インターネットはここ数年、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、ツイッター、動画投稿サイト「ユーチューブ」など、さまざまなツールの出現により、単なるメールとウェブ閲覧の手段から、人と人とが直接つながるメディアへと発展してきました。
一方、ネット内ではまだ、匿名やニックネームが中心で、実名での表記はまれです。その結果、健全な助け合いが本来、ネットメディアの望ましい姿であるにもかかわらず、一部には、過激な中傷があとを絶ちません。「炎上」という形で多数の人から非難された結果、閉鎖するブログもあります。
しかし、ネットがメディアとしての信頼性を高め、既存のメディアと肩を並べる存在になるには、表現者が自分の名前を開示し、責任の所在を明らかにすることが不可欠だと私は考えています。匿名コミュニケーションのままでは、いつまでもネットは周辺メディアの位置にとどまるでしょう。
もちろん、ネット上のすべての表現について実名を開示する必要はありません。しかし、少なくとも人とのつながりを目的とした利用においては、できる限り実名を明らかにするのが好ましいと考えます。
一方、実名にすると気軽なコミュニケーションが阻害され、あるいは、個人情報の漏洩(ろうえい)につながるのではないかと考える人もいるでしょう。しかし、クロストークも開始以来1年間、実名主義を貫いてきましたが、活発で的を射た討論が続いています。さらに、実名であることにより、複数のトピックにわたって投稿くださっている方の考えを追うこともできます。今のところ、問題は生じていません。
もちろん、他人の名前をかたる人物が現れたり、名簿が売買されたりするリスクはゼロにはなりません。さらに、企業に勤務をしている方の場合には、社内情報の漏洩や、立場上まずい発言をしてしまうなどの問題も起こり得ます。しかし、これらはすべて、ネット外の実社会(オフライン)でも同じことです。他人の名前をかたることや、会社の守秘義務に反することは、どのような場であれ認められないのです。
ネット上で実名主義をとるにあたって、プライバシーをどう守っていくかは、今後の課題です。しかし、自分の名前を開示して、発言に責任を持つことは、相手とのかかわりを深め、理解を求めるための必要条件と考えます。
ネットを過激な陰口の場にしないためにも、思い切って、実名主義を進めてみませんか。それによって、コミュニケーションが円滑になるほか、ビジネス面での利用の際の信頼性も高まると確信しています。
ネットでの実名の薦めについて、みなさんのご意見を毎日jpまでお寄せください。(経済評論家)
◇
今月より、提言の次の回(2週後)には、反響に対する勝間さんの講評を掲載します。それにより、読者のご意見をこれまでより詳しく紙面で紹介し、読者と共に1つのテーマをより深く掘り下げることが狙いです。これまでにもまして多くの活発なご意見をお待ちしています。どうぞよろしくお願いします。
今回のテーマについては、10月11日までにいただいたご意見を勝間さんの講評対象とし、ベストアンサーを選びます(ご意見そのものは16日午後5時まで受け付け、そこでいったん締め切ります)。18日に勝間さんの講評を掲載し、それについてのご意見を、30日午後5時まで受け付けます。
問題点としては、メディア信頼性向上や既存メディアとの競争を、インターネットの参加者が望んでいるのだろうかという点である。個人的には、望まない人が少なからずいて、実名による表現を望まない人が多い状況があります。
インターネットは、古代ギリシャのような民主制に近い形態ではないかと思う。誰もが、一定の権限で参加し、一定の範囲で平等であり、一定の自己責任を負うことで、インターネットに参加している。私自身にせよ、実名での記述もあれば、実名でない記述もおこなっている。これは、インターネット上では、個人特定の名称の数だけ、個別に周囲に適応するためのペルソナ(人格)を持っていると個人的に判断している。
参加者個人の持つペルソナが、一定の空間に対して所属するグループで構成され、校正されたグループが、ぼんやりとインターネットの空間に所属している形になります。つまり、一個のペルソナが参加するインターネットの空間そのものは、それほど大きな空間ではないことが多いと思われます。
匿名であっても、一定のグループ内で名前と顔が一致していることは良くあることで、一定のグループ内では、匿名であっても実名とほとんど変わらないケースが多いのです。こういった場合は、匿名であるからといって、グループ内での責任を回避することはできません。
こういった状況を踏まえれば、実名が必要であるか、必要でないかは、表現の場によって違うべきです。 実名が必要と感じる方は、実名での参画が必要な表現の場(ムラ)を築き、賛同者と共に、実名での参画をおこなっていくことで、インターネットのメディアとしての信頼性を高め、既存メディアと肩を並べていくことを目指していけばいいのではないでしょうか。
個人で対応可能な範囲に限界がある以上は、インターネット上での実名での参加は、あくまでも個人で決定すべき問題であると判断します。
ご意見に反対です。と言うよりも、「実名・匿名どちらが良いか?」という分別自体がナンセンスだと思います。
例を挙げるなら、勝間さんの大好きなTwitterです。先のイラン大統領選挙後混乱の中、世界中から注目を浴びました。
厳しい報道管制・情報統制の中、現地の情報を海外に流す有益なツールとして活躍したわけですが、反大統領派の市民が「実名」で呟いていましたか? 呟けますか? 言わずもがな、ですよね。
極端な例とのご指摘があるかもわかりませんが、「時と場合によって実名を名乗れない状況と言うのが必然的にある」のは、一見平和なこの国でも同じですよ。
我々は時と場合に応じて、それらを使い分ける。匿名でも実名でも有益・無益な発信が両方ある。それだけです。
勝間さんご自身は「名前で商売されている人」ですから、実名の方が何かと都合が宜しい、と言うのは理解できますし、それを非難するもありませんが、同意は出来かねます。
「実名で提供される無益な御題」と言ったところでしょうか。尤も、ページビューが増えている様子ですので、毎日新聞さんには有益な御題であったとも言えましょうか
賛成です。
まあ、提言自体に意味がないと思われるので、それに対する賛成、反対どちらでも意味を持たないのですが。
今回の提言はショービジネスとして一定の成功を収めているのではないでしょうか。
つまり、ショーを見たくて、あるいは参加したくて投稿やアクセスが増えればサイトの上にあるバナー広告について、高い価格をつけたりサイト自体に関心度の高いサイトとしての評判を得られるわけです。
そう勘ぐらざるを得ないほど、今回の提言は低品質だと思いました。「ネット上で実名主義を奨めたい」ということですが、動機として上げられているのは「ネット上での過激な陰口」ですか?
