身近な読者がいたから続けられた

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 2006年から毎年乱歩賞に応募していますね。しかも今年の受賞までに4回も最終選考に残っている。つまり、あと一歩で栄冠に輝くところまで来ていたわけです。逆に言うと、8度も落選している。よくあきらめずに書き続けた、いや毎年毎年、内容の違う作品で挑戦し続けることができた、というところに私は驚きを感じますし、その不屈のエネルギーの源は何なのか、ぜひうかがいたい。

 「まずは、小説を書くことが好きだったんですね。やめられなかった。それに、家族や友人といった身近な読者がいたことが続けられた一番大きな理由だったと思います。自作を読んでくれる10人ほどの少ない読者のために面白いもの、楽しいもの、驚くようなものを書きたいという思いがあったので、あきらめずに書き続けられた。誰も読んでくれる人がいなかったら続かなかったと思います」

 具体的には、どんな読者がいたんですか。

 「両親と三つ違いの弟。小説を書くきっかけとなった幼なじみの友人。それと小説を書き始めてから知り合った、同じように小説を書いている友人たち。母の友人。当時の弟の恋人で今は結婚した弟の奥さん。年齢も職業も違う人たちに、自分の作品を読んでもらい、気になったことがあったら何でも赤で書き入れてアドバイスしてもらい、それを参考にしながら最終的に自分で直してから応募するようにしていました」

 今回受賞したことで、そういう方々とお祝いの、感謝のうたげを盛大に開いたでしょうね。

 「いえ、今回の受賞は自分の中ではスタートラインに立っただけだと思っていて、もし大々的に祝ってしまうと、ゴールした気分になっちゃうので、祝う会は開いていません。でも、友人たちを東京での授賞式に招待しましたし、家族にはいくらか“お福分け”をしました」

 高校を中退してから16年、17年たっていますが、その間、何か仕事はしてきたのですか。

 「ずっと実家で親と同居しています。お金が必要になったときだけ仕事をするフリーター生活でしたが、そんなに生活に苦労することもありませんでした。ただ、すぐ隣に祖父母が住んでいて、介護が必要な状態だったので、家族がそれぞれできることをしなければいけない状態が続いていました。両親には厳しい祖父ですが、自分だけは気に入られていて、自分が行くと祖父は穏やかになる。祖父と両親との間の橋わたしという存在になってきました。とにかく身近なことで精いっぱいでしたね」

 介護も大変、小説執筆も真剣勝負、という日々が長く続く中で、下村さんの楽しい時間は何でしたか。

 「面白いDVDを見ることです。スカパーやWOWOWで好きな映画、ドラマ、ドキュメンタリーを録画して、DVDにとっておくんです。もうだいぶたまりました。すでに見たDVDが1000本くらい、まだ見ていないのも1000本はあります。10年以上前からビデオ録画を始めて、ここ数年はDVDになっています。どんどん増えてきて……」

 たぶん、一生かかっても見切れないと思いますよ。

 「そうでしょうね。自分の部屋の押し入れに、DVD収納用のラックが何段にもなっています。受賞後、自分の部屋で執筆しやすいようにと、机や本棚を入れたりして改装中です。そのため、サンドバッグや筋トレマシンなどは処分しました」

 これからは作家生活がメインになると思います。どんな作家を目指しますか。

 「自分にとっては雲の上の存在ですけど、東野圭吾先生のようにいろんな作風に挑戦して、多彩な作品を発表する作家になれたらいいなと思っています」

 そんな下村さんの受賞後初の作品を待ち望んでいる読者も多いことと思います。デビュー作に次ぐ第2弾はどんな内容ですか。

 「来年1月下旬に講談社から刊行予定の『叛徒』という小説です。自分にとっては初の警察小説で、歌舞伎町を舞台にした、ちょっと変わり種の警察小説だと思います。主人公は新宿署に勤務する通訳捜査官。あまり知られていないと思いますが、実際にいる警察官で、取り調べに立ち会い事情聴取の橋渡しをする役目です。昨年の乱歩賞の応募作で最終候補まで届かなかった『東京に消えた白い花』という小説を書くため、中国関連の資料を探していたところ、この仕事を実際にしていた人のドキュメンタリーに出合って、この作品のアイデアがひらめきました。中国語担当の通訳捜査官の主人公が、行方不明の息子の関与を疑いつつも、無実を信じて、通訳捜査官という立場を生かしながら独自の捜査で真相に迫るというストーリーです」

