努力しても結果がすぐに出ないこともある

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 1月14日は今年の「成人の日」。大沢さんの若き日は、どんな青春だったのですか。

 「14日はうちの父の命日です。父は私に、いい大学に入っていい会社に入るよう望んでいました。名古屋の高校であまり勉強していなかったんですが、大学に合格しました。東京で学生生活を始めたら、ディスコやマージャン荘に入りびたり、女の子をナンパしたりと遊びまくりました。何もかもうまく行き過ぎだったのでしょう。それもわからず、大学の単位なんて、とナメていましたら、ちょうど20歳のとき、大学をクビになり、ガールフレンドも消えてしまいました。その時初めて、ああ、今まで生きてきたのは、すべて借り物だった、親が敷いた人生のレールの上を走ってきただけだと気が付きました」

 大学中退。オヤジさんは怒ったでしょう。

 「父は仕事を何か紹介しようとしましたが、私は『筆一本で行きます!』と断りました。というのも、中学2年生の時に、私は将来、ハードボイルド小説家になると決めていたからです。大学を放り出されて、その原点を見つめ直したわけです」

 とはいえ、簡単にデビューできるものでもないでしょう

 「父が倒れ、余命いくばくもないという病床にいる時に書いた小説が、幸いにも新人賞を取り、作家デビューしました。当時の出版界は今より良くて、その後仕事の注文が来て、本が次々と出版されました。ところが、なかなか売れない。本屋に行ったら、私の本は売れっ子作家の本の土台になっていて、その本が完売した時に姿を現すという状態でした。23歳から34歳まで重版がかからず、『永久初版作家』と呼ばれる始末。ほぼ同じころから書き始めた北方謙三、逢坂剛さんたちが売れ始めたのに、僕だけ日の目を見ない。そこで、勝負作を書こうと、1年半すべての仕事を断って書いたのが「氷の森」。でもダメでした。一瞬『もうダメか』と思いましたが、やはり書くしかないと、やけになって書いたのが、29作目の「新宿鮫」。これが予想外にブレークしたんです。

 20歳からの激しい浮き沈み人生を経験された大沢さんから、今年成人となる若者たちに何か言葉を掛けるとしたら、どんな言葉を贈りますか。

 「自分をあきらめるなと。自分の持つ可能性が必ず花開くときがあると。ただし、いくら努力しても、その結果がすぐに出ないこともある。時差がある場合が多い。努力の結晶が20年、30年後に実を結ぶこともある。夢を持つことは大事だが、かなう夢もあれば、かなわぬ夢もあることを知っておくべきだ」

 時代も変わってきていますが。

 「以前は、若い世代に影響を与える大人がいたものですが、最近はあまりものを言わなくなっています。バブル崩壊の後、大人たちはぐしゃっとなって、自分たちの生き方が今の時代に通用しないと自信をなくしている。我が子にも『お前の好きなように生きなさい』としか言えない親が多い時代になっている」

 作家の世界でも同じですか。

 「確かに、昔より出版界が厳しい状況ではありますが、後輩作家の多くを見ていると、メジャーになりたいとか、女にもてたいとか、そういう欲望を非現実的なものと既定して、あきらめている。なんで考えないの、不思議ですねえ。そんなの無理じゃないですか、と初めから決めている。身の丈に合ったとか、地道に行くとか、年収200万でいいですとか。そもそも小説家っていうのは我がままで、欲望の塊みたいなものじゃないですかねえ」

〈次回は2月4日(月)・朱川湊人氏掲載予定〉

 

大沢在昌(おおさわ ありまさ)
1956年愛知県生まれ。慶大中退後、79年に「感傷の街角」でデビュー。91年「新宿鮫」で第44回日本推理作家協会賞長編部門、第12回吉川英治文学新人賞を、93年には「無間人形 新宿鮫4」で第110回直木賞を受賞。「新宿鮫」シリーズ、「佐久間公」シリーズ、「アルバイト探偵」シリーズなど、著書多数。最新刊は「獣眼」。

取材を終えて  毎日新聞学芸部編集委員 網谷隆司郎
 「カネ、欲しいだろ」「女にもてたくないの」という"おじさん"からの挑発にも、「いや、別に」「そんなの無理じゃないですか」とサラリと受け流す"イマドキのワカモノ"。還暦過ぎた団塊3号の私と大沢さんとは、明らかにおじさん側にいた。
 日だまりの縁側で渋茶をすする老人ならまだしも、これから何が起きるかわからない20歳前後の男女が、こんなに縮こまっていては情けない。名古屋から上京し華麗なる?キャンパスライフを送っていた大沢青年が、大学追放の憂き目から、見事V字回復した青春ストーリーは、聞き手のこちらまでがハラハラドキドキしてくるほど、冒険と野望と哀愁に充ちていた。
 二つのことが胸に深く響いた。
 成人を迎える今の若者に贈る言葉をお願いしたら、「自分をあきらめるな。自分の可能性を信じて努力せよ」という自身の経験からにじみ出た言葉が力強く発せられた。さらに加えて、「努力してもすぐに結果が出るとは限らない。時間差もある」という言葉に、作家デビュー後10年以上も「初版のみ」という売れない時代の屈辱を知る人でしか言えない重みを感じた。
 もう一つは、結局、自分の好きなことをやるんだという生き方の選択だ。大企業すら倒産の憂き目を見るのが珍しくない時代。今後ますます何が安全なのか分からなくなる。
 大学中退後に父親から「高卒でもできる仕事を紹介してやる」と言われたとき、「俺は筆一本で行きます」と、たんかを切った大沢青年の、若者らしい客気に胸がスッとしたが、将来に何の保証もない世界に飛び込んでいくエネルギーは何だったのか。子どもの頃から好きだったハードボイルド小説を書きたい、という真っすぐな気持ちだった。
 好きな道を行く。もちろん、経済的に大変な凸凹道もあるだろうが、人生はもともとハードボイルドなもの。苦境や難関は自分で乗り越えていくしかない。人生という劇場では、生きている私たちみんなが、フィリップ・マーロウなのではないか、と思えてきた。
 "大沢節"は、そんな夢を私たちの心に移植してくれる魔法だったかもしれない。

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