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岩見隆夫のコラム

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近聞遠見:鳩山と岡田の「米国観」=岩見隆夫

 戦後の主な日米交渉を手がけた宮沢喜一元首相が初めて米国の地を踏んだのは、1939(昭和14)年夏だった。

 19歳、東大生の時で、日米学生会議に参加するためである。船で片道2週間かかり、ロサンゼルスの南加大学で開かれた。すでに両国関係は険悪になりかけていたが、討論相手の米国の学生は、

 「日本の言うことはもっともだ。米国も悪い」

 などとしきりに言う。宮沢はショックを受けた。

 「ははあ、米国というのはえらい国だな。こいつらと喧嘩(けんか)したら分がないな、と思った」

 とのちに語っている。

 それから約半世紀が過ぎた湾岸戦争(91年)のころ、この米国通は日米をどう見ていたか。

 <「真珠湾」から50年後のいま、日米両国はお互いに最も大切な関係だと言われながら、多くの米国人が日本はソ連(この直後、ソ連邦崩壊)よりも恐ろしいと思っている>(「戦後政治の証言」読売新聞社刊)

 と書いた。

 恐ろしい、という対日観は続いているのか。09年の日本では政権交代をきっかけに対米関係が揺れ始めた。

 <緊密で対等な日米関係>

 を唱える鳩山民主党政権に米国は疑心暗鬼だ。対等な、とは何か。沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題が試金石になっている。

 移設の対応をめぐって、鳩山由紀夫首相と岡田克也外相の発言にしばしばずれが生じ、こじれてきた。2人の米国観が気になるところだ。

 宮沢もそうだが、最初の渡米印象が重要な意味を持つ。2人とも留学経験がある。

 鳩山は東大卒のあと米スタンフォード大に留学、76年、博士課程を修了した。10年後、政界入り、尊敬する政治家はケネディ元米大統領だ。

 しかし、鳩山の米国観はシビアである。02年、最初の民主党代表のころ、インタビューにこう答えた。

 「与党(自民党)の政治家は米国に背くような結論を出すことを最初から放棄してしまっている。沖縄の基地や地位協定の問題を持ち出すことができない。

 だから、政権交代あるのみだ。日米関係の再構築こそ、本当にやらなければならない構造改革と私は思っている。

 米国は万一のことを考えた時の議論から逃げてるから。もはや日米安保があるから助けてくれるというような深い関係はない」

 日米安保の見直し論である。

 一方の岡田は、鳩山から10年遅れの85年、米ハーバード大国際問題研究所に客員研究員として1年間留学した。旧通産省からの派遣である。

 そこで、レーガンという強い大統領が一国をリードする姿を見た。86年1月、宇宙船チャレンジャー号が打ち上げ直後に爆発、7人の乗組員が死亡した時、米国民の連帯感と国民が信頼する大統領に、岡田は感動したという。

 <私はアメリカの地で、政治の可能性の大きさに気づいた。同時に、スキャンダルが頻発し、派閥争いに終始する日本の政治のありように、居たたまれない思いがした。

 日本の政治を何とかしなければならない、と強く感じた。政治家になる。訪米前には夢にも思わなかった選択肢を胸に収めて、私は帰国した>

 と昨年出版の著書「政権交代--この国を変える」(講談社刊)に記した。

 岡田にとって、米国は政治への夢を与えてくれた国だった。

 過去の日米関係を<追従>とみる鳩山と、政治の先輩国として一目置く岡田と、米国観の違いが、普天間交渉にも微妙に響いているようだ。

 宮沢が健在ならどう裁くか。(敬称略)=毎週土曜日掲載

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 岩見隆夫ホームページhttp://mainichi.jp/select/seiji/iwami/

毎日新聞 2009年11月21日 東京朝刊

岩見 隆夫(いわみ・たかお)
 毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。
 
 

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