意識することなく教育できる環境が整っていたら、それがこの社会にどれだけ多くの利益をもたらすことでしょうか。税金を払っている国民として、有益に使う方法を考えるのは、ひとつの義務でしょう。
今回の提言は、教育の機会を公平に与えるためにも昨今の「学費の値上げ」に意見することで有益だと思います。ただ「おおよその部分での賛成」というのはまだまだ甘いと思うからです。大学だけでなく幼稚園から高校までしっかりメスを入れていただきたいと思います。
3と73に続き、今度は精神的な側面から教育について考えてみたいと思います。
今の学校(官僚や教師)は基本的に協調性の名の下に、生徒を管理支配することが目的になっています。それが生徒の精神にどう影響するかといえば、生徒は学校に順応すればするほど受身になると思います。ろくに選択の余地を与えられず、主体性も求められず、ひたすら規定の努力をものさしで計られるだけです。将来の大きな目標など大義名分でも持っていない限り、モチベーションが上がるわけがありません。やらされてる感も常につきまとってくると思います。学んでいる内容が、実生活でたいして役に立ちそうにないことが分かれば、なおさらです。
そうなるとその後の発想も単純です。ただ「就職のため」に勉強し大学へ行くという、受け身な発想です。だからこそ、本質的な学ぶ力なんて重要ではなく、ただ受かればいい、単位取れればいい、卒業できればいいというだけです。外的な損得で動き、もし楽できたらラッキーという感じです。学ぶことさえも受身だから、教師や塾や予備校頼みです。それではうまくいっても、せいぜい従順なロボットを生み出すだけです。
また管理され受け身でいると、行動に対する責任感もわきにくいです。普段自分の主体性を発揮して選択し、時に失敗しそこから学ぶというプロセスの機会があまりないからです。社会にお任せになっている時間が長すぎるからです。自分で選択し、その結果と責任を取っていくという一番大事な力が育まれにくくなります。レールが設定されすぎていて、新しいことにチャレンジしていくという機会もその精神も少なくなります。また受身の状態は、怠惰をも生み出します。
これからは、競争や強制よりも、もっと子供たちの選択を尊重し励まし個性や独創性をはぐくむような教育にしていけば、その子達が大人になった時には、文化も豊かになり、より新しいニーズを開発したり、独創的な仕事を生み出していくのではないかと思います。「社会のためが自分のため」になるような管理強制ではなくて、「自分のためが社会のため」にもなるような人間を本質的に成長させてあげられる教育システムが必要だと思います。自分の成長と喜びのために努力し、そしてそれが結果的に社会のためにもなっているような。73や3での提案もそのためです。多くの選択肢を与えれば、子供は内側のニーズに耳を傾けることを知り、自分で自分を成長させていこうとします。本来子供はそうして成長していきます。それに「主体的な」望みを持つことは、時には望みのために他を我慢する必要も学べます。
また世の中を良くしたいだとか、そのために頑張りたいとか、そういう考えは受身の状態では出てきにくいです。そういうものは、積極的に世界と関わろうとして、世の中のことを知って、はじめて生まれてくると思います。ボランティアという言葉の意味どおりです。受身のままじゃ、せいぜい今の多くの日本人のように、要求ばかりが多くて、政治家や企業にああしてくれこうしてくれというだけです。批判は、何の考えなしの賛成は出来ても、建設的な提案したり自分で動いたりはできなくなります。
地方2流女子私立大学の卒業証書は、就職氷河期には無意味だったことを痛感する者です。
現在、無駄な私立大学が増えていると思います。結果、少子化で定員割れの経済的に立ち行かなくなってきている私大が続出しています。
国からの補助を無駄な私大にも割かなければならなくなり、国立大学の学費上昇等、足を引っ張っているように感じています。
どんな家庭環境でも優秀な生徒が、学費の心配をしなくて済み、質の高い教育を受けられる場所が低学費の国立大学であるべきだと思います。働きながら通える通信制や二部の国立大学の充実もよいと思います。
私大の高い学費は、人集めのための綺麗な設備や広告宣伝費など、質の高い教育以外に使われているのは一目瞭然(りょうぜん)です。
人にはそれぞれスペックがあり、本当に大学へ行ってまで勉強しなければならないかどうか自分の能力を冷静に見つめ直させる教育が必要なのではないでしょうか?
