寿命だったら最高、すべては順番に回っていくんだなあと。
2/3ページ
金沢といえば、泉鏡花、室生犀星といった文豪の故郷。そういった風土が小説家志望の夢を膨らました、ということはありませんか。
「田舎といったら何ですけど、金沢は地方の小さな町でしたし、小説家など見たこともなかった。綿々と文章をつづることはできても、そんなもので生きていけるなど思ってもいませんでした。小説家になるなんて口に出すこともありませんでした」
でも、当時確か、五木寛之さんが金沢にお住まいでしたよね。
「はい、うちの近くにいらっしゃいました。でも、一度も見たことはありません。私が中学生のときに東京のほうに行かれました」
さて、たくさんの趣味遍歴のある唯川さんが今一番楽しんでいらっしゃる趣味というと、何でしょうか。
「やはり山登りですね。浅間山が目の前にありますし、信州には素晴らしい山がたくさんありますからね。ここ何年か、計画を立てて山に行くようにしています」
昔から山ガール、山女だったんですか。
「いえいえ。若いころ、金沢にいましたから近くの白山などに2、3回は登った程度です。それに今から15年前、まだ東京に住んでいるとき高尾山に1回登っただけです。あのときは本当につらかった!」
高尾山は標高600メートル弱ですよ。それにケーブルカーもあるし。
「そのケーブルカーで上がったんですが、それでも、ものすごくつらくてつらくて!まだ30代で、40歳になる手前だったかな。こんなにダメになるなんて、自分でもびっくりでした。山はとても私には無理、やめようと思いました」
それが今では登山が趣味に。やはり軽井沢に住まいを移されたのが転機ですか。
「はい。2003年にこちらに来てから11年になります。それまでは13年間東京に住んでおりまして、そこで犬を飼い始めたことが軽井沢移住の大きなきっかけになりました」
と言いますと……。
「大型のセントバーナード犬のメスを飼いました。駒沢公園近くの借家にいましたが、やはりどう考えても都会で飼うのは無理だとわかって、真剣に移住を考えました」
なぜ、セントバーナード犬だったのですか。
「それまで犬を飼ったことがなかったので、ぜひ飼いたいと思ったとき、私は(アルプスの少女)ハイジになったんです。あんなに大きくて賢くて頼りになる犬はセントバーナードしかないと。それに自分の年齢や体力を考えても、今なら飼えるだろうと」
そして軽井沢の自然の中で幸せな日々が訪れた……。
「いや、それが理想と現実とは違っていました。飼った犬は(ハイジになついている)ヨーゼフだと思っていたのに、そうじゃなかった。犬にはそれぞれ性格があるんだなあと思いました。何でも私の言うことを聞く犬ではなかった。初めは子犬でしたけど、すぐ30〜40キロぐらいに成長して、じゃれたり、取っ組み合いの本当のケンカになったりした。夫の言うことは聞くんです。犬にとってボスは男性なんです。私と“彼女”とで二番手争いをしていたんでしょうね」
まるで1人の男を2人の女が取り合うような。
「そう、ベッドに入っても、“彼女”は夫のほうに行って枕に顔を寄せて寝ているんですよ。でも、2年くらいたったら私と折り合いを付けて、穏やかな日々を送るようになりました」
それで10年間。
「はい。その間、私は“彼女”との生活を最優先にしてきました。体重70キロですから、他人には預けられない。預かってくれる獣医さんも、この辺にはいない。だから夫婦で旅行したことがないんです。私も1泊2日以上の仕事は受けませんでした」
そして別れる日が来る……。
「2010年に死にました。病気になり1カ月寝たきりになり、弱っていく姿を見ているうちに、ああ、犬も死ぬことを受け入れているなあと感じました。だからあんまり、耳元で『頑張れ、頑張れ』と言わなくなりました。あとは自然に任せようと。寿命で死んだことをありがたいこと、幸せなことと思うようにしています。そして、自分の死についても考えるようになり、寿命だったら最高だと。軽井沢を歩いていると、動物の死骸をよく見るし、それを他の動物が食べてもいる。すべては順番に回っていくんだなあと感じます。私の両親も死んでいますし、自分の死と重ねて考えるようになりますね」