砂に埋まる快感

「鍼灸師の作家は僕以外思い浮かびません」

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 舞台でスポットライトを浴びたときの快感は、何とも言えないものがある、らしい。役者を3日やるとやめられない、という言葉が昔からあるくらいだ。今も、仲間たちと時間を忘れて芝居作りに励む10〜20代の若者たちが、たくさんいる。自分の表現で観客をうならすのが生きがいだ。だが、大半はアルバイトをしながらの貧乏暮らし。大人になると、食うために"正業"に就く人も少なくない中で、16〜29歳の青春時代、芝居に没頭してきた乾緑郎さん(42)が"生業"として選んだ道は、なんと鍼灸しんきゅう師という世界!趣味や趣向といっぷう変わった職業生活の姿が、作家という営みとどう関わってきたのか、興味を引かれた。

 医者で作家という人は、今までも少なからずいましたが、鍼灸師の作家というのは聞いたことがありません。

 「僕以外、思い浮かびませんね。今でも訪問鍼灸マッサージ師として働いています」

 作家と鍼灸師という関係が、なかなか結び付きにくい人が多いと思いますので、その辺をお話しいただけますか。

 「16歳から20代後半まで、ずっと演劇をやっておりまして、その間はアルバイト生活でした。30歳を前にして、これじゃまずいなあと思ったんです。というのも、すでに結婚しておりまして、子どもができるという時でしたから。手に職を持たないとまずいと」

 それで、なぜ鍼灸師に?

 「子どもの頃から、医療に憧れがありました。小学生の頃に読んだ手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』が大好きで、医者っていいなあ、なりたいなあと憧れていました。ちなみに、今のペンネームの緑郎という名前は、ブラック・ジャックの中に出てくるニヒルな二枚目、間久部緑郎からいただいたものです。結局、僕は演劇の方に進んだのですが、手に職を持たねば、と考えたときに、あこがれはあっても医者になるのは現実的には難しい、では医者以外だったら看護師が一番いいのではと。でもいろいろ考えた結果、院を構えられる仕事がいい、一国一城のあるじになりたいという思いが強く、まあ、院長先生!と呼ばれたかったんでしょうね。それで調べたら、自分で院が構えられるのは三つある。鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師、柔道整復師で、いずれも国家資格が必要なものでした。それ以前にも、鍼灸治療を受けていたこともあって、では鍼灸師になろうかと、大検を受けて高卒資格を得てから、鍼灸師専門学校に入学しました」

 当時は真剣だったんですね。

 「いやあ、結婚して子供が生まれるという時でしたから、責任重大だと思い詰めていました。勉強をし直して、すんなり入学できました。一緒に入学した人を見ると、年齢層が結構幅広くて、高卒ですぐ入ってきた若者もいれば、私のような30歳前後の人、さらには50代から定年後の人たちも交じっていました」

 どんな勉強をするところですか。

 「僕が入ったのは、全日制の昼間部で3年間のカリキュラムです。朝9時から午後3時30分まで、びっしり授業がありました。僕は3年間まじめに通い、出席日数も十分でした。3年間で400個のツボを覚えないといけないし、厳しい学校だったので1年生の夏から実技もありました」

 というと、はりを刺すわけですね。

 「ええ。ステンレス製の鍼はコシがあってビヨンビヨンしなるし、銀製の鍼はフニャフニャでなかなか体に入りにくい、といった実体験をするわけです。それと基礎医学や解剖学もしっかりと勉強しました。人体についての最低限の知識がないと、例えば整形外科医とのカンファレンスに出ても、わからないと困りますからね」

 東洋医学と西洋医学との連携は、今の時代、ますます必要になってきていますね。

 「西洋医学を、人の体を解剖学的に、あるいは顕微鏡で細かく見るような理科系の医学だとすると、東洋医学はおおざっぱというか、体全体を診て判断する文系医学と言えるかもしれません。例えば、肩こりで長く通ってくる女性がいると、その人の普段の生活を聞いたり、性格を判断したりして、その人の人生全体から診断しようとしますが、それでも原因はなかなかわからない。ところが、その女性のご主人が亡くなると、肩こりはあっという間に治って、急にその女性が元気になったという例もあるんです」

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