「戦後を書きたい」

木製のプロペラ機を100機ほど

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 明智小五郎(江戸川乱歩)、金田一耕助(横溝正史)、神津恭介(高木彬光)、棟居弘一良(森村誠一)……日本の探偵小説、推理小説、ミステリー小説に登場する人気キャラクターは数々ある。そんな中で、今も作品が世に出され続け、テレビドラマ化されて高い視聴率を誇るのは、浅見光彦(内田康夫)と十津川省三(西村京太郎)を双璧とする。1973年に初登場して「3作で終わりにするつもり」だったという十津川警部シリーズは、43年目を迎えた今も主人公は40歳の現役で、浅見光彦を押さえて最長不倒記録更新中である。生みの親、西村京太郎さん(84)に、神奈川県湯河原町にある「西村京太郎記念館」でインタビューした。

 いま、ご趣味として楽しんでいらっしゃることは何ですか。

 「プロペラ機を集めています。模型です。プラスチック製でなくて、すべて木製のもの。僕は一応、昔陸軍にいたので、B29とか米軍の艦載機などを集めています」

 西村さんにとっては、敵機ですね。

 「僕は昭和20年4月に東京陸軍幼年学校に入っているんです。5カ月目の8月2日、学校に空襲があった。B29が来て、逃げる僕らを追いかけ回す。僕の周囲でも焼夷しょうい弾がボンボン炸裂さくれつする。学校の外に逃げてはいけないと言われていて、建武台といわれる校庭内の神社に逃げ込むわけです。その時は14歳だったから、怖いとは感じなかったけど、同じ1年生のオイカワという生徒が、天皇陛下からたまわった剣を忘れて学校校舎に取りに戻ったところをやられて死んだのを覚えています。空襲で生徒10人が死にました」

 ご自分でプロペラ機を作るのですか。

  「いや、完成品を東京・青山通りにある店で買っています。もう20年くらいになりますか」

 初めは、どんな機から集めたのですか。

 「初めはゼロ戦でした。海軍の紫電改も好きですね。米軍のほかにも、イギリスのスピットファイアやドイツのもあります。朝鮮戦争以降はジェット機が出てきますが、僕はプロペラ機しか集めません」

 大きさはどのくらいですか。

 「主にデスクトップサイズで、大きなものは50センチから60センチくらいかな。小さいものも含めたら、全部で100機ほどあります」

 コレクションを始めたのはなぜですか。

 「戦争ものを書いておきたいと思いまして。B29などをデスクに置いておくと、この爆撃機に校庭で追いかけ回されたなあ、と当時のことが思い出されますから。最近の作品に、戦争中や戦後社会のことを書いています。戦後70年の今年出版される十津川作品にはすべて戦争、戦後のことが入っています。特攻隊員の生き残りなど、事件の関係者の祖父、祖母の経験したことを回想として描いています。元軍国少年としては、今の視点で書くのではなく、当時生きていた人間がその時どう感じていたか、を伝えたいという思いがある。表現上難しいところもありますが、これが実際にあったことだ、ということを伝えたい。でないと、戦争を忘れちゃうでしょう。最近の若い編集者と話していると、B29を見て、『これは何ですか』と聞く。戦争や戦後のこと、知らないんですね。がくぜんとします」

 空襲で生き残った後、すぐ8月15日に終戦となりました。その後の戦後社会で生きるのは大変だったと思いますが、作家としてスタートするまでは、どんな生活を?

 「まず、陸軍幼年学校から旧制の工業学校に復学しました。そこの校長だった人は戦後追放されていましたので、。卒業試験もやらなかったですね。卒業後、仕事が何もなくて、新聞の広告で臨時人事委員会の職員募集を見て、受験したら採用されました。昭和23年でした。官僚制度を改革しようとしていたアメリカの進駐軍が作った役所で、同一職種で同一賃金を目指した、今の人事院です。結構暇でしたよ」

 それでも、国家公務員として結局、11年も勤務していたわけですね。

 「暇でしたから、職場ではダンス部や英語研究部といったたくさんの部ができていました。僕は当時小説を読むのが好きでしたから、文芸サークルに入って、ガリ版の『パピルス』という名の同人誌を作っていました」

 その当時はどんな小説を書いていたのですか。

 「いや、その頃は全く書いていませんでした。ガりを切る役です。仲間と小説の最初の一行を書いて『何の小説か当てよう』とやっていましたね。当時人気の作家、安部公房に来てもらい話をしてもらったこともありますが、『現実をいったんバラバラにして、それをもう一度再構成して』などとドイツ語交じりの話で、よく意味が分かりませんでした」

 作家を志すのはいつごろからですか。

 「役所勤務11年目の時、仕事が面白くなくて、僕は役人に向いていないと思い始めていました。その頃、松本清張さんの『点と線』がはやっていて、2時間ほどで読んだら、『僕でも書けるかもしれない』と思った。ちょうどその頃、役所の上司が僕に『そろそろ結婚しろ』と見合い話を持ってきたので、イヤで逃げていた。結婚したら、もう逃げ場がなくなると思っていた。そこで、『作家になりたいので役所を辞めます』と言うと、上司は『働きながらでも書けるだろう。今より楽な部署に回すから見合いはしろ』と。結局、退職しました。29歳の時でした」

 それから一直線に作家の道に?

 「僕は長男で、オフクロに黙って役所を辞めちゃって。だから、毎日出勤するふりをして家を出るんですが、そのまま上野の図書館に行って、午前中は小説を読んで、午後は小説を書いていました。純文学もミステリーも歴史小説も、とにかく何でも書いては、めちゃくちゃ投稿しました。懸賞金狙いですね。役所の退職金がありましたから、まあ1年間は何とか食いつなげるだろうと」

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