副産物の多い趣味を

ハンドルの遊びがないと危険

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 「高層の死角」「人間の証明」「悪魔の飽食」「忠臣蔵」など、本格ミステリーから時代小説まで、幅広い分野のオリジナル作品が380作を超え、まるで高い峰々が連なる大山脈を仰ぎ見る感じがする。80歳の現在も連載4本を抱え、「あと40から50は書きたいものがある」と、創作活動のエネルギーはまだまだ旺盛だ。そんな大御所作家の心身の基礎体力を鍛えたのは、若き日々からの山登りという。登山から写真、俳句などさまざまな趣味が派生して、人生が彩りある豊かなものになった。昔と変わらぬスリムな体から、趣味と嗜好について、ユーモアに包まれた含蓄のある言葉が流れ出した。

 山登りは若い頃からですね。

 「私の郷里は埼玉県熊谷市で、関東平野の真ん中ですから、地平線の向こうには高い山々が見える。谷川岳やら上信越の山々やら、赤城山、榛名山、男体山など、山のオンパレード。子どもの頃から、いつか、あの山に登りたいと、山のかなたへの夢が膨らみました」

 本格的な登山は?

 「青山学院大学に入学してハイキング部に入部しました。当時はそんな名前でしたが、結構きつい活動をしていて、ワンダーフォーゲル部みたいでした。ヒマラヤ遠征もしていましたので、準山岳部でしたね。グループで登るのは楽しいし、たくさんの思い出も残ります。でも、団体登山だとなかなか気に入った写真が撮れないのが不満で、2年生の終わりに部をやめて、それからは単独行が多くなりました」

 カメラもおやりになっていた?

 「やはり山に登っていると、美しい景色に出合います。山の風景は共有すべきものですが、写真でそれを保存できれば、私物化できる。20歳の時に初めて自分のカメラを買いました。私は高校卒業後2年間働いていまして、その時稼いだ金で小西六のスプリングカメラ『パールⅣ型』を買いました。当時のスプリングカメラコンテストで世界一になったカメラです。僕の給料が月7000円から8000円の時代に、2万5000円か6000円もしました。もう今は撮影はしませんが、大切に持っていますよ」

 それで山の風景を撮りまくったんですね。

 「いや、当時はまだカメラは奢侈しゃし品でしたし、フィルム代も高かったから、節約して、本当にこれはいいと思う被写体しか撮りませんでした。それだけに、風景を早く見て、シャッターを押すのに選択眼は厳しかったですよ。今のデジタルカメラのように、念のためにとたくさん撮ることはありませんでした」

 登山に写真と、いいご趣味ですね。

 「若い頃は特に趣味だという意識はなかったです。僕の場合、山から写真が派生しましたが、さらに俳句、和歌、エッセーなども楽しむようになりました。山登りを職業とする人、冒険にする人もいますが、山で憩う人も多い。趣味として楽しむものは、収入につながる職業、仕事とは違うものだと思っています。まあ、僕の場合、その後、作家になって俳句や写真、エッセーなどで収入を得て、半職業化しているので、趣味というより、セミプロフェッショナルですね。

 趣味とか嗜好、たしなみというのは収入につながる職業、仕事とは異なるものだと思いますね。クルマに例えるとよくわかります。生き方の選択、職業の選択、人生に方向付けするのはハンドルですが、趣味や嗜好というのはハンドルの遊びです。サスペンションでもあります。この遊びがないと危険です。仕事ばかりだとストレスがたまります。反社会的でなければ何でもいいから、遊び、趣味が必要です。私もホテルマンから作家になったときには、そう考えていました」 

 俳句や和歌はいつごろから?

 「子どもの頃からです。学生時代には歌人か俳人になろうと思っていましたから。でも、先輩が『なにも、初めからマルビ(貧乏)を志望することはないだろう。石川啄木を見てもわかる。あんな著名な歴史上の人物でも、常に貧乏だった』と言われて」

 やはり山に登って素晴らしい景色を見ていると、歌ごころがわいてくるんでしょうね。

 「はい、山に登るとロマンチックになります。とくに5月ごろが一番好きです。残雪があって、夏山よりも山がきれいに見える季節です。山の頂上から見ると、海とは違う陸の風景が私は特に好きです。八ケ岳や秩父の山々に行くと、平原につながる裾野があお茫々ぼうぼうと見える。遠くかすみがかかって、地平線が見えなくなる。その地平線と空の間のかすんでいるあたりを私は『碧い遠方』と名付けまして、あの限りもない遠方に自分の可能性のすべてがある、自分の将来がある、友人、配偶者、職業、チャンスなど無数の出会いがあると。そう、妄想にふけるのが好きでした。山頂から見ていると、見知らぬ町の屋根がキラッと光って見える時がある。その町に行ってみたいと思うんですよ」

 風景に対しての感受性が強くなりますね。

 「そうです。若い頃は、そうして頂上から眺めているうちに、あの山からこちらの山を見たらどう映るか、と想像して、ではこの次はあの山に登ろうと、決めることが多かったです。自分で『約束の山』と呼んでいました。大体がそうして決めていましたが、時々は小説や映画の刺激を受けて約束した山や町もあります。井上靖さんの小説『氷壁』などがそうでした」

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