年間自殺者数が3万人といわれている時代になんという「ぐずぐす感」なのでしょうか。
ある種の驚きを禁じ得ません。
話は、戻って「実名主義」ですが、経済学用語でいう「ロックイン」で考えると分かりやすいのではないでしょうか。つまり、ネット上のサイトごとに「実名主義にロックインしている」「匿名主義にロックイン」しているという具合にです。一般的にあるロックイン状態から他のロックイン状態に移行するにはコストがかかります。しかし、今回の提言はその移行コストに見合うメリットを提示するでもなく、ロックインに至る過程を分析するでもなく。
ロックインから脱出するためのコストの実体について分析するでもなく。
少なくとも私は、提言の意図に共感できませんでした。
勝間さんが提起しているのは、「ネットメディアの地位向上のために“ネット上でも実名で”」ですよね? インターネットについて認識があいまいなため、題名と内容が一致しておらず、誤解をいろいろ生んでいるようです。インターネットの性質上、実名がその人個人を表すということを担保するには、現在の技術では不可能でしょう。IDで管理しようがパスワードを設定しようが静脈認証で管理しようがいくらでもなり済ますことが可能だからです。また、出版物と違っていくらでも編集や改ざんを行うことができますし、管理者が利用することも可能なため、「勝間和代のクロストーク」が、究極を言えば勝間さん本人がやられている保証はありません。
インターネットには多種多様なサービスがあります。「勝間和代のクロストーク」のように実名で利用するサービスもあれば、2ちゃんねるのように匿名で利用するサービスもあります。そのサービス毎に規約が決められ、利用制限が存在します。
それらは、そのサービスを利用する人自身が選び利用するわけで、匿名であろうが実名であろうがそれは利用者側が判断することです。それを規制することは、選択の自由を侵すものになってしまうので、否定することは間違っています。
ただ勝間さんが意図しているのは、「ネットメディア」の地位向上であると思われるので、実名で利用するサービスを作ればいいだけの話だと思われます。そして、それが「勝間和代のクロストーク」ではないのでしょうか?
ネットメディアとインターネットは、同一のものではありませんし、似ているものでもありません。ネットメディアは、インターネットというネットワークの上に存在している一サービスにすぎません。
従って、インターネットすべてを実名で利用することは、論点のずれた話であり、ネットメディアの地位向上を目指すのであれば、「勝間和代のクロストーク」のような実名利用のサービスを作り運営していけばいいだけの話だと思います。
そもそも、「実名=信頼できる」という思考回路が、旧来の常識に縛られた思考停止です。著名人の実名と一般市民の実名の信頼度は同じですか? ついでに肩書きも必須にすればもっと信頼度上がりますか?
