ハイチの震災(1月12日発生)を取材するため、地震の4日後から約10日間、首都ポルトープランスと周辺の被災地を訪れた。政府機関など首都機能は壊滅し、市民らは国際社会の支援なしには生き残ることすらできない状況だった。もともと政情不安で貧しい国だけに、災害支援にとどまらず、長期的視点に立って国造り支援へとつなげることが必要だと実感した。
屋根が崩れてぺしゃんこになった民家で、折れた石造りの門柱が2本。それぞれ約1.5メートルの高さで残っていた。その1本に男性がのみを打ち込んでいる。撤去しようとしているらしい。ひと振り、またひと振り。なかなか砕けない。ショベルカーがあれば、たちまち終わる作業を延々と続ける男性に、損壊の大きさに比べ、対処の手だてが乏しいこの国の実情を象徴的に見た思いがした。
ハイチは中南米、カリブ海の最貧国とも、西半球の最貧国とも呼ばれる。約960万人の人口の半数以上が1日1ドル(約90円)未満で暮らす絶対的貧困層だ。
米フロリダ国際大学のエドゥアルド・ガマーラ教授(政治学)によると、ハイチでは肌の色の濃さによって、富裕層と貧困層の二つの階級に大別できる。1804年にフランスから独立した世界最初の黒人国だが、人口の約1割がヨーロッパ人と黒人の混血で、色の薄い黒人とその子孫が政治や経済を支配し、残り9割の肌の色の濃い国民は満足な教育も受けられず低所得のままだという。
私は夜間の治安の悪さを考え、隣国のドミニカ共和国のホテルから連日ハイチに入って取材したが、やむを得ずハイチ国内に宿泊した時もある。そこは裕福な通訳の親族宅で、柱の据え付け部分に耐震バネを入れた特別仕様の住宅だった。コンクリートブロックを積み重ねただけでもろくも崩壊した多くの家と比較し、格差の大きさに驚いた。
避難所で地震から4日過ぎても、アルコール消毒などけがに対する初歩的な手当てすら受けられない被災者を見て胸が痛んだ。貧困層は耐震設計など考えもしない脆弱(ぜいじゃく)な住宅で揺れの直撃を受けただけでなく、医薬品やラジオを聞くための電池など、被災後の混乱に適切に対処する物資も情報も得られなかった。
小学校はほとんどが私立で、貧しい子だくさんの家庭は子供を学校へ通わせられない。学齢児童の半数しか小学校に行かず、大人の4割は読み書きすらできない。学校に行けない子供たちの中には、住み込みの家事手伝い「レスタベック」として働かされる場合があり、「子供奴隷」という別称があるほど虐待の危険にさらされている。
残念ながら国の指導者たちは政争に明け暮れ、1日6時間程度しか電気が来ない送電網など、国民に対する基本的なインフラ整備すら実現できていない。
度重なるハリケーン被害に見舞われたハイチの状況を改善しようと、国際社会は積極的にハイチ支援に取り組んできた。国連は04年の反政府勢力による武力衝突をきっかけに駐留部隊を派遣し、治安の確保と警察の育成に努めた。日本政府も食料援助や小学校の増改築など教育、医療援助を行ってきたが、08年には食料不足から暴動が起きるなど、基本的な問題の解決には至っていない。
昨年春に実施されたハイチ上院選の投票率はわずか11%だ。政争への嫌悪、貧困から来る無関心、無気力感が広がっていることが見て取れる。
こうした中で起きた震災は、多大な犠牲者を出した一方で国民の間に助け合いの機運も生み出している。ある富裕層の男性は、宗教や所属している組織と関係なく、自腹でパン工場を動かすためディーゼル油を購入して寄付し、焼き上がったパンを無料で避難所の被災者に配った。格差で分断されたハイチ社会で、これまでこうした動きは見られなかったという。
ガマーラ教授は「震災はハイチ国民が分裂を乗り越え、一つにまとまって国を発展させる大きなチャンスでもある」と指摘した。
国連機関や国際NGO(非政府組織)、米国など主要国は、食料、医療、テントなど最低限必要な物資を被災者に行き渡らせるべく努力している。一方、私が取材した被災者たちは「政府職員は物資を横流しするかもしれない。支援は政府を通さないで」と役人の汚職に警戒感を示した。
緊急援助の時期を脱した時、国連を中心とした国際社会がハイチ政府に支援を継続し、再建の方向について真剣に協議することが必要だ。世界中の人々がハイチに目を向けている今こそ、支援をより実りのあるものにできると期待したい。
(ロサンゼルス支局)
毎日新聞 2010年2月10日 0時12分