もやっとした気分を撮る

ミステリー小説の構図を解体して図式を作るのが楽しかった

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 日本でもファンが増えてきたとはいえ、自転車のロードレースの人気は、まだまだ本場ヨーロッパの比ではない。「ツール・ド・フランス」や「ジロ・デ・イタリア」のチャンピオンが国民的英雄となる風土である。だが、山道を含む3000キロもの道を21日で走り切る過酷な長距離走への関心は確実に高まっている。火をつけたのは近藤史恵さんの小説「サクリファイス」。大藪春彦賞、2008年本屋大賞第2位に輝いたロードレース小説だ。続く「エデン」「サヴァイヴ」「キアズマ」も、スポーツマンの名誉と欲望、友情と裏切りという人間くさいドラマを爽やかに描いた会心作だ。

 多くの読者が「きっと著者はかなり自転車に詳しい人、あるいはロードバイクに乗り慣れている人だろう」と思っているでしょうね。実生活でお乗りになっているんですか。

 「乗っていません。少なくともスポーツ自転車は乗っていません。街乗りで自転車には乗っていますけど、ママチャリよりちょっといいのに乗っている程度です」

 ロードレースに興味を持ったきっかけは何ですか。

 「一番初めは、自転車を買おうと思った時に、自転車のことを調べていたら、いろいろ種類があるんだなあ、奥が深いなあと思いました。それがきっかけで、そのうち、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどの海外ロードレース、グラン・ツールがあると知り、それをテレビで見ているうちにハマりました。ハマったあと、ツール・ド・フランスのDVDをフランスからかなりの数、取り寄せました。当時はまだ日本ではあまり多く出ていなかったので。『サクリファイス』を書く2、3年前のことですね」

 自転車レースに引かれたら、自分も乗ってみたいとは思わなかったんですか。

 「街を走る自転車には乗っていましたが、私、子どもの頃から運動神経よくないんです。スポーツがホント苦手で、嫌いでさえありました。だから観戦専門ですね。こうしたロードレースの小説を書けて、しかも読者の評判がいいと聞いて、自分でもびっくりしています」

 ロードレースを小説にしようとしたとき、どこに魅力を感じたのですか。

 「まず、時間が長いことですね。グラン・ツールだと3週間、休養日をのぞく毎日、6時間以上自転車で走ります。つまり考える時間がたっぷりある。例えば、あまり詳しくないのですが、サッカーだったら45分ハーフで合計90分の試合。その間は死に物狂いでプレーしていますから、そんなにいろいろ考える時間はないでしょう。ロードレースは、人がいろいろ考える時間があるので、文章にしやすいと思いました。自転車の上で会話もするし、食事もする。楽しいことも苦しいこともあって、物語的というか人生的というか、あまり知らない人でもわかりやすいでしょう」

 ヨーロッパの現地に行かれて、ツール・ド・フランスなどのグラン・ツールをご覧になったそうですが、お好きな選手は誰ですか。

 「4年前に引退しましたが、イタリア人のジルベルト・シモーニが好きでした。シモーニが好きになってからレースを真剣に見るようになりました。ジロ・デ・イタリアで2回総合優勝し、総合2位も1回、総合3位を4回……」

 イケメンですか。

 「普通だと思います。イケメンは他にたくさんいますよ。彼は変人でしたね。選手たちは皆紳士なのに、シモーニはチームメートとけんかしたり、他のチームの選手を罵ったり、問題児でした」

 そんな選手を、なぜ好きになったのですか?

 「山登りにプライドを持つクライマーで、最後まであきらめないストイックな殉教者のようだったから。日本に来てレースに出たときも、圧倒的に強くて勝っているのに、それでももっと全力を出して登るような勝負にストイックなところがあります。でも、ちょっと子供っぽいところがあって、つい心配になってしまうという母性本能を刺激するような人ですね」

 男同士の戦いの場を見事に人間ドラマとして描いた「サクリファイス」「エデン」「サヴァイヴ」「キアズマ」の一連のロードレース小説。サスペンス味を加えながらも、選手たちの葛藤や喜びがリアルに伝わってきますね。

 「人の感情みたいなものを拾い上げたい、それを言葉にしていきたい。ネガティブな感情でもポジティブな感情でも、人の気持ちをずっと見ていきたい、そこに一番興味があります。主人公の気持ちなどひと言では書き表せません。だから物語、小説という形にしてくっきりと表現しなくてはいけません」

 なかなか言葉にできない人の気持ち、感情。それをどう言葉にするか、ですね。

 「好きなカメラも似ています。言葉にならない、もやっとした人の気持ちを写真で撮るのが好きです」

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