そう、実名なんてコミュニケーションにおいてはハロー効果の意味しかないとも言えます。
よく、「ネットもリアル(現実)もいっしょ」という論調を見かけますが、私はそれに同意しつつも「全く別の世界として考えるのも間違ってはいない」と考えます。
現実と違う人格をネットの中に持つことの何が問題なのでしょうか。議論を盛り上げるためのツールとして、ジサクジエンを活用することは本当にやってはいけないことでしょうか。
「リアルの常識の全てがネットでも常識であるべき」という常識を、我々は少なくとも一度は疑ってみるべきです。それこそが『既存メディアとは異なるネットの新たな価値』を、ひいては『リアルの世界と常識では生まれ得なかったビジネス』を創出する第一歩だと考えるからです。
「匿名性を活かしたビジネス」がトレンドになる可能性も否定できないはずですから。
勝間さんは、一般人が実名でブログや記事を書くとどうなるかご存知ないようですね。
私は、ライブドア・パブリックジャーナリズムという2005年のウェブメディアで、市民記者として実名発信をしました。結果、ウェブ上で「体罰主義者」とのバッシングを受け、一時期はグーグル検索で7万件をヒットするほどのお祭り騒ぎでした。同様に、実名で言論した市民記者もバッシングを受け、本業に支障を与えかねないということで、市民記者を辞めました。また、MIXIでは実名主義を謳ったために、ケツゲバーガー事件が起こった。
勝間さんのようにすでに有名になっているからバッシングも当然という方ならいざしらず、一般市民が実名で発信することは、たいへんなリスクを負っているのです。さらにいえば、有名人は、バッシングを受けたとしても有名税と自分を納得できる。バッシング対策をメディア社の人たちと共有することもできるでしょう。しかし、一般人・無名人にはそのような所作は一切できません。私たち家族も当時警察に相談しましたが、エイベックスの社長じゃあるまいし、取り合ってくれませんでした。勿論、警備員をつけるような経済的余裕もありません。
そのような結果、実名で言論する人は、ありきたりで摩擦の少ない言論ぱかりになっています。結果、ウェブには、肯定したり褒めたりする言論ばかりで、否定したり批判する言論は少なくなっていく。つまり、規制はないとしても、実名が自主規制を強いることで言論空間としてのウェブは歪になっていく…。マスコミの人たちは、匿名者たちの名誉毀損について指弾しますが、名誉毀損は匿名者の言論に対して行なわれるのではなく、当該案件の事実・真実性において吟味されるべきものです。したがって、匿名者の言論たちに責任を求めるというのは筋違いと達観すべきです。
さらにいえば、言論人ならば、「自由で制限のない言論空間」を理想とすべきであり、実名によって、一件秩序だって見えるが、実は自主規制に歪められている言論空間を求めることに知識人・リベラリストとして反省はないのでしょうか。
勝間さんのような社会的発信力のある方が、すでに十年来語りつくされている案件に発言されるのは、いかがなものでしょうか。既得権益の側であるマスコミの利益を代弁して言論されているのかもしれませんが、それをウェブ上でなさることは、無為であると私は感じております。
「どちらかといえば反対」です。
私は実名で公開しているブログとホームページがあり、実名を出して商売をしています。私の名前で検索すれば、ほぼ一発でたどり着けます。おそらく、そういう人でもなければ、実名で語るメリットはないのではないでしょうか。そうでない人は、無駄に個人情報を晒すことになりかねない状態となります。
街頭インタビューの模様がテレビで流れていることがあります。気軽に応じている人もいますが、顔を晒して意見を言うことに抵抗をおぼえる人は多いです。なぜなのか?
名前は出さなくても、「顔」+「声」という「周囲の人に『あの人だ』という固有の判定を明確にしやすい情報」を晒してしまいます。それだけでは名前を検索するすべがないので、全くの第三者が「その人だ」と特定することはできませんが、周囲の人にはわかる情報です。
単純な話、「自分の周囲の人から『あの人はあんな事を言う人だ』と思われたくないから」。それだけのことです。
ネットでも同じ。普通の人は、「名前を出すことで全国に名前が知れ渡る」ということよりは、「周囲の人に『あいつはネットであんな事を言っている(いた)』と言われる」事をもっとも気にするものです。それでも実名を晒すことに抵抗のない人は、おそらく実名を晒して商売をしている人だけでしょう。
実は私と同姓同名の人がいます。「名前」だけでは、どちらの発言かを特定できません。それはそれで問題ではないでしょうか。
ところで、コメントで実名を晒せば炎上は避けられるものでしょうか? いいえ、決してそんなことはありません。
最近の事件で最もわかりやすいのは、某アイドルの薬物騒動。あれは「炎上」以外の何物でもないでしょう。匿名コメントのネット上だと、たった数人が名前を変えて何度も書き込むことにより、ものすごい人数が大騒ぎしているかのように演出することも可能です。「ネットならでは」の現象と言えますが、見方を変えれば、某アイドルの薬物騒動も、マスコミの演出はそれと同じだと言えます。
有名人ブログが炎上するのは、本当に多人数が反応した結果でしょうし、何よりも、本人が不穏当な発言や行動をしたのと、安直に「即時コメント公開」を許可しているから。
「そうしないように気をつけなかった」という、因果応報に過ぎません。ですので、炎上は匿名コメントだから起こるわけでは決してなく、即時公開制だから「一気に炎上に至る」だけであり、不穏当な発言や行動を「全国レベル」で晒せば、炎上する時はするものです。炎上は「実名コメントだからなくなるもの」ではないのです。
ネット上での実名主義については大反対です。
投稿されたコメントに既出ですが、たとえば僕の名前が本名かどうかをどのようにして判断するのでしょうか?また、誰かが偽って僕の名前を使用したとして、それを僕の書き込みでないと証明するのにはいささか苦労が伴います。つまり、実名を書けと言ったところでその点に関して全く信頼性がない。このサイトのように、善意での実名書き込みを依頼するやり方では実効性に疑問があります。いや、それどころか僕にとっては嫌悪感の対象ですらあります。
そもそも、実名公開することによって起こりえる不利益を我々のような素人に明示しないことはプロの文筆家、報道系のWEBサイトとしていかがなものかと思います。技術的にも支援体制的にも万全なプロの土俵に、一人ずつアマチュアを引きずりこもうとしていると指弾されても言い逃れできないのではないでしょうか?
