空想し想像すると、新しい窓から違った風景が見えてくる

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 ごくありふれた日常生活も、いつもとは違った視点で眺めると、現実が意外とミステリアスな顔で迫ってくることもある。どこか懐かしい昭和30年代、40年代の東京や大阪の下町という舞台に、超現実的な要素を一つまみ入れると、あれあれ、平凡な日々が、がぜん生き生きとよみがえってってくる。そんな、ちょっとホラーな薫りをしんみりとした情緒でまぶした小説を得意とする直木賞作家の朱川湊人さん。「空想するのが楽しい」という生き方の原点は、子どもの時にたっぷりと浴びたウルトラマン光線だったようだ。

 ウルトラマン、そんなにお好きですか。

 「僕は昭和38年生まれですが、小学校入学前に最初のウルトラシリーズに直撃され、小学校3年生の時には仮面ライダーシリーズがスタートしました。そんなシリーズの波をドップリかぶった世代ですから、空想が好きな世代なんですね。当時、放送の次の日には学校で友達同士、もうその話題でもちきりでした。ザ・ドリフターズの『全員集合』を含めて、それを見ていないと仲間に入れないような感じでした。」

 ウルトラマンの魅力は、どんなところにありましたか。

 「まず、懐かしいとは思わないですね。というのも、今もDVDでよく見ていますから、少しも古くなった感覚はないんです。ウルトラマンシリーズのうち、僕は初期のウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンの3シリーズが特に好きです。その魅力はというと、ひと言でいうと、子どもだましじゃなかったということです。ヒーローがカッコいい、というだけじゃなかった。あの頃、1960〜70年代の社会の空気、鬱屈した世相のルサンチマンが出ている。例えば、兵器競争が世界で行われているとか、人間同士の信頼を壊す宇宙人がいたなど、あの時代の大人たちの思いが描かれている。もちろん、楽しいから見るのが基本だけど、そういう面もしっかり描いている。それでもやはり子供に楽しんでもらおうと、いろんなジャンルの天才たちが集まって、一生懸命になって作った、奇跡のような作品ですね。仮面ライダーも初めは同じように大人っぽい映像でした。敵のショッカーがナチスの残党だったとか、こんなのテレビでやっていいのかと子どもの時に思いましたね。割合早く子供向けの内容に変わっていきましたけど」

 そんな熱い思いが通じてか、ウルトラマンの脚本もお書きになったとか。

 「はい。僕があちこちで好きだ好きだと言いふらしていたので、広告代理店を介して、円谷プロから依頼がありました。『ウルトラマンメビウス』シリーズの時で、3本書きました。脚本は初めてで、一から書くのは結構難しいものですね。映像の尺の感覚が、十分につかめないまま書いたものですから、一分くらいで怪獣がやられてしまう話もありました。地味なウルトラマンになったかもしれません。でも、そのおかげで円谷プロの一員になった気分になり、オタクの花道を歩かせていただきました」

 特撮ヒーローもの大流行の後は、今や全盛のアニメがドドッとテレビに登場してくる歴史が続きますが、アニメもお好きでしたか。

 「僕は特撮ものが好きで、アニメはあまりやりませんでした。ちょうど小学校5年生の時、日本にオカルトブームが起きて、スプーン曲げがはやり、この世には不思議なことがあるという雰囲気が社会全体に漂っていた。宇宙人はいるとか、ネッシーは存在するとか。まあ、今から思えば、都市伝説に毛の生えた程度のものでしたけど。もちろん僕も、そういった空想、想像をするのが好きな子どもでした」

 子どもの頃は、ウルトラマン、バルタン星人など、その当時のヒーローもの、怪獣もののフィギュア、プラモデルなどを集めていたんですね。

 「はい。幼い頃からノート、鉛筆、ハサミを持って遊ぶのが好きだったようで、絵を描いて、それを切り抜いて、チューブのりでくっつけて、小さい立体ものを作っていたらしいです。小学校に上がってからも漫画をよく描いていましたね、プロにはなれないとは思っていましたが。でも、男の子って小学校高学年くらいになると、もう僕は子どもじゃないんだというように、その世界から"卒業"していって、オモチャを捨てる子が多かった。僕もそうでした。いっぱい捨てました」

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