「寿命で死ぬ幸せ」

最終的に残った趣味が物を書くことだった

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 軽井沢は霧に包まれていた。10月はじめ、インタビュー場所の軽井沢駅前の老舗喫茶店に、マイカーを運転してさっそうと乗り付けた唯川恵さん。愛犬の死を語る時はしんみりとした口調だったが、それをきっかけに始めた山登りの話題になると、明るい表情で登山の魅力を話し続ける。さらに大自然に包まれて育まれたのか、自らの死生観も吐露した。

 趣味といえば、唯川さんはたくさんお持ちだとか。

 「趣味というより、習い事ですね。20代のOL時代、私、金沢生まれで、そのまま金沢にいましたが、私の時代は25歳になったら結婚するというのが普通でした。女友達の多くはそうなりましたけど、私は違った。そこで一人遊びをしなくてはならないと、一人で楽しめるものを次々と習っていました」

 当時の習い事といいますと……。

 「お茶とお花は当たり前で、私はそのほかに着付け、洋裁、和裁などいろいろなものに顔を出しました。カルチャーセンターにもいろいろ。でも、なかなか長続きするものがなくて」

 一番短かった習い事は何ですか。

 「レザークラフト教室です。友達に誘われて行きましたけど、体験入学だけで終わりました」

 逆に、結構長続きしたものは?

 「三味線です。10年間やりました。友達の結婚式で弾きましたけど、結局、そこまででした」

 そこまでやっていたのなら、金沢ですから見番もあるし、そちらの道に行こうという気はなかったのですか。

 「あちらはプロの世界ですからね。憧れはありましたけど、勇気はなかった。でも、その後、あの世界のことを小説には書きました」

 結局、数多くの習い事は役に立ったのでしょうか。

 「長続きしたお花は20代後半に免状をもらいましたけど、役に立ったのかどうか。でも、小説家になって、いろいろな人物を書くときには習い事が役に立ちました。当時は何とも思わなかったんですけどね、小説を書き始めてから、OL時代の人間観察を含めてすべてが財産になりました」

 その小説家になるきっかけは何だったんですか。

 「いろいろ習い事や趣味を持っている中で、どれか好きになれるだろうと思っていたのに、長続きするものがなかった。結局、好きじゃなかったんですね。そして最終的に残った趣味が物を書くことだったんです。中学生のときからずっと日記を付けていまして、書くのが楽しかった。それが職業になったわけです」

 子どもの頃から本が好きな、いわゆる文学少女タイプだったんですか。

 「う〜ん、そうではなくて、むしろ体育会系女子というか、外で遊ぶ女の子でした。ただ、当時家庭にあった日本文学全集や世界文学全集などはよく読んでいましたね。でも、とりたてて文学少女というほどではありませんでした」

 小学校を卒業するときの文集に、よく「将来は○○になりたい」という作文を書く人がいますが、唯川さんの場合は?

 「女性代議士と書きました。まあ。その頃からウケ狙いだったんでしょうね。本当はそう思ってもいないのに、何かで読んだことでそう書いたのでしょう」

 でも、少しはなりたいという気持ちがあったのでは?

 「いやいや。たぶん、うちの母から婦人参政権獲得に尽力した平塚らいてう、市川房枝らの話を聞いていたので、そんな影響があったのかもしれません。政治家になるために何かしたということはありません」

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