たとえば、僕がこの書き込みを行ったことによって、会社の上司から「あいつはめんどくさそうな奴だ」と不当に疎んじられるかもしれません。また、急ぎの仕事を今現在抱えていたとして、クライアントがこの書き込みを見たら「こんなことをしているヒマがあったら、さっさと仕事しろ」というような誤解を招くかもしれません。
ハッキリ言って、良心を持ったアマチュアが実名公開するメリットは少なく、デメリットばかり目に付く。しかし、プロは実名公開で活動すること自体がカネを生む仕事に直結する。
またどうしても識別が必要ならば、なにも実名公開ではなく、個人個人にユニークなIDを割り振れば事足りるはずです。公正な認証機関が厳正な本人確認を行ったうえで発行するデジタル署名を用いれば、個人識別は可能であり、なりすましも防げます。ただ、現時点では法的な整備も含めて誰もが簡単に利用できる環境は整備されていませんが、安直な実名公開主義よりもユニークIDの発行のほうがよほど論理的だと思います。
私は実名主義を支持します。
「公衆閲覧サイト」での発言者を特定できるのであれば、実名でなくても良いと思いますが、現時点では確実な方法がないので、名誉棄損という犯罪の抑止力として実名主義を支持します。
インターネットは自らの意見を多数の人に発信できますが、憲法で保障されているの言論の自由には当然、義務も伴います。それは「自分の発言に責任を持つ」という義務です。これは民主主義国家における最低限の義務だと思います。
実名にしても誹謗中傷が減らないという意見もありますが、それは本質ではないと思います。実名で相手を堂々と批判することは、全く悪いことではないですし、言われた方も事実に反すると考えれば、名誉棄損で訴えます。当然、公に発言する場合は誰しもできるだけ事実に基づいて客観的な意見を述べようとしますし、それができない場合は、あくまでも憶測であるということを明記します。これが現実の世界の「抑止力」です。
名誉棄損は刑法罰でもあります。根拠のない誹謗中傷を繰り返せば、最悪、犯罪者になるというのが現実の世界です。インターネットが社会インフラになり、仮想空間も我々の現実の生活空間となった今となっては、仮想空間は別という考え方はとても時代遅れだと思います。
なりすましも、仮想空間における犯罪取締り方法は大いに改善の余地があるとは思いますが、基本的には刑事マターの問題です。
言いたいことが言えないという人は、SNSのプライバシーレベルを管理して仲間内で話せば良いですし、メールやチャットもあります。私が問題にしているのは「公衆閲覧サイト」だけです。
プライバシーについても、住所や電話番号を晒さらさなければ問題ないでしょう。
教育や啓蒙の問題というのは、考え方として大いに共鳴しますが、ネットカフェなどで書きこむ輩も多いので、現実には何らかの強制力を導入するしかないと思います。残念ながら犯罪者は教育や思想だけでは抑止できません。しかしその上で、公衆閲覧サイトでは実名で書くのが義務という教育や啓蒙を行っていく必要はあると思います。
最大の問題は、現実にネットの誹謗中傷によって苦しみながらも、相手の身元が特定できず泣き寝入りしている人が少なからず存在するということだと思います。もちろん誹謗中傷を繰り返す人は一部の人でしょうが、現実空間でも犯罪者は一部の人です。
反対を表明している人の意見を読みましたが、現実に苦しんでいる人々に対する救済策について言及している方は殆どいらっしゃらなかったように思います。
子供の世界でいじめが問題になって久しいですが、これは大人の社会に他人が苦しんでいるのを見て見ぬふりをするという風潮が蔓延しているからではないでしょうか? もし自分の家族がそのような目に遭ったらどうされますか?
