小説家にならなかったかも

ミュージシャンとしての僕は椎名林檎さんに殺されました

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 「15歳から30歳までロックバンドをやっていました」という言葉通り、誉田哲也さんの話しぶりは、リズミカルで軽快だ。小説からドラマ、映画になった話題作「ストロベリーナイト」のストーリーも、以前ボツにした「殺人ショー」を題材にした自作曲の歌詞から生まれたという。姫川玲子や魚住久江らのヒロインが活躍する警察官シリーズのほか、青春もの、武士道シリーズなど幅広い著作の原点は、少年時代に読んだ文庫本だった、という意外なエピソードも興味深い。

 今も、音楽に凝っていらっしゃるとか。

 「30歳でバンドを解散してから、音楽は何年もやっていなかったんですけど、30代後半でまたギターを弾き始めて、1年前くらいからパンデイロという打楽器もよく演奏しています。バンド時代、僕はベースでしたが、最近執筆時間の合間に、昔の自分の曲をギターで弾き語りしているうちに、パンデイロと合わせたくなって、ベースやギターの音とループ・サンプラーで重ねると、これが"一人ちんどん屋"みたいで、面白くてしようがない。時間も仕事も忘れてしまいますね。やり過ぎて爪がはがれたり、編集者から『誉田さん、いつ仕事をしているんですか』と言われたり」

 そのパンデイロという楽器は、どんなものですか?

 「ブラジルの楽器で、サンバの演奏などに使われているものです。僕は弦楽器は弾けるんですが、ドラムはたたけないというコンプレックスがあって、いつかちゃんと打楽器をやってみたいという欲求がずっとあったんです。機械でプログラミングしたリズムは、どうしても平べったくなってしまうので、自分にもたたける生の打楽器があったらいいなと思っていたんです。

 パンデイロは形や大きさはタンバリンのようなもので、ヤギ革を張り付けてあります。たたき方次第で、ドラムのようなリズムが再現可能で、ハイハットのような金属音、バスドラムのようなドンッという低音、スネアのようなパンッという破裂音、奏法によってはもう少しバリエーションを持たせることもできる、僕にとっては夢のような打楽器です。今東京でドラムの練習を自宅でしようとしたら、家の防音を徹底的にやるしかありませんが、パンデイロなら、家族には多少迷惑をかけますけど、一応普通の家でも演奏可能です」

 パンデイロとの出合いは?

 「山崎まさよしさんが叩いているのを見て、調べてみたら、タンバリンじゃなくてパンデイロだとわかって。あ、これが俺が求めていた打楽器かと。早速ヤギ革の付いたのを買いました。さらにあちこちでパンデイロの話をしていたら、姫川玲子シリーズ累計200万部突破記念のとき、光文社さんから8インチのものを記念品としてプレゼントしていただきました。その後、光文社文庫累計300万部を記念して、今度はさらに小さい6インチのパンデイロを特注でプレゼントしていただきました。直径10インチ(約25センチ)サイズのが普通なのですが、僕は機能が同じなら小さいものの方が好きなものですから」

 簡単に演奏できるんですか。

 「昨年3月から始めたんですが、左手でずっと持っているもんですから、中指と薬指に力が入って、根本と第2関節が痛くて痛くて、やり始めてから3カ月間は、指が曲がりませんでした。それでギターも弾けなくなったくらいです。

 はじめは小澤敏也さんの初心者講座をユーチューブで見ながら練習していましたが、その後はブラジルの第一人者、マルコス・スザーノさんや小澤さんも推薦している長岡敬二郎さんの教則DVDを買って、毎日のように練習しました」

 さて、さかのぼりますが、バンド活動はいつごろから始めたのですか。

 「15歳からです。30歳の時にやめたというか、最後のバンドを解散して引退しました。ですから大学卒業後も、普通に仕事をしながらバンドはずっと続けていたわけで、だいたい月1回はステージに立っていました」

 プロとして食っていた、わけではないんですか。

 「プロではないし、セミプロでもなくて、まあアマちゃんじゃないですか。その間、何百万円つぎ込んだか、計算できません。毎週毎週の練習で払ったスタジオ代は取り返せませんし、僕はエレキベースでしたけど、弦の張り替えやら何やらで、毎月支出はかさむし」

 一応、プロを目指していたんですね。

 「一銭ももうかりませんでしたけど、いつか白馬に乗ったプロデューサーが僕らの目の前に現れると信じていました(笑)。とくに24歳から30歳までのときのバンドは、遅れてきた青春みたいな感じで、物すごく楽しかったです。後から考えると、本当は一生懸命売り込みもしなければいけなかったんだと思います。オリンピックでいうところの、ロビー活動的な」

 歴史のif(イフ)ですが、もしプロデビューしていたら、作家には……?

 「なっていなかったでしょうね。でも、あのころは自分でも、音楽ではもうダメかなあとうすうす感じていました。というのも、僕より九つも年下の椎名林檎さんが出てきたんです。よくスポーツ選手のいろいろな能力を比較するのに、六角形とか八角形のパワーバランスの能力分布図を作るでしょう。それをミュージシャンの能力、例えば作詞、作曲、歌唱力、アレンジ力などに当てはめてみた場合、どこをとっても椎名さんは僕の評価では満点なんです。この人、すごいなあ、こんなミュージシャンがいるんだから、俺に声がかからないのも当たり前だ、と思い至り、30歳でバンドを解散して、音楽はやめました。ミュージシャンとしての僕は椎名林檎さんに殺された、というか、バッサリ介錯かいしゃくしてもらったように思っています」

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