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発信箱:ニューヨークの生卵=玉木研二(論説室)

 オバマ演説の「大仏より抹茶アイスクリーム」は見事だった。そのまま俳句になるような逸話だ。少年の大統領を鎌倉に連れて行った亡母への思いもこもっている。

 本筋と無縁な寸話にしばしば真情は宿るらしい。例えば「悲運の外交家」重光葵(まもる)の生卵の話なんかそう思う。

 重光は戦前戦後、外交官、外相を務め、最後は1956年12月、政府代表として国連加盟の総会演説をした。有名な「日本は東西のかけ橋になる」で、先ごろ鳩山由紀夫現首相も国連や国会演説でこれを引き、話題になった。

 日記(「続重光葵手記」中央公論社)によると、総会の3日前、ニューヨークのホテルで派遣外交団メンバーらと演説について協議。総会の前日に了解を取りつけた。そして簡単な記述がある。<生卵、加瀬(俊一国連大使)夫人差入。数箇(こ)をとる>

 重光は中国の公使時代、爆弾テロで右脚を失うが一線に復帰。協調外交を主張し、ドイツの戦争にかかわることに反対したが、退けられた。

 敗戦後は東京湾上の降伏文書調印の役を負い、東京裁判では禁固刑。復帰後、転変を経て鳩山一郎(現首相の祖父)内閣の外相に就くが、官僚政治家を嫌い自主外交を志向する鳩山とは手法などで必ずしもウマが合わなかった。55年4月の日記には欄外に<鳩山内閣は日米関係を危殆(きたい)ならしむ>と記す。今の状況に重ね見ると興味深い。

 さて総会演説。さあ最後の一仕事だと手の卵をしばし眺める彼の姿を私は思い描く。大成功だった。帰国時政権は既に石橋湛山に移り、外相の座には岸信介がいたが、重光には達成感があったろう。

 1カ月後、狭心症で急死した。69歳だった。

毎日新聞 2009年11月17日 0時01分

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