ここでもしばしば、富裕層が高学歴ということに対して疑問を投げかける意見がありますが、ハイスペックの親からは、ほとんどの場合、遺伝子的に子供もハイスペックということになり塾に行かせられるからどうのというレベルの話ではないと思います。
体を動かして給料を得る職種や職人と言われる職種に、人が集まらなくなったのは
自分の能力を「過信」している親と子が増えたからだと思います。
猫もしゃくしも、子供を大学に行かせる時代は終わりだと思います。中卒・高卒の人を非正規雇用で安く買いたたく社会も問題です。
今のところ夫婦ともにありがたく健康で働けるので、安易に奨学金でお金を借りて
子供を大学に出すという考え方に賛同できない私は、学資保険で2人分(もうすぐ3人分)の学費をコツコツと貯めています。
奨学金の制度も、誰にでも安易に貸し出すのではなく、母子家庭や親が病気など
事情があってお金に困っている人に特化して無利子で貸し出せる制度へと変えてゆく必要があると思います。
大学の学費は安いにこした事はないと思います。しかし、財源が限られている中での優先順位は低いのではないかと思います。
教育に関する問題の中で最優先に取り組むべきは就学前児童に対する支援ではないでしょうか。
社会学者エスピン=アンデルセンは、その著書の中で就学前の子供の環境とその子の学習到達度を決定付ける認知能力との関係を指摘し、(親の教育水準や経済力によって子供の将来が左右されないために)乳幼児に対する支援の重要性を強く提言しています。
これが本当であれば大学入学時点では既に決着はついてしまっている可能性が高く、それよりも就学前の保育・教育環境を充実させる施策のほうがより良い結果を生むのではないかと思います(これは、今後日本が世界に伍していくには知識重視の社会に変わって行かざるを得ず、そのためにも大変重要な事ではないでしょうか)。
もちろん、才能や知的探究心があるにもかかわらず学費を払う事ができないがためにその芽が摘まれる事があってはなりません。しかし、これについては優秀な入学希望者へ奨学金を支給する事で対応できるのではないかと思います。
私は学術探求を目的とした大学に高校卒業時点でほとんど全員が進学を希望する事に疑問を感じています。
これは、自社生え抜きによる同質の社員を育成する事によって業務の効率を高めようとする産業界が、4年制大学新卒の採用を重視する姿勢によるのではないかと思います。
しかし、このような雇用のあり方が必要以上に社会の硬直化を招き、世界規模で起こっている産業構造の急激な変化についていく事ができなくなっている事に早く気づくべきではないかと思います。
年齢にかかわらず労働と高等教育を行き来する事が可能な、スウェーデンのリカレント教育のような生涯学習の環境を作ると共に、雇用の流動化を促す事によって、4年制大学に対する極端な偏重を是正していく事が望ましいのではないかと思います。
私は私立大学の教員です。私は貧しい家庭に育ちましたが、60年代から70年代、まだ安い授業料(一~二カ月の家庭教師のアルバイトで一年分を払うことができた)のおかげで進学ができました。それが「受益者負担」という理由で、倍々に値上げされ、賃上げに見合うどころか、他の物価と比べても異常な値上げが続いてきました。国立大学の年間授業料が1969年当時1,2000円、コーヒーが80円から100円でしたから、授業料の上がり方がいかにひどいか分かると思います。
教育によって得る「利益」を個人に負担させるという考え方(教育市場主義?)をいいかげんにやめて、教育というものは国のために有為な人材を育て、優れた技術や文化を生み出すためのものだという考え方にもどるべきでしょう。教育こそ、まさにPUBLICなものだと私は思います。
2回目の投稿になりますが、議論が大学の意義そのものに及んでいると思います。様々な改革案や方向性が提案されているのですが、私自身しっくりきません。「未来がない」または極論すぎるという印象を強く受けました。
大学というよりも高等教育そのものをうまく整備しないといけないように思います。その際に注目すべきは「高等専門学校」の存在かなと思います。ただ、これは高専が今までを地道に積み上げてきた成果であると思います。
したがって、それを簡単に複製できる訳ではないと思いますが、今後のひとつのモデルではないでしょうか? 日本のよいところは、一人の天才を育てることではなく、組織的に才能を作り出すことにあるのではないでしょうか?