かつてこの国はマスコミも大衆もこぞって戦争を美化し、少数の良識ある言論を封殺してしまったという過ちを犯しましたが、ネット上の匿名による「言論」もどきの無責任な大量の誹謗中傷を放置することは、健全な民主主義に対する大いなる脅威だと考えます。
やはりこの手のテーマは、発言もかなり活況になりますね。
匿名でもいいサイト、実名でしか受け付けてもらえないサイト、そもそもそういうことさえ話題にもならないサイトetc...。 いろんなサイトがあっていいわけで、みなさんが仰るように、各個人がTPOで使い分ければいいだけのことですね。
実名を求められているサイトに対してわざわざ「それはおかしい!」と批判しても無駄なことです。 同時に、匿名で書き込まれているコメントに、そこまで気を取られることもやはり無駄なことです。
実名でも無責任なことしか言わない人間もいれば、匿名でも人の心を打つことを書く人もいます。 そんなことをいくら議論しても、すべての状況を網羅して、一つの結論を導き出すことなんてできるはずもありません。
そう思うと、ますます勝間さんがこのテーマを今回持ちかけられたのかが疑問として残ります。 このテーマを掲げたことで得たかった環境はどういう環境だったのかも想像できません。 もしかして「議論を活性化させる」こと自体が目的であって、「その議論で何を結果として導くか」ということは目的ではなかったのかもしれません。 単なる「いろんな意見収集がしたかった・・・」という感じかもです(笑)。
興味があるのは、今回のテーマの多くの回答から、どれを「ベストアンサー」として選出されるのか、という1点ですね。 これで勝間さんの思惑がはっきりすることでしょう。 今回コメントを寄せた方々がガッカリするようなことにはなってほしくないです。
僕はそれが非常に楽しみです。
パソコンなんて、この様な使い方する(公開ミーティングみたいな引き込み) 、使い方しか出来ない大多数の人にとっては、[大人のおもちゃ]て゛あるという事をしっかり頭に入れて使うべき、考えるべき。
臨機応変、実名でも、匿名でも、ニックネームでも、自己の使った刀の跳ね返りを用心しながら使用すればよいだけの事。
多分に、勝間さんのように、写真とか実名で一見堂々と公表される方は、自己顕示欲、もしくは売名行為がある方が多いみたい。 一般論。
何も、物事を小難しい言葉表現したからと言って知的に見えるわけでもない。
顔つき自体ある程度はその人の心を映し出すものであるのて゛、それに、その方の言葉使いや、ものの考え方、身振り手振りのめまぐるしい動作を合わせて観察。
更にパソコンの場合、匿名、顔も見えない場合が多いので、その方の文章内容、配分、配置、漢字を使用しているのか、やたらカタカナ、英語見たいな表現が有るとかで、実名であろうとなかろうと、この方を判断しなくてはならなくなる。
この判断は、多少の有益な書物や歴史を理解しておけば事足りる。
不思議に思えば、不愉快に思えば、そこで、時間が許せばとりあえずのご返事ご挨拶デモしておけばよいもの。
科学者、技術者でもない、単なる日常生活者、文系人のパソコンによるお誘い戯れ勧誘説得など、どんなに有名な方、権威のある方のメッセージであろうがしばらく放っておく事に限る。
こんなに、騒々しく騒がしい世の中、違法有害電波の飛び交う中、大人の[おもちゃ]に目くじらを立て口に泡飛ばすほどの事もないのでは?。
時間に相当余裕をおもちのかたでしょうね。 私は、毎日が月曜日。公然とこの若さで無職ですと胸を張って言える性格。実名だの匿名だの提議する人の、神経が私から言わせれば有害物発信者と思える。
人の噂も八十五日とは、古来先人の教え。現存する人間の言う事など、他人事に余り、真剣に耳を傾けるのもいかがなものかと思う。
いちいち、もっともらしく行らしく、君たちは日本人か、それでも男かと初老の哀愁がにじみあがる今日この頃。 世界一の借金国ニッポン、現在の子供達は間違いなく、依存症候群の生活保護成人となる子供手当て。 お若いのに、もっと有意義な議論が討論が、よければ実践実行ができないものかーねー。
但し、イチローは違うぞ! 子供からの質問に対し、解りやすいように解りやすいようにと静かに、にこやかに答える態度は、あれは本物人間。
似非エコノミストじゃないけれど信頼度、信用の置ける優良飯柄お若いのに稀に見る人物、大人物。でしーぅ。
暇だから投稿、 問題するに足らずの無駄話。 孤独たのしかったー。では又。
私も自身のブログなどは実名を公表していますが、時としてプライバシー保護の観点から匿名で記入したい場合もあるので、「だいたい賛成」にしています。
他人の誹謗中傷などは全く興味がないので、炎上すること自体が理解できないでいます。日本人はそれほど陰湿な性格の人が多いのかと驚きます。
ネットを使用するユーザーがモラルを守らずに、思ったことや感じたことを相手の気持ちも考えずに書いてしまうこと自体が残念なことです。書いた本人が相手を傷つけるつもりが無くても、言葉足らずの為に中傷になってしまうケースもあるでしょう。
友達同士で話をしていても、冗談で話したつもりが真に受けてひどく傷つくこともあります。まして、顔の見えない文字情報(絵文字もありますが)だけの世界では、よりキツイ感じに受け止められるケースも多いです。
また、別の意味で、読む側にも心がまえが必要です。全く根拠のないことをあたかも事実のように書かれてしまったとして、それを安易に信じてしまうこと自体問題だと思います。信頼できる筋の情報かどうか、また書かれた内容が真実に基づいて、確固たる証拠があるのかを確かめる必要があります。
情報が氾濫するインターネットの世界では、情報の取捨選択を正しく行うリテラシーが最も重要と考えます。
従来の投稿は受け手が取捨選択し、その媒体の主張に沿った形で掲載されるというフィルターがあった。投稿者もそれを見極めたうえで媒体を選択する自由があった。その自由は主張によっては公安からマークされることの覚悟も含めてである。言論・思想の自由は自己の内にのみ存在するものであり、表現・発表にはそれなりの立ち位置を描き切ったうえでのものであると言えるのではないだろうか。
自己の主張に責任を持つ意味での署名投稿は、表面的には賛成だが副作用が気懸りである。副作用は安全維持を公権力により発動する組織ばかりでなく、犯罪組織、暴力団、あるいはネット管理者が実名・住所・アドレスを悪用することだって想定できる。IT技術に長けた人物が悪意を持ってサーバーに侵入し情報をかすめ取り転売することも起きている。
