「仕事はどれもつらいものです。半面、面白くもできる」
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さて、4月は学校、企業、役所など新たな年度が始まる時期です。新社会人も一斉にデビューする季節です。先輩として何かアドバイスを。
「大したアドバイスはできませんが、こだわりや思い込みは何の役にも立たないということは言いたいですね。『この仕事では自分の才能が生かせない』とか、『向いていない、合わない』とか言う人はままいるようですが、それはどうなんでしょう。僕は才能という言葉を一切信用しないようにしてます。才能なんてないですよ。人間の能力なんて誰だって同じようなものです。絵なんて誰でも描けるし、小説だって誰にも書けます。それに、人間はだいたいなりたいようになっているものです」
と、いいますと?
「できないのは、やらないからで、やらないのはやりたくないからです。やりたくない自分を認めたくないから、才能なんて言葉でごまかすんですね。方法はいくらでもあるのに、面倒くさいからしないだけ。で、自分はやってもできないと思い込んでいるだけですよ」
なるほど。そうですか。
「向き不向きというのは、自分で決めるものでしょう。不向きというのは、まあ、やりたくないということで、できないわけじゃない。結局、やる気がないだけなんです。それを認めたくないから、あれこれ理屈を言う。だから、そこを認めてしまえば、気持ちがぐっと楽になりますよ。仕事が向いていないんじゃなくて、やりたくないだけ。おかしなこだわりや思い込みを捨てれば、素直になれます。いやならやめればいいし、やめられないならイヤでもやれと」
確かに、やる前から「この仕事は……だから」と決めつけて、やらない人は結構身近にもいますね。
「仕事はどれもつらいものですよ。半面、どんな仕事も面白くできるものです。小説家というと、好きなことができていいですねと言われがちですけど、楽をしている小説家は一人もいませんよ」
仕事の内容をよく知らないうちから、自分に合う合わないを決めつけてしまう。自分の才能や志向へのこだわりが、視野を狭めてしまうのですね。
「前時代的なたとえですが、何かのペナルティーとして便所掃除を命じられたとします。まあ罰なんでしょうが、いやいやどうして、便所掃除だって面白いものです。どうしたら目地がきれいになるかとか、効率の良い洗剤のかけ方を考案するとか、自分なりに工夫したりして、うまくいけば達成感もある。喜びも見いだせます。罰どころか必要不可欠な立派な仕事ですしね。たとえば禅では、座禅や読経だけでなく、食事や掃除など一切の生活が修行とされます。さらに、修行は悟りを得る『ため』にするのものでもありません。修行そのものの中に悟りがあるんですね」
なるほど。何かの目的を実現するための手段としての修行ではないと。

「よく、仕事は金もうけの手段だとか、目的は金じゃなくてもっと崇高なもんなんだとか、そういう言い方をする人がいますね。どちらも間違いだと思います。仕事は仕事です。ただ黙々とこなすなら、その結果、金銭やら達成感やら社会的意義なんかがオマケでついてくるだけですよ」
若い人はやる前に、つらいとか、大変だ、できないと思ってしまう。
「自分に合わないとか、仕事がつらいとか思う前に、この仕事を面白くこなすにはどうしたらいいかを考えればいいかもしれません。人間関係でも同じですね。たとえば意見が食い違ったとして、たとえ正論だと思ったとしても、一方的にぶつけるだけが道ではない。相手も自分が正しいと思っているのですから、ケンカになるだけです。正しいからといって戦えばいいというものではないですね。要は、有意義な意見統一ができればいいわけですから、そういうミッションだと思えば、もっと柔軟に、いろいろなやり方が考えられるはずです。戦いというのは、どんな場合も回避するにこしたことはない。そのためには、自分はこうなんだとか、これしかないんだという、つまらないこだわりや思い込みは捨てたほうがいい。つらければつらさを楽しむ。それができれば、毎日が面白くなります」