「どちらかといえば反対」としました。勝間さんの提言の目的が「教育機会の均等」という側面なのだとしたならば、現実には国公立大学入学以前に問題があると考えたからです。
私は今春、子供を私立の一貫校に入学させました。私の収入では決して楽ではありませんが、ロクに残せそうにない「遺産」代わりにせめて「教育」を残そうと思い、多少の無理を押してでも子供の将来への投資として決断しました。
今回子供を受験させてみて分かったことや受験後に分かったことがたくさんありますが、結論から言いますと、「昔話」は理解するものの、今は遅くとも幼稚園の年中児から塾に入れ、親子共々受験対策の「訓練」を受けなければ国立や私立の小学校入学すらおぼつかないというのが都会の「現実」だということです。小・中・高一貫が当たり前となりつつある中で募集定員が狭まっている中学受験はもっとし烈(金銭面でも精神面でも)であると聞いています。それでも国立や私立を目指す家庭が多いのです。
では何故そのようなことが起こるのかというと、現在の、少なくとも公立の義務教育学校では、児童・生徒を集めるために様々な努力をしている私学と比較して「学費がかからない」以上のメリットを感じないからだと考えます(当然、私立には、一貫校に進学して受験回数を減らす、教育課程が大学受験に有利というメリットもあります。)。
奨学金や教育ローンなどの仕組みがある大学入学時とは違い、入学するまでの過程である受験対策においては(塾代を含め)自己資金で何とかするしかありません。そうなると、自然と有力な塾に行けない(有力塾には入塾試験がありますから)、よって有力校に合格できないことを「収入による教育格差」と考えてしまうのではないでしょうか。
その対策として、高校義務教育化又は選択制(受験が減ればその分にかかる費用は学校・家庭とも楽になる)と、施設及び人材の充実などもっと公立の義務教育学校及び高等学校に「レベルアップ」のための投資と一定の制度改革…既に時代遅れとなった6・3・3制の見直し(6・6制でオール中等教育学校化など)と公立校における「教育サービス」の在り方の見直しを行うべきではないかと考えます。
天然資源のない日本という国は「人材」で勝負するしかないのにもかかわらず、その経費すら削減している現実は、教育や文化など「効果が目に見えないもの」には投資したがらない我が国の政治の貧困と言わざるを得ません。
ちなみに、国公立大学の学費が安くなること自体はありがたいことだと思いますが、私自身は「教育の格差」=「収入格差」は一面的な見方だと考えています。所詮、「孟母三遷の教え」は未だに生きていて、親の教育への関心度と熱意、そして子供自身の熱意と努力が無ければ、どんな制度になろうが、財産があろうが無かろうが「格差」を埋めるのは無理ではないかと思います。
私は、奨学金を機関保証利用で1ヶ月12万円円借りています。保証料を引かれ振り込まれるのは11万3千円です。保証料だけで4年間で33万6千円円払うことになります。たびたび奨学金の滞納が報じられますが何のための機関保証なのでしょう。奨学金の無利息は当然のことだと思います。6月中旬に有識者会議でおおよそ決まりますが楽しみにしています。
国公立大の授業料を減らすという意見については大体賛成です。
授業料が安くなるともっと充実した大学生活が送れたり、家族の負担が楽になるのは魅力があります。その分兄弟が多くなる人が増えたり、より充実した生活をする人が増えることを否定する事はできません。
大体賛成としたのは負担を減らすことを大学の授業料を減らすという形で実現しようとしたことに対して二点心配な点があるので、それについての心配ごとを述べさせていただきます。
(1)国立大学は独立行政法人なので、国立大学自体もお金に困っている又は困りつつある状態にある状態である点。
これについてはまずは国立大学の独立行政法人化を辞めるべきだという論も含めて主張するべきだと思いました。大学自体がお金の心配をしない状態であるという前提がまずあるべきだと思います。
(2)大学に対するイメージについて
社会的に大学で学問をするのは正しいことで、学問をしている大学生は立派なのだからもっと社会的に優遇されるべきであるという論が成立しないのが一部の良い大学を除いた大学の現状なのだと思います。大学生は社会的にもっと優遇されるべきだという論があっての国公立大学の授業料を減らす論なのではないでしょうか?