〈次回は1月12日(月・祝) 西村京太郎氏掲載予定〉

 

下村敦史(しもむら・あつし)
 1981年京都府生まれ。99年に高校を自主退学し、同年、大学入学資格検定合格。2006年より江戸川乱歩賞に毎年応募し、第53回、第54回、第57回、第58回の最終候補に残る。今年、9回目の応募となる「闇に香る噓」(応募時のタイトルは「無縁の常闇に噓は香る」)で第60回江戸川乱歩賞を受賞。デビュー作の刊行からわずか5カ月の来年1月に「叛徒」(講談社)を刊行予定。

取材を終えて  網谷隆司郎
 「身近な読者がいなければ、たぶんあきらめていたと思います」
 今年の第60回江戸川乱歩賞に輝いた下村敦史さんの言葉が、今も心の中でリフレインしている。
受賞作「闇に香る嘘」は、中国残留孤児が来日帰国してからの日々を、重層的なサスペンスに仕上げた佳作と読んだ。重苦しい家族内の血が絡んだ情念も、ラストのどんでん返しともいうべきカタルシスで、ホッと救われた。
 そんな読後感の漂う作品批評よりも、私が強く関心を寄せたのは、9年連続で応募し続け、さらに受賞前に4回も最終選考に残っていながら落選し続けたのに、なおも書き続けたエネルギーの源は何だったか、である。
 その簡潔な答えが、冒頭の一言だった。
 だが、文字面だけみれば、多くの文学賞の新人作家が口にしそうなセリフではある。スポーツ選手が勝利インタビューで「ファンの皆さんの応援があったからこそです」と言うのに似ていて、今ではあまり心の底からの声とは響かなくなっている。
 ところが、下村さんの略歴を見ると、「高校中退」とある。インタビューではもう一つ、真の理由がはっきりしなかったが、高校2年生のはじめで自ら退学の道を選んだという。その後は自宅で家族(両親と弟)と暮らしながら、時々フリーターとして働き、祖父母の介護にも重要な役割を果たしていたようだ。
 失礼ながら、作家というと、現代では大学出のインテリと相場が決まっている。その中で、現代の社会問題になっているフリーターという立場から、見事に一点突破、小説家の登竜門を堂々とくぐった。渡る世間の風やら風評被害といったものもあっただろう。でも、書き続けた。
 「書くのが好きだったから、何度落選しても、書くのをやめようとは思いませんでした」
 このセリフが原点だろうが、高校中退してからの17年、書き始めてからの10年。下村青年を支え続けた半径1キロ圏内の人間関係が、絆を求める現代社会に大きなヒントを投げかけている。静かな信頼、そっと寄せる期待、時々の喜怒哀楽の交換。こんな文字では表せない温かい空気が、地球を覆う成層圏のように個人を包んでいる様子が浮かんでくる。
 作家は作品が命であり、評価の主軸であることはもちろんである。生い立ちや境遇で何やかにや語られるのを嫌がる人もいる。しかし、下村さんの今回の栄冠は、多くの若者がモヤモヤした思いを抱く現代社会に、一陣の涼風を吹き入れた、と私には感じられた。ご本人にはご迷惑かもしれないが、同世代の若者にも何かメッセージが伝わるのではないか。
 インタビューの数日後、私の小学6年生の時のクラス会が開かれた。団塊の世代である。もう卒業後50年以上たっている。9人の男女が思い出話に花を咲かせた。我らの時代は中卒、高卒、高校中退が珍しくなかった。いたずら坊主、いじけた女の子と何十年ぶりに再会した。大学など行く気もなかった同級生たちの、なんと人間味のあること! サラリーマン生活しか経験のない私など、人間社会のほんの片隅しか知らない出来の悪い坊やに見えてきた。
 ますます下村さんのこれからが楽しみになってきた。

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