浅間山をメインに月1回登っています

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 そういう人生観というか死生観というのに、大きな影響を与えられたものは何かありますか。

 「刺激となったのは、手塚治虫先生の名作『火の鳥』ですね。若い時に出合ってから何回も読んだし、何回も買い替えました。輪廻りんねから入っていく生命観を基にした大きな物語です」

 愛犬の死からすぐ立ち直れたのですか。

 「しばらくは何もする気が起きずに、ぼんやりしていました。そこで夫が『気分転換に』と言ってくれて、山登りを始めました。はじめは浅間山の日帰り登山で7、8時間かかるコース。ところが、登り始めると30分でもう息が上がる。なんでこんなに息が上がるのか、わからない。でも、そのうち無理して階段を上がらずに、遠回りしてでもいいから緩いところを行くようにした。自分の体と正直に向き合うことを、山登りをして初めてわかるようになりました」

 ご主人は山登りのプロなんですか。

 「出会いは東京・六本木の飲み屋。小説家や編集者らが出入りするところで、飲み友達だった人です。付き合っているうちはよく知らなかったんですけど、結婚して軽井沢に住んでいるとき、停電があって、裏の倉庫から突然コッヘルを取り出してきたので、登山を本格的にやっていたんだと初めて知りました。かつてはアウトドアライターで、仕事で山登りをしていたので、山にはウンザリしていたそうです」

 愛犬の死から4年間で、山登りはあちこちに?

 「浅間山をメインに月1回登っています。高い山はまだあまり登っていません。高いといえば富士山に登ったとき、8合目あたりで高山病になってしまい、吐き気が……。『朝日を見たら楽になる』という夫の言葉に励まされて、あきらめかけたけど、結局頂上まで行きました。なめてかかってはいけないなあと感じました」

 やはり山から見る絶景は疲れを忘れさせてくれますよね。

 「初めて北アルプスの涸沢まで登り、360度のパノラマで紅葉の景色が見えたときには、本当にきれいでびっくりしました。美しいものは美しい、としか言えない。単純な言葉しか浮かんできませんでした。景色の感動に言葉の表現はかないませんね。大自然と出合った感動体験を書くのは難しいです」

 山登りを始めてから日常生活も変わったでしょうね。

 「日ごろからトレーニングしています。近場を登る時はリュックに5キロの重りをつけているし、家では両脚に1・5キロの重りをつけて脚上げをしています。職業病でしょうね、40歳過ぎからの腰痛持ちなので、屈伸運動などストレッチをやっています。お金をかけていろいろな椅子を買って試しましたけど、長い時間座れません。今はバランスボールで執筆しています」

 最後に、唯川ファンが期待する最新作をお知らせください。

 「11月下旬に出る予定なのが、私の初めての怪談もの『逢魔』(新潮社)です。昔の怪談『四谷怪談』や『番町皿屋敷』『牡丹灯籠』など有名どころ7編を唯川自身の解釈、アレンジで書いたものです。怪談って女性の主人公が多い。情念、怨念(おんねん)は恋愛につながるものですから、基本は女性を描けたらいいなという思いで書きました。それに怪談って意外とエロチックなんですよ」

〈次回は12月1日(月) 下村敦史氏掲載予定〉

 

唯川恵(ゆいかわ・けい)
 1955年、石川県生まれ。金沢女子短期大(現金沢学院短期大)卒業。銀行などに勤めた後、84年「海色の午後」で第3回コバルト・ノベル大賞を受賞しデビュー。2001年「肩ごしの恋人」で第126回直木賞、08年「愛に似たもの」で第21回柴田錬三郎賞を受賞。近著に「手のひらの砂漠」「途方もなく霧は流れる」など。

取材を終えて  網谷隆司郎
 「北アルプスの涸沢まで登って見た、まわりすべてが山に囲まれた紅葉の素晴らしさ。美しい!という単純な言葉しか浮かびませんでした」
 山頂からの絶景に思わず言葉を忘れそうになったという唯川恵さんの言葉に、「そうそう私にもある、そういう経験」と共感する方が少なくないでしょう。国土の大半が山という日本。各地の山岳でその地ならではの景色を楽しめるのも、日本の魅力の一つです。
 今や月に1回は、浅間山を中心に山登りをしているという唯川さん。それだけ聞くと、「山ガール」「登山おばさん」の一人と片づけそうだが、15年前に東京の人気スポット、高尾山に登ったときの疲労困憊こんぱいぶりから、今や全く別人に変身したのは何がきっかけだったか。
 「10年間、“彼女“を最優先に生活してきました」というセントバーナード犬のメスの死。その後のポッカリと心の中が空洞になった月日。世間でいう「ペット・ロス」なのだが、今では「ペット」というより「アニマル・コンパニオン」というほど、家族の一員になっている人が多いようだ。
 同じ軽井沢で昨年インタビューした作家、馳星周さんも大型犬とともに生きていて、ほぼ自身の分身を描いた「ソウルメイト」という本を出している。自分の生活になくてはならない心の友、というほどの存在を哀切を込めて描写している。
そんな心の友を失った唯川さんの立ち直りのきっかけになったのが山登りだったようだ。
「軽井沢を歩いていると、あちこちに動物の死骸があって、他の動物に食べられた跡もある。ああ、すべては順番に回っているんだなあと感じます」
 大自然の中で、イノチの循環が静かに進んでいる、という思い。山という自然が、一人の人間を宇宙の中の一個の動物、一つの命として直感させてくれる。小さな存在だけど唯一の生命であるという重みも。
 「“彼女”が寿命で死んだことをありがたい、幸せなことだと思うようにしています」という唯川さんの言葉に、私の心の奥の何かが溶解したように、安らかになった。
 1カ月の看病・みとり経験を通して、「もう耳元で『頑張れ頑張れ』というのはやめよう。あとは、自然に任せよう」という心境に行きついた唯川さんは、やがて「私の死の時もそうありたい」と穏やかな表情で語った。
 現世しかないという感覚で日々生きる現代人。iPS細胞によって不老長寿の夢を見る人もいるかもしれない。だが、命には締め切りがある、という生き物の定めをしっかり見据える勇気も必要だ。
人工環境都市の大都会では気づきにくいが、山はそんな勇気を引き出してくれる場なのだ。

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