社会的な要請として大学に行くことを満たすのではなく、大学自体の魅力で社会的な要請を作るのが大学の授業料を下げる論の前提と感じたため、内容は良い事を言っていても大体賛成とさせていただきました。
私は、国公立大の授業料を引き下げることについて賛成です。私自身、海外の大学で勉強していましたが、日本の大学の入学金といったものはなく、事務手数料程度で終わっていました。そのことも踏まえて、日本の大学は、入学するときの「経済的な圧迫」が考えられることにより、低所得者の進学希望者は少ないと感じられます。大学に入りやすい環境の一つとして、「経済的応援」を政府として推進し、少子化でも知識やスキルを高める機会を増やしていけばよいと思います。また、高校生だけではなく、社会人や女性に対しても、同様な応援として「入学金制度」の廃止を考えるということもよいのではないでしょうか。
初めから、高等教育(大学)の門を手の届かない位置にするというも、幅広い日本国民に「国が提供する教育機関」として、もっと国民を応援すべきだと思います。勝間さんのおっしゃっていた「所得による学費」に加え、いろいろな形で、働ける世代の力をもっと発揮できる環境を整えることができる国になっていってほしいものです。
勝間さんがおっしゃる通り、諸先進国の大学の学費と、奨学金制度の整備の進展度合いと日本のそれらを比べた場合、日本が非常に遅れていると考えざるを得ません。
しかし、見過ごしてはならない事実としては、諸外国は学部卒業後多くの場合は大学院に進学し、追加的な教育費がかかっているという点です。つまり、背景も違えば、前提も違うため諸外国との比較を根拠に改善策を考えようという議論はそれほど役に立たないと思うのです。
しかし、あえてそれぞれを考えてみるならば、アメリカやヨーロッパの大学卒でいわゆる一流企業に就職することはあまり多くないのが現状でしょう。
一方で日本は、学部卒から就職へというメインストリームが形成されているため、教育に投資する額とその後のリターンを一定期間内で相殺させた額は、諸外国のそれとトータルで比較してみた場合、案外大差ない、もしくは日本の方が効率よく教育を受けれているのではないでしょうか。
前提としてまず投資できるだけの資金的余裕があっての話をしているので、勝間さんの対象とされる低所得層の負担減と固定格差の歯止めを目的とした提案に少しずれがあるかもしれませんが。
なんにせよ、教育に関する問題はもっと真剣に目を向け、知恵を働かせ解決を図っていかなければならない問題が山積していると思います。その点で、今回勝間さんのご提案されたご意見をもとにこれほど多くの皆さんが意見を交わされている状況に非常に好感を持っております。
私も微力ながら、私の立場で教育環境改善に邁進していきたいと思います。
本提案に対しては、63にて意見を述べさせて頂きました。今回は、これとは別に今後の勝間さんの提案の仕方について、2点「お願い」の投稿をさせて頂きます。
第1に、提案の目的を明確にして頂きたいと思います。前回の早婚の話もそうでしたが、主題が「早婚」なのか「早期出産」なのか分かりませんでした。今回も、大学の授業料を下げることで何がしたいのか?非常に曖昧です。途中までは(1)少子化の緩和(2)所得格差の是正(3)内需の拡大、がテーマかと思いきや、結びで突然「社会で行う教育投資」の問題となってしまいました。これでは何に対して議論すれば良いのか分かりません。軸の置き方で賛成と反対が入れ替わる事も考えられます。今後は、「何の問題を解決したいのか?」をまず明確にして頂きたいと思います。
第2に、勝間さんのご意見の根拠となるデータを、出典だけでも示して頂きたいと思います。字数の制限もあるでしょうが、出典だけなら問題ないはずです。今回の例で言えば、「高い家計負担は、(1)少子化(2)格差固定(3)内需不振、の弊害を生んでいます。」と言い切られている以上、なんらかの根拠となるデータがあるのだと思います。私には、少子化と大学授業料に直接の相関関係があるとは思えません。また、可処分所得に対する消費性向が同じであれば、それを塾費用に使おうが、車に使おうが、景気に対する影響は変わらないと思います。同様の疑問を持っている方は他にもいらっしゃるようですが、それが「根拠」に基づいた意見なのか、勝間さんの私見なのか、を分かるようにして頂ければ、無用な議論は避けられると思います。
余談ですが、日本ではこの「根拠」に対する考え方が非常に希薄だと私は思っています。象徴的なのが今回の新型インフルエンザ騒動です。WHOが5月7日時点で「検疫は無意味だ」とはっきり言っている(http://www.who.int/csr/disease/swineflu/frequently_asked_questions/travel/en/)にも関わらず、日本では延々と空港検疫が続けられ、結局海外渡航歴のない学生から発見されました。しかもまるで犯罪者扱いです。こんなばかばかしい出来事が国主導で平然と行われている国が日本です。教育問題で言うなら、こういった「思考プロセス」に対する教育こそ日本に不足しているものだと私は思います。
反対意見を具体的に述べるため、3票も反対に入れるのは心外だが、このウェブサイトの仕組みがそうなっているからご容赦願いたい。
教育費を少子化と結びつけているが、それでは教育負担の少ないヨーロッパ諸国は少子化が進んでないのだろうか。また、ある国では高福祉社会のお陰で少子化に歯止めがかかったかのような報道が一部にあるが、具体的に検証が進んでいるのだろうか。政治家たちは自分たちの施策の正当性を示したがるものだ。
