シベリアに抑留された婚約者の消息を求めて、CIC(対敵諜報(ちょうほう)機関)舞鶴分遣隊に勤務した上野陽子さんにとって、今もって忘れることのできない人物がいる。
上野さんによると--CIC舞鶴分遣隊の高木藤雄隊長の両親は山口県岩国市の生まれだった。ハワイに移住したものの事業に失敗して、一家は戦前に日本に帰る。このとき弟は両親に同行するが、高木さんはハワイに残る道を選んだ。「ならば、おまえはアメリカに忠誠を尽くせ」。父親の言葉だった。戦争が始まると、兄弟は軍人として敵と味方にわかれた。
上野さんは目を丸くして言った。「引き揚げ船が港に入る前に、復員者の名簿がカタカナで流れてきたとき、タカギ・ヒデオとあったので、この人は--とびっくりしました」
間違いなく高木隊長の弟だった。マネジャーと呼んでいた隊長が、弟のことを案じているのは話しぶりから察していた。「マネジャー、早く弟さんに会いに行ってください」
高木さんは首を振った。「任務上、やはり行けない、会うことはできない」
上野さんが気をもんでいると、高木さんが現れた。「弟に差し入れをしてやってほしい」
上野さんは当時を思い出して、笑顔を見せた。「CICの身分証があれば、どの施設もフリーパスで行けたので、お安いご用でした。弟さんだけに食べ物をあげるわけにもいかないので、復員寮にいた全員に差し入れたものです」
白い粉末の殺虫剤を頭からかけられた引き揚げ者は、雪焼けで顔が黒く、やせ細っていた。心も体も極限状態の集団に差し入れをした後、上野さんは高木秀雄さんをCICの取調室にひそかに案内した。
「取調室が幸いして、米軍の兄と日本軍にいた弟が、うまいこと対面できました。お二人とも大感激だったようです」
高木さんは弟を両親の待つ岩国に早く帰そうとするが、秀雄さんは拒んだ。「苦労して一緒に帰った仲間と同じ日に帰る」。数奇な運命を生きた兄弟の共通点は、その筋を通す心根であった。
さて歳月は流れ、昭和が終わろうとしていた。「平和のサクラ」(通称アロハ桜)として舞鶴では有名な桜を寄贈した人物が、なんと高木さんだとわかる。CIC舞鶴分遣隊を離れる際に、高木さんは100本の苗木を匿名で贈っていた。
平成の世になり、高木さんは桜の寄贈者として舞鶴市に招かれた。
上野さんは補足する。「ためていたお金を、岩国のお母様に渡しに行ったところ、敵のカネは受け取れない、困っている日本を元気づけることに使いなさいと言われたそうです。春に花を咲かす桜が、日本の復興にふさわしいと考えて、桜の苗木を買ったと聞きました」
上野さんは「高木さんはサムライでした」と結んだ。その高木藤雄さんは05年にハワイで死去し、今はいない。
毎日新聞 2009年7月7日 大阪朝刊