我が国における言論の自由は表面的には体裁は整っているようだが、実体としては不安定だし確立しているとは言えない状況下にあるのではないだろうか。全国紙やNHK、民放TVでも知りたいNEWSはフラッシュで流し、つまらない明るい話題を得意げに取り上げている。記者クラブメンバー社以外は取材も許されない政治・経済環境にあっては非記者クラブジャーナリストがネットを運営し、そこに参加するなら実名を良しとする考えです。
コメントをざっと読んでみて、「議論」というものについて考えてみました。
そもそも議論(ディベート)というものは意見が異なる者同士が論理で相手を説得し、より納得いく結論を導き出していくことです。それは意見の異なる相手を感情的に憎んだり、つぶしたりすることではなく、あくまでも理性的に意見をぶつけ合うことです。
日本人にはまずこの訓練が欠けていると思います。反対意見を言われると、多くの日本人は自分の人格まで否定されたかのように思いこみ、相手を感情的に憎んだりします。これでは議論になりません。残念なことにクロストークにも若干そのような感情的な意見が見られますね。意見が異なる相手とは仲間になることはできないにしても、反対意見もまた尊重されるべきなのです。ある物事に対する意見とそれを述べている人間の人格は、別な問題であることが理解できていないと議論は成り立たちません。
120番の立石さんが「市民的勇気の欠如」ということを述べています。しかし私はこれは日本人古来の特性だけではなく、政治的に歴史的に作られてきたものと考えます。安保闘争の時は多くの若者が国や社会の変革を求めて闘いました。これが正解であったかは別として、その敗北によって、声を上げること=「自分にとって損なこと」と多くの国民が刷り込まれたのだと思います。その結果、自己の保身を一番に考えて意見を表明しない国民性がより強くなり、次第に政治的無関心を産んできたように思えます。ですが国際社会で渡り歩くには、今後ディベートの訓練は不可欠だし、意見をきちんと表明していくことはますます重要だと考えます。
インターネットはそもそも学者の意見や論文の集積や検索のために発明されたツールでした。つまり理性を前提としたものだったということです。それがいつの間にか大衆化され、今や様々な問題を起こしています。ネットを信頼できる情報の場としたいなら、使用する我々一人一人がそうなるように誠心誠意努力し、無責任な誹謗中傷は大いに非難されるべきものとして、排除していく必要があると思います。
「言論に責任を」という意見には賛成ですが、実名だけを書かれてもそれが信頼性のある情報だとは思えません。技術的、システム的な個性の表現が併用されない限り本質的な信頼性とはなり得ないでしょうし、そのような信頼性の表現に実名が必須だとは感じられません。
上記の信頼性が仮に得られたとしても、現実世界に個性がリンクしてしまう事で、現実世界の社会的立場によるフィルタもかかってくるはずです。さらにその社会的フィルタの多くは実名を公表した人ではなく、その実名を受け取る側にかかっているようにも感じられます。
逆に信頼性ではなく、影響力を重視して実名主義を評価してみると、実名主義は実に効果的な手法だと感じました。しかしそれではマスメディアと同じ道を辿ってしまうように思えます。
また、民主主義国家的な健全を考えるのであれば、実名は社会的なフィルタを生む点で最適ではないと思います。もしどうしても、と考えるのであれば公開鍵認証のようなオンラインにしか必要の無い署名方法を考えるべきだと思います。
実名であれば良いような論調に疑問を持ちます。勝間さんのいわれる範疇であれば実名でなくても偽名でも同じことです。ただし固定ハンドル名と呼ばれるようなもので、同じものを使い続けることが必要ですが。これは文筆業であればペンネームとか称されるものですね。同一性という意味では芸名等も偽名ですが立派に社会的に通用する名前です。
むしろ実名のほうが問題がある場合があります。単純に重複する可能性は大いにありえるからです。例えばこのフォーラムに興味をもった「勝間和代」さんが実名で書いたら勝間さんご自身はもとより他のかたがたはどう思うでしょうか。偽名かといぶかしんだり、そうでなくてもその意見に対してなんらかの色眼鏡がかかるのではないでしょうか。
既に書かれた人と同姓同名の方が書き込んだら個別性がむしろ保てません。もちろん違う人ですからまったく違う意見である可能性も当然ありえますが、傍から見ればなんで同じ人が違う意見を時間を置いて書いているんだ?と怪訝に思うでしょう。芸能人等の有名人との同姓同名の問題も同じように色眼鏡がかかる可能性が生じます。それを偶然や特例と片付けてよいのでしょうか。ここには単純に実名を書けばよいということへの問題の本質があるのではないでしょうか。
つまり書いた本人とその名前の関連性、固有性が担保されていないということです。
一方で少なくともインターネットである以上はその担保が非常に大変である、非常に管理者の負担が重いということはまずいえます。しかしながらもし実名であることを要求するのであればその担保を実現するのは主催者として当然の義務だと私は考えます。例えばニフティ等のフォーラムでは投稿に対して名前を入力したりはしません。主催者が投稿に対して個人認証により関連付けた名前を併記しているだけだからです。認証もない善を前提とした実名主義はある程度規模が大きくなれば必ず破綻します。
現在、実名でここの場はうまくいっていると言われていますが、それは現在のやり方が、ハンドル名である可能性を包含した申請された“実名”であるからだと考えます。また検閲した上で公開される方式を取っているからだけのことではないでしょうか。匿名コメント投稿のブログでも検閲公開の方式をとれば少なくとも表面上は炎上することはありえませんからね。実名だからということに関連はあるものの、それが本質ではないと考えます。ですからこれを一般論として展開するのは私は疑問を持たざるを得ません。
> ネット上でも実名で表現を
> メディアとしての信頼性を高め、既存のメディアと肩を並べる存在になるには
と書かれていますが、記者名が記載されていない新聞記事は信頼性がないということにはなりませんか?