少子化が問題だと叫ぶのなら,発展途上国になぜ子供が多いのか考えてみるとよい。彼らと同じ行動をとれば少子化など一気に消散するが、先進国に住む我々はとうていまねできないだろう。
日本はG7の中ではアメリカに次いで人口が多く、ヨーロッパで人口1億を超える国など無い。山がちな日本に本当に1億の人口が必要なのかと疑問に思う。ヨーロッパを見習うなら、人口が少ない方が教育環境は充実しやすいのではないかという結論にも達する。EUの目的の一つは,日本やアメリカに対抗する経済圏を作り出すことだが、いかに巨大な経済圏を作ったところで大戦の教訓からブロック経済は認められない。自由貿易を阻害する要因に対し、裏では自国への利益誘導をもくろみながら,各国が目を光らせている。したがって、本当に価値ある商品は全世界で売れることになる。
考えるに、人口を増やして内需を拡大したところで,電話会社のような内弁慶企業が利益を上げるだけで、外貨を稼ぐことなどできない。世界を相手に競争できる企業がなければ食糧自給率40%の日本に食料は届かないのだ。日本の人口が半分に減ってもヨーロッパの大国並みの人口は存在し,食糧自給率はそれに反比例して上昇するがいかがだろうか。また、日本の勤労者のほとんどが第三次産業に従事している現状をみれば、大学の高等教育がどのように仕事に結びつくかが疑問なのである。大学が作り出すべきは、世界に誇れる研究者、世界同時不況を先読みできる経済学者,世界最先端を生み出す技術者、国際感覚に優れ、外交手腕にたけた政治家だ。単純労働力ではない。横並び意識の強い日本人は,皆が大学に行くから進学が不要な者まで大学に行きたがる。
問題なのは少子化ではない。少子化の急激な進行による高齢化だ。
自動小銃の銃弾は昔と比べて小さくなっている。なぜか。もちろん,携行弾数が増えるという点もあるが、要は敵兵に死んでもらっては困るわけである。死んでもらうより、けがをさせて戦闘能力を奪えば、その救護のために人員を割かなければならない。1発で2人敵兵が減るわけだ。介護老人が増えれば、介護に人的金銭的資源を割かなければならない。頭でっかちの組織は放っておいても硬直化する。若者というこぎ手は、やっと大人になっても,こぎ手より人数の多い船頭さんたちのご指導を仰がなければならない。年功序列で人件費だけは高騰する。世界的競争から取り残されていく。
そして日本丸は山に登る。
OECDの目標の中に高等教育進学率の上昇がありましたが、今の日本の高等教育を考えれば、上げるだけ無駄であると言わざるを得ないでしょう。
現在私はイギリスの大学院で勉強していますが、英国の大学制度の失敗の一つに1992年の拡大路線があります。要するに規制を緩和し、大学の数を増やしたのですが、結果としてホテル業務を学ぶなど、本来の大学の姿とは程遠い大学が増えただけでした。日本でも同様のことが議論されています。
一方で、日本の場合は、トップと言われる大学のクオリティ、制度に大いに問題があります。一言で言えば、閉鎖的であるがゆえに質の低下が生まれています。一概には言えませんが、ネットで検索したときの論文の少なさには、がっかりしますし、ポスドクと助成金の問題のように、社会貢献性の少ない研究が未だに残り続ける日本の高等教育の状況自体が問題と言えます。
このような状況の大学の価値を引き上げること自体に価値はなく、しかも公立大学の値下げを行ったところで、全体の一部であり、そのインパクトは限定的です。さらに大学へ行くためのコスト(予備校など)を考えれば、大学の学費が一番の負担とはいえません。
根源的な問題は、大卒信仰にあると思います。多くの企業が大卒以上のものしか採用しません。しかし、実際に大学で学ぶことがあるかといえば、今の制度ではそれほどありません。ただ、比較的優秀な人材が大学に行っているために、大卒以上という条件を企業が定めているというのが現状でしょう。
つまり、何が必要かといえば優秀な人材が大学へ行かずとも、働けるようなシステムの整備であり、それはむしろ大学との離別を意味します。たとえば、公認会計士の資格を大学へ行かずとも得られるのであれば、それが企業への門戸となるような体制こそ、今の日本には必要なのではないでしょうか。
大学には、たしかに多くの可能性も価値もあります。ただ、現状の日本の旧態依然とした大学制度の中に価値を見出すのは難しく、そのようなシステムの価値の向上を図るよりも、むしろビジネスへの近道を生み出すことのほうが、今の日本には必要だと思います。そして、公立大学の学費の値下げは、おそらくポスドク問題のように、社会適応性にかけた研究者を作るだけで、欧米のような社会に貢献する大学を作り出すことにはならないでしょう。
よって、大学の学費を減らすよりも、大学の数を減らし、さらに資格制度などの充実を図り、大学とは異なる就職ルートを作ることが、最善の策ではないかと考えます。
大体のところ賛成です。
特に優れた学生達には今でも、奨学金などいろいろな制度があると思いますが、そうでない学生は、金銭的余裕がなければ、あきらめざるをえないことも多々あるのではないでしょうか?ただ、高校卒業時に優れていなければ、奨学金などを受け取るチャンスがかなり下がると思います。
一度社会にでたり、フリーターになったあとでは、その人物がいくら可能性を秘めた人物であっても評価されないのが、今の日本の教育制度ではないかと思います。そのような方たちにもチャンスがひろがるのなら、良い案だと思います。
ただ、根本的に、教育制度に問題があると思います。大学受験のためだけに子供時代を費やし、大学に入り、自ら学ぶべき段階に入ったとき、ほとんどの方は、学ぶことをやめてしまっているのではないでしょうか?
