競馬場の警備員、生命保険外交員、私立探偵…いろんなアルバイトをしました

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 でも、作家としてはなかなか芽が出なかった……。

 「それで、いろんなアルバイトをしました。府中競馬場の警備員は土・日だけでしたが、1日500円だった。ハイセイコーが人気のころでしたね。大学生のアルバイトが多くて、中には内部情報らしきウワサをもとに馬券を買っていた人もいましたが、僕はお金がなかったので、競馬にはのめり込まなかった。あとは生命保険外交員。これにはやる気が出ませんでしたけど、そこに行けば日当200円と食事がついていたので、しばらく行きました」

 もっと面白いバイトは?

 「私立探偵もやりました。当時日本で一番大きな探偵社に、入社試験を受けて入りました。変な試験でしたね。クルマで尾行を頼まれたときの知恵は何かとか。ここには1年間いましたが、僕には才能がないなと思いました。仕事内容は身上調査が多かった。大学生が就職するときに企業側から頼まれて、学生運動をしていたかどうかを調べる。1件5000円で、探偵には2割の1000円が入る。あまり詳しく調べないで、大学の先生の所に行って、学生名簿にチェックしてもらう程度でした」

 探偵事務所というと、浮気調査のようなこともするんでしょうね。

 「浮気調査もしましたよ。でも、多かったのは結婚調査ですね。親が自分の娘が付き合っている相手の男のことを調べてほしいという依頼です。素行調査です。どういう内容の調査を提出すると思いますか」

 と、いいますと……。

 「2通書くんです。親からの依頼で、『それを娘が見て結婚をあきらめるように書いてくれ』と相手の男をウソでも悪く書くのと、真相をそのまま書いて判断は向こうに任せるのと。中には悪い探偵もいて、依頼金は1件につき20万円、そのうち探偵は2割の4万円しかもらえないので、相手の秘密をネタに恐喝して500万円も脅し取ろうとして捕まったやつが、1年間で2人もいましたよ」

 略歴を拝見すると、1961年に「宝石」増刊号に「黒の記憶」が掲載されデビュー作となり、1963年には「歪んだ朝」でオール読物推理小説新人賞を受賞。1965年には「天使の傷痕」で第11回江戸川乱歩賞に輝いています。34歳の時ですね。

 「ちょうどその頃、僕は東京から京都に移り住んだんですが、当初は京都の人にいじめられました。マンションに住んでいた時、京都だからと下駄をはいて歩いていると、管理人か大家が来て、『先生、いい音がしますね』とか『いい下駄をはいていますね』とか、褒めてくれた。ところが、後から事情通に聞くと、本当は下駄の音がうるさくて文句を言ったということだった。それがわからないと、京都ではダメだと」

 そうらしいですね。よく聞く話で、「ブブ漬け、いかがどすか」、つまりお茶漬けでも召し上がっていきませんか、と誘われても、けっしてOKしてはいけない、それは「早く帰れ」というサインなのだから、という“京都人伝説”のようなものですが。

 「まったく同じ話が僕にもあります。実は最初に京都に行った理由はお見合いのためでした。乱歩賞を取った後、ある作家に勧められて、京都の普通の家庭の娘さんと見合いすることになりました。ところが、見合いが終わり、帰るころになって、『夕飯でもどうですか』とあちらから誘われたので、『じゃあ、いただきます』と答えたら、急に向こうがあわて始めて。実は用意していなかったんですね。当時の僕は、そんなことに全く気が付かなかった。京都では気が付かないといけないのですね」

 で、その見合い話、どうなりました?

 「もちろん、ダメでした。あの男は気が利かないと」

 それは残念でした。

 「でも、見合いが失敗したので、山村美紗さんと出会うことになったんです。前から僕のファンでハガキをもらっていました。見合いがダメになって暇になったので、山村さんに京都を案内してもらえるかと電話してみたら、電話に出たので、京都駅前で初めて会いました。以前、『夏休みを利用して北海道を一人でドライブします』というハガキをもらっていたので、文面からてっきり女子大生とばかり思っていた。ところが、会ったら人の奥さんだった。見合いが失敗していなかったら、山村さんに電話しなかったかもしれませんからね。その後、山村さんに不動産屋を紹介してもらい、京都に住むことになり、結局18年も住みました」

 当時は山村さんも小説を書いていたんですか。

 「いや、高校の先生をしていて、まだ書いてはいませんでしたが、作家にはなりたいと言っていました。推理小説に関心があって、松本清張さんのファンクラブに入っていたと思います。お父さんや弟さんなど学者一家でした。山村さんも頭は良かったですね」

 京都暮らしはいかがでしたか。

 「それが、京都に移ってから急に売れ出したんです。京都に行く前は小説が売れなくて、売れなくて。年収も少なくて税金も15万円くらい還付されていたほど。それが京都に住むようになると、年収が1000万円、次が5000万円、さらに翌年は1億円、そして2億円……と毎年増えていった。すごかったですよ。それでも、はじめの3年ぐらいは、京都の長者番付に僕の名前は載らなかったですよ。よそ者扱いされていたようです」

 それは、それは。どこか神社で祈禱きとうしたか、お寺に参拝したかで、ご利益があったんじゃないですか。

 「いや、あまり信心は好きじゃない。信仰心もあんまりありません」

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  • 日本推理作家協会