http://www9.atwiki.jp/mainichiwaiwai/
こんな事件を全然報道しない既存メディアは信頼性があると言えるのでしょうか?
スポンサーや利権のしがらみで言えないこともあるテレビや新聞、売れればよいというスタンスで根拠のない記事を書く週刊誌、これらと比較してネットが特別なものであるようには思えません。
実名をさらしているはずの既存メディアのいい加減さを考えると、ネットを実名化しても信頼度が上がるというメリットより、犯罪への悪用などのデメリットのほうが大きいと思えるので反対です。
ところで、炎上はネット特有のものではないと思います。ワイドショーの報道のしかたなどは炎上そのものです。
絶対反対です。
(1)役割が違うので既存のメディアに追いつく必要がない。
うまく言えませんが、ネットはネットの役割があるので、実名でやるコミュニティーがあるのは構いませんが、ネットはネットでいいんじゃないですか。
新聞は新聞の役割があって、テレビを目指してはいないですよね。既存のメディアを目指す理由はなんでしょうか?部落差別問題をテレビがどれだけ扱いますか?天皇制についての議論は?右翼って何?
私は、これらについてのいろんな意見を、ネットで初めて知ったことが少なくありません。
(2)【表現の自由】の最後の砦はインターネットだと思う。
既存のメディアがかなり一方的な報道に偏っている時にも、ネット上では匿名であるが故に様々な(もちろん誹謗中傷も含め)意見を見ることが出来ます。例えば既存のメディアで某宗教団体の批判をやったらどうなりますか?マスコミはそこら辺のことを怖れて、危険な発言をしなくなっています。ネットでは批判する意見もそれへの反論もあります。また、スポンサーに対して批判的なことはなかなかやれないでしょう。でもインターネットを見れば、そこにはいろんな意見が載っています。
内部告発などはどうでしょうか。必ずしも告発者の権利が守られるかどうか分からない状況では、インターネットが実名でないと発言できないだったら告発できない場合もあるでしょう。(既存のマスコミでも、むしろ情報源の秘密を守るということを大切にしていると思います。)
なんで地デジに移行するの?アナログ廃止しなくてもいいじゃん、なんて意見はテレビでは多分放送しないでしょう。そういう意味では既存のメディアの情報だって正確とは限らないし、公平性については前述したとおりです。
ひどい表現も含めて、様々な意見を書く(見る)ことができるインターネットは、テレビや新聞などより、ある意味よっぽど公平だと思うのです。すべて実名が条件だったら、インターネットはその役割を果たさなくなると思います。
亡くなられた筑紫哲也さんが、「表現の自由(権利)を守るということは、悪い表現だからダメだということでなく、そういうったものも含めて、守られなければならないのではないか」といった趣旨のことを、たしかニュース23で言われていたのが印象に残っています。
言葉の暴力というのは確かにあるし、無責任な発言は困るけれども、ネット上のコミュニケーションがすべて実名となったら、失うものはそれ以上だと思います。
※主旨とは別ですが、ここでは「実名公開について議論」をしたくても、実名公開したくない人は意見を書けない・書かない可能性が高いので、土台がもうすでにフェアーでないというか、おかしいと思います。
ネット/システム関連技術者です。
一部の投稿に電子署名の話が出ておりますが、本名での電子署名を商取引/公文書に関わらず一律強制するという意図の提案ならば反対です。リアルな世界でも印鑑のついた文書と怪文書があるのととまったく同じ事なので、特段ネット上の特別ルールを敷く必要はないと思います。
本名/匿名の二者択一を求めている様で賛否両論が続いておりますが、本名にせよ匿名にせよ、mixiなどの閉じたシステムではなくオープンなシステム上において一連の記事が同一人により書かれた事を証明できていないのが現在の問題と考えられます。自作自演とか誹謗中傷/でっちあげのたぐいですね。
一意性を証明するには電子署名という技術を活用することで一意性を確保出来るのですけども、さまざまな理由であまり普及しているとは言いがたい状況です。
身近な活用例ではウェブブラウザで銀行のサイトにアクセスした際に真性に当行のサイトであることを証明しているものと同様の技術で、リアルにも印鑑証明がありますがそれの電子版と考えれば良いかと・・・
個人が記事(電子メールや掲示板投稿)に電子署名を添付することにより
「署名者による記事であること」
「記事が修正(改竄)されていないこと」
が証明出来ます。電子署名付きの記事をでっちあげる事は計算上困難ですし、特に後者の方は重要な要素です。電子署名のインフラが普及すれば利用者は状況に応じて下記の3パターンを好きな様に選択すれば良いのです。
A) 実名投稿に対して電子署名(商取引や公文書などに利用を想定)
B) 仮名投稿に対して電子署名(掲示板などでのやりとりに利用を想定、マスコミの記事もココですね(笑))
C) 電子署名なし(今まで通りのかきっぱなし)
もちろん掲示板に実名の署名をすることは自由ですし、今まで通り署名なしで書きっぱなしというのも本人の自由です。受け手側の方も本名署名なら成り済まし/でっちあげでないと安心出来ますし、Cはいっさい受け付けず、電子署名の無いメールや掲示板の記事はすべてゴミ箱行きもありです。
本名の電子署名の推進には「本人である」ことを証明した上で発行してもらうという手続き(ルールや認証局インフラ)が必要になるでしょうけども、有名人や著名人の電子署名のコレクションとか楽しそうです(^^)
1989年以来のネットワーク管理者ですが、そもそも実名の判定をどうするのか?