大学入試に成功した時点で、あたかも人生の成功者になったかのようです。一度、社会に出て、本当に学ぶ必要を感じた方々が、日本の大学ではなく、海外の大学を選ばれるケースが多いのは、日本の大学では、社会人が本当に真剣に学ぶことができるような雰囲気、制度が整っていないからではないでしょうか?
他の先進国と比べて、現在では日本が特に優れているという状況ではありません。なのに、日本の多くの子供たちは、塾に時間をとられ、子供時代に経験すべきことをしないで大人になっているように思います。そして自ら学ぶことなしに押しつけられたことをこなしただけで社会に出ている様な気がします。
こんな、教育制度が続くようでは、本当に日本の将来が心配です。国際化云々で英語教育に力を入れたりしていますが、知識ばかりで、実際の社会で考えたり応用したりする力がないのは、明白です。
短期的には、この意見に賛成ですが、長期的にみると、教育を考え直すことに、その費用を使ってもいいのでは、と考えます。焦点がずれてしまい。申し訳ありません。
建設的意見も述べる。
1 地方に住む若者の多くが都会の国公立に行きたい。夢がかなうなら東大に行きたい。国公立の授業料くらいなんとかなるが、生活費が問題だ。東大を東北地方に移転すればよい。現在の敷地を売り払って、田舎に土地を購入すれば、全寮制にできるかもしれない。東大生も学費無料の変わりに全寮制にしたらどうか。アメリカだ,ヨーロッパだと言わず、IIT(インド工科大学)を見習う。
2 東大が移転に反対したなら(たぶん反対するだろう),大学に対するブランド意識をなくすために,全国の国公立大学を東京大学と京都大学に統廃合する。2大大学制にして競わせる。採算のとれない校舎は廃止。
3 マスコミ、特にテレビでは,討論会のネームプレートから「◎◎大学教授」の個別名を取り去り、身分や専門のみを表示する。出身大学を特定できる話題にはピー音を入れる。一般企業の採用に学歴を消させるなどできるわけがない。企業の存亡に関わる。企業は大卒者がほしいのではなく,優秀な人材がほしい。募集費用は莫大だ。本音は、底引き網でがっさりすくってあとからゆっくりと大魚を選抜したいのだ。実際は大量に面接すれば一人あたりの時間が少なくなり、間違いが起きてしまう。ところが有名大学という漁場には雑魚も混じっているが、大魚の確率が格段に高い。マスコミが脱学歴社会を先導すればよい。
4 センターテストは、実際解いてみるとわかるが国数英は時間勝負。瞬発力の衰えた中年以降なら、時間不足に陥る。数学は思考力より計算力、あれだけの計算量を1時間でこなそうと思ったら、1つの計算ミスが命取りだ。社会のみならず理科も暗記科目にほかならない。この手の問題は,研究者を選抜する大学入試には不向きであり、有名大学ほどセンター比率が低いのは周知の事実だ。
センターテスト、大検廃止。代わりに5科目を,全国統一総合学力検定とする。検定好きの日本人なら飛びつくだろう。採点の便を考えマークシート方式。上・中・初級の3パターン程度作成し、年齢制限なし。加齢による不利を補うために、時間の余裕を持ったテストとする。何度でも受検可能。すべての公務員採用の一次試験も兼ねる。大学入試に利用するのも自由。一般企業も学歴の代わりに採用の参考とできるよう本人および企業に得点証明書を交付する。受験料は高めに設定して、会場・スタッフの確保に利用する。当然、不正をはたらいた者には受検側検定側ともに罰則を設ける。自らの立場を利用して検定結果の改ざんを行った者は特に重罪。低所得者は検定料免除。検定を利用する企業からは手数料を徴収し、募集要項に示させればよい。
もちろん,典型的なゼネラリストである政治家という職業を志す者は全科目受検、選挙の際の公示には、大学名ではなく、検定級と検定得点を併記。いわゆる世襲制限など必要なくなるし、漢字の読み間違いをする議員も減る。賢明なる選挙民なら単なる学力検査の得点のみならず、候補者の人間性を「総合的に判断して」一票を投ずるだろう。
最近、マスコミでは、ヨーロッパ型資本主義への賛同意見著しいですが、もうアメリカ型にもどったりしないのですね。
ヨーロッパ型資本主義を見習うなら、最初に消費税と高所得者の課税を引き上げることを論議するべきだと思います。収入の目途もないお金の使い道を考えるなど、経済ではありません。それに、減らせとはおっしゃってないようですが、もしこれ以上公共工事を減らせば、優秀な土木技術は海外に流出するか新興国に抜き去られるかです。それ以前に、土建屋のおっちゃんたちが拾えなくなった進学できない若者たちはどこへ行くのですか。
スライド式にしろ私学助成にしろ、結局は財源の必要なことです。スライド式などという横文字を使った時点でもう怪しい。裏に隠された事実をごまかすときの官僚用語かと思いました。
逆に、官僚の皆さんたちは、政治家からアバウトな説明を繰り返されて困っているかもしれませんから、私が官僚の実務を司る者と仮定して逆に質問します。スライド式といいますが,家計の苦しさを納税額や所得証明で秤にかけるのですか。本人の能力や努力を主観抜きで算定する基準をお示しください。また、割引率の計算式を具体的に明示してください。早く示してくれないと、250万人分の算定をしなくてはいけません。「割引率が低いのは不当だ」などと苦情を受けるのは我々です。私学に対する助成金額の基準となる算定式も示してください。計算式には温情係数の項目を入れないでください。NSC(吉本総合芸能学院)に通う苦学生は援助の対象外ですか。給与水準の低さが問題となっている介護士を目指してがんばる苦学生も対象外にしてもよろしいですか。
古くは中国から、近代は欧米から知識や技術を取り入れた日本人は、今でもブランド物大好き、枕詞のように「アメリカでは」、「ヨーロッパでは」、「東大は」と語り、所得の再分配など一見弱者の味方のふりをした心地よい響きを持つスローガンを掲げれば意見を集約できるかもしれませんが、お金を出す段階では賛否が逆転する可能性が高いように思われます。「テレビで仕入れた楽勝ダイエット方法、実際試してみたらきつかった。」「新しいパチンコ台、最初は出たけど今はもう……次に期待」などとならないよう私は最初から反対します。それに賛成の意見でも、大学の費用を保護者が出すことが前提となっている場合が多いようですが、それこそアメリカを見習って進学する本人に出させればいいでしょう。保護者は責任など感じる必要はありません。仮面浪人という裏技もあるくらいですから、1年くらい浪人するつもりで合格後に働けばよい。幸いなことに日本には学習塾や予備校というものがはびこっており、慢性的な優秀人材の不足に陥っています。本人が優秀なら時給数千円でも雇ってくれるかもしれません。大学が学費を稼ぐための休学を許せば済む話ではないですか。貧乏から脱出するには、相応の努力が必要なのは古今東西変わりありません。
その昔、トキを保護する目的で生き残りを全部捕獲してえさを与えたのに結局絶滅しました。
国公立・私立大学の学費負担が軽くなるのであれば、それは賛成が多いでしょう。昨今の経済状況を考えれば当然と思われます。しかし今回問題とすべきは、テーマの前提にあります。
まず日本の場合、首都圏(関西圏)と地方では教育を取り巻く環境が異なる事に留意しなければなりません。地方は公立優位、一方首都圏は私立優位で、そして過去最高レベルで中学入試熱が過熱しています。首都圏においては、大学の学費よりも、「大学に合格するまでの費用負担」の方が大きいように思えてなりません。都市部と地方、ここを明確に分けて考える必要性を強く感じます。
国立大の学費負担を軽減するのは賛成です。ただしかし、それは必ずしも首都圏では効力ある施策とはなりえません。『週刊朝日』4/3号によれば、2009年度東京大学合格者ランキングベスト20の内、実に15校が私立校です。それらの学校は中高一貫であり、高校募集しない傾向にあります。文部科学省のHPによれば、中学から私立に行かせた場合、高3までにかかる学習費は約1054万円、小学校から私立の場合は約1700万という計算が出ています。これらはつまり、国立大の学費軽減という恩恵を受けるのが、中学から子供を私立に通わせた富裕層という笑えない状況が、日本最高峰の大学で起こる可能性を示しています。私はむしろここにこそ、改革のメスを入れる必要性を感じます。
具体的には、公立小・中学校の更なる底上げを継続して行なうべきです。現在の中学受験熱は、公立不安に起因する部分が大きいからです。様々な手段が考えられると思いますが、予算増額と教職員の人員増強、この2点は不可避と思われます。
我々の世代はとても安く小遣い程度の学費で卒業させていただきました。それはそれで有難いことでしたが、果たしてそうでなくてもいいのではないかと思います。
奨学金制度、また所得による授業料免除制度も国公立大学は恵まれてあります。我が家の子供たちも恩恵を受けました。無償にするのではなく学生が社会人となったとき、自らその恩恵に感謝し、次の世代のために送るというのがあるべき姿ではないでしょうか?