という問題が1980年代に出ています。
パソコン通信のNIFTY-Serveは多くのフォーラムがあって、実名制を求めているフォーラムも多数ありましたが「わたしは実名制フォーラムには入れないんですよ」という方がいました。
名字が「神」さんでした。
これを実名であると例えば戸籍で確認したとして、ネットワークコミュニティで「神は実名か?」となるのは明らかでしょう。
また、芸能人と同姓同名の方が排除された実例もありました。
さらに言えば、実名であることとネット上での信頼が増すのか?という問題が検証されていないですよ。
「既存のメディアと肩を並べる存在」
既存のメディアは、最初から信用されていたわけではないでしょう。信用されるように努力してきたから、信用が出来た。
個人が情報発信する場合に、信用が実名で担保されるのか、肩書きで担保されるか?と考えてみると、「とりあえずは肩書きを信用する」です。
要するに、信用=実名ではないし、新聞社の信用だって脆いものです。実名制が目的ではなくて、信用をどう作り上げるのか?からアプローチしないと、実名制誤解になってしまいます。
実名主義が解決につながるかどうか、という意味では、私は解決にはならないと思います。
匿名社会における一番の問題は、無責任が横行することにありますね? 自分が誰かわからないことで、平気で他人を傷つけたりするようなことをする。誤った情報を流布しても、それで誰かが損害を被っても責任を問われない。これは、ネットだからということではなく人間性の問題ですね。インターネット上のサービスでは、これが非常に顕著に現れるので特に注目を集めてしまいますが、これはもとをただせば、自分が誰だかバレなければ何をやってもよい、という人間のモラルの欠如に辿りつきます。
勝間さんのご意見にいまひとつ現実味を感じることが出来ないのですが、その理由は、「実名を明かさないと利用できない仕組みにする」のか「利用者はなるべく実名を明かして自分の意見を言うようにしよう」なのかがはっきりわからないからなのです。そしてそのいずれであっても、実現性があまり感じられない、つまり、あまり否定的なことは言いたくないのですが、理想論でしかないように見えるのです。「実名を明かして責任を明確にして意見を言おう」ということが通用するならば、「匿名だから誹謗中傷言ってもバレない、攻撃してやろう」なんていう人はそもそも存在しないと思うのです。
では技術的な仕組みで実名を明かさないと意見を述べられない仕組みを作ったとしたらどうなるでしょう? おそらくそんな仕組みは中途半端にしか実現できないでしょうが、仮にそういう仕組みが完成したら、人間のモラルは向上したといえるでしょうか?
意図的な編集とならないように気をつけたいのですが、勝間さんの今回の記事では、「ネット上でも実名で表現を」というタイトルが冠されています。「ネット上でも」と書かれたのは、テレビ、ラジオ、新聞などの既存のメディアでは実名でやってます、だからネットもそうしないと周辺メディアの位置にとどまる、ということでしょうか?
基本的にインターネットがメディアのひとつであるというのは私も強く賛成します。しかし、周辺メディアではないと思います。インターネットの有する膨大な情報は既存のメディアとは比較にならないほどの規模を有しています。今やその情報を使いこなせなければ既存メディアは存在し得ない状態にあるといってもいいくらいです。そして、インターネットがなぜこれほどまでに巨大化したかといえば、自由にほとんど無制限に利用が許可されたからです。インターネットは巨大な混沌です。この混沌の中から必要な情報、信頼できる情報を選び出し、それを生かすことができなければネットに飲み込まれてしまうでしょう。また、誹謗、中傷、炎上などもいたるところで発生しています。でも、ネットはそういうものであって、記事の中にあった「健全な助け合いが本来、ネットメディアの望ましい姿である」というのはやはり理想論でしかないように思います。
人間は感情の動物です。「こいつの意見、気にいらねぇ、潰してやる!」という人間が現れるのを防ぐことはできません。ということは、実名主義も絵に描いた餅ということにならないでしょうか?