税金はただ注ぎ込むだけでなく、もっと奨学金の額を増やしたり枠を広げたりして多くの人が恩恵に預かれるようにすればいいのです。そうすることにより社会に貢献するという意識を喚起すべきです。
社会に出たとき一体どれほど社会貢献について考える大学生がいるでしょう。今の生徒は常に『自分のためでしょ』と言われて点数を取らされ、偏差値の高い学校へそして大企業へとレールの上を走らされているというのが多いのではないでしょうか?そんなふうにみえます。
それよりも今もっと考えないといけない、税金を注ぎ込まないといけないのはどんな子供たちを育てたいのか、そのためには何をどんなふうに教えるべきなのかということではないでしょうか?
教科書の内容を特に小学生から練り直す必要があると思います。社会性の欠如がとても気になります。教育学者のみなさんにもっと頑張って頂きたいと思います。
大賛成です。
かつての国立大学の授業料は安かった。私は現在50歳ですが、授業料は年額14万4000円でした。入学した年(1年生)のとき、先輩方の授業料を聞いてびっくりしました。倍々に上がったんですね。1万8000円→3万6000円→7万2000円(年額。だいたい大体の数値です)。安いなあと感じました。このような授業料で国立大学でいい先生に学べて就職できるのは、幸せだったんですね、昔は。医学部、歯学部の学生は、このお金で医師、歯科医になれんですよ。が、この授業料でも、苦しかった家庭は多かったと思います。自宅から通えればいいですが、そうでない人は下宿代がかかりますし。私の友人ではそんなに苦しい家計の家の人は、いなかったと思いますが、先輩で昼食は水を飲んでいたという方がいます。授業料が安かった30年前でもそういうことがあったんですよ。
優秀だけど、金がないから大学に入れないという状況では、確実に日本は滅びます。いったい日本はどうなってしまったんでしょう。そりゃ、中学から有力中高一貫校に入れれば、それなりの大学に入れる確率は高くなります。でも、それではだめなんですよ。大学に行けない理由が家の家計が苦しいからということでは、優秀な子を見逃してしまうことになります。その子はひょっとしたら、ノーベル賞を取って日本に外貨をもたらす子かもしれないんですよ。
そういった直接的な利益よりも、大学に行きたくても金がないから行けないという状況は解消すべきだと思います。日本は先進国ですよ(いや、実は後進国なんだよと開き直りますか)。本当に教育費の負担は大きいです。
可処分所得は、我々の世代は我々の父母の世代よりも少ないかもしれません。授業料を決める役人の方々は、お金は天から降ってくるものと感じられているんでしょうけど、そのお金は我々民間が汗を流して生み出したものです。安易に財政再建だけを図る予算計画では、国は滅びます。国を救うかもしれない人材を取りこぼさないような施策にしてもらいたい。
大学自体のことについてひとこと。30年前は4年制大学が400校ぐらい、現在は700校! 4年制大学ですよ。短大の数は入れてないですよ。こんなに必要ですか? 必要でないです。2年制から4年制に衣替えした理由は、少子化で2年間授業料を取るよりも4年間授業料を取った方が、経営が安定化するかららしいです。もしかしたら、文部省役人の就職先、大学の先生の就職先確保という意味もあって新設大学ができたのでしょう。しかも、大学はそれなりの給料ももらえますしステータスもありますから、いい就職先です。
勝間さんの国立大の授業料を下げる、私立大生向けの給付金は大賛成ですが、大学もリストラしましょう。文科省は地方国立大学をリストラしたがっているように見受けられます。地方国立は、その地方における一大企業という側面もあるので、ばっさりと地方国立大学を廃止するのはかなり問題が発生するとは思います。が、研究レベルの低い大学は、大学でなく、別の組織にした方がいいかもしれません。研究大学と同じ教授職では、教授という職名が泣いています。