1人で旅行をした方がいい。2人はダメ。

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 さて、40代に入ってからベストセラー作家になって、今までにオリジナル本の発行で529冊、累計2億冊を超えていると聞きました。旺盛な執筆活動についてうかがいますが、現在はどんな状態ですか。

 「ここ湯河原町に住んで20年になりますが、その頃からずっとペースが変わらず、今も1年間に11冊の雑誌に次々連載を書いています」

 具体的に、いつ執筆するんですか。

 「夜中から朝までです。朝に新聞を読んでから寝ます」

 長らく、その時間帯で?

 「ええ。夜中はテレビを付けっ放しにしています。昔はラジオも付けていて、古今亭志ん生の落語も流していた。執筆に熱中してくると、いつの間にか志ん生の声が聞こえなくなっている。少し疲れると、聞こえてくるといった具合です。朝まで4時間から5時間かかって、400字詰め原稿用紙20枚書きます」

 それは、毎日ですか。

 「家にいるときは毎日です。1日書かないでいると、元の20枚のペースに戻るのが大変なんです。1日1枚で終わると、翌日が大変」

 書く道具は何ですか。

 「サインペンです。以前は万年筆も使っていましたが、ちょっと置いておくとペン先が乾いてしまうので、今はサインペン」

 手書きですか。パソコンはお使いになりませんか。

 「以前一回使ったことはあるけど、漢字の変換を一語一語しなくてはいけない機種で、面倒くさい。まあ、今の機種ならもっと便利にはなっていると思いますが」

 新しい道具といえば、携帯電話、スマートフォンがありますが……。

 「全部持っています。やはり、小説の中で使うときに、どんなものかわかっていないといけないので。でも僕は使っていません。実はいい番号を取っておいてくれたのですが、誰にも教えていないので、誰からもかかってこないんです」

 「永遠の40歳」の十津川警部などは、携帯電話が出現する前から活躍しているわけですね。

 「一番困るのはそこです。電話がどんどん変わってきた。浅見光彦の33歳もそうですが、小説の主人公の年齢を固定すると、大きな社会的な事件が書けなくなる。みんなが知っている有名な事件を書くと、やがて『あのとき40歳だったら今40歳のはずはない』と言われますからね」

 読者の目は厳しいでしょうね。とくに、トレインミステリーには鉄道マニア「鉄ちゃん」が結構細かくチェックするのでは?

 「ミステリーマニアはあまりうるさくないのに、鉄道ファンは時々文句を言ってくる。小説の中で列車の窓が開いているのはおかしい、普通は開くけど特急は開かないはずだとか。最近の子どもも変に詳しいのが多いね。あそこを走っている新幹線はA500のはずだ、とか。今は現地に行かなくてもネットで調べられるから、あれもイヤですね」

 もう全国ほとんどの列車路線に乗ったことと思いますが、新作を書くときには現場に行くんですか。

 「はい、必ず行きます。時間がたつと、現場も変わっています。全然違っていることも多い。やはり現地で正確に見ないと間違える。例えば、駅の階段を右に曲がるとトイレがある、と書いても、右にはありません、左です、という場合もある。それに列車にトイレがついているかいないか、時刻表に書いていない。駅に行くと書いてあるんです」

 長く書いていると、だいぶ変わってきたということが多いですか。

 「車内の雰囲気が昔と違ってきましたね。昔はうるさかったのに、今はシーンとなっている。あれは気持ち悪いね」

 携帯電話、スマホを持っていても電話として使わないで、みんなメールや検索やゲームに使っている。気がつけば、車内のシートに座っている一列全員、黙々とスマホに見入っているという光景も珍しくありません。

 「あれはイヤだなあ。車内の風景が書けない。シーンとしていると、あれ、人殺しが起きるんじゃないかと」

 最後に、1月12日は「成人の日」なので、今の若者に一言アドバイスすることがあれば、お願いします。

 「1人で旅行をした方がいい。それも2人ではダメですよ。お金をかけずに、地方に行き、鈍行列車に乗る。その地方のおばあちゃんが乗ってくる。4人掛けのボックス席がある列車に乗ると、おばあちゃんが話し掛けてきて、『どこ行くの』など、どうでもいいようなことを話す。そしてみかんをくれたりする。僕も20歳のころ同じような経験があるけど、なぜかそんなことに感動しちゃうんですよ。知らない人と知り合って、その家に泊めてもらったりする。ぜひ、1人で地方に旅行に行ってみては」

〈次回は2月2日(月) 新井素子氏掲載予定〉

 

西村京太郎(にしむら・きょうたろう)
 1930年東京都生まれ。陸軍幼年学校在学中に終戦を迎え、その後東京都立電機工業学校(現・東京都立産業技術高等専門学校)を卒業。臨時人事委員会(現・人事院)に勤務後、63年「歪んだ朝」で第2回オール読物推理小説新人賞を受賞し、64年初の長編「四つの終止符」を刊行。65年「天使の傷痕」で第11回江戸川乱歩賞、81年「終着駅殺人事件」で第34回日本推理作家協会賞長編賞、2005年第8回日本ミステリー文学大賞など受賞多数。これまでの著作は500冊を超える。

取材を終えて  網谷隆司郎
 今から20年以上も前になるか、私が週刊誌「サンデー毎日」の記者・編集者をしているとき、作家、山村美紗さんのご自宅を取材で2度も訪ねたことがある。
 京都の古い旅館を買い取り、そこに住んでいた頃だ。内装を今風に作り替えて、広い居間には白いピアノがデンと置かれて、そこで山村さんにポーズを取ってもらい、私が写真撮影したのを覚えている。
フリル好きな山村さんらしく、衣装だけでなく部屋のあちこちにフリルがちりばめられ、かわいらしさを演出していた。にこやかな表情を崩さず、広い家の中を私一人のために案内していただいた。ご機嫌なときだったのだろう。自著3冊すべてに私の名前を書き入れて、帰りに手渡ししてくれた。
私が北海道大学の学生だったとき、ロシア史の講義とロシア語講読でお世話になった木村汎先生が、山村さんの弟さんだったことがわかり、「いやあ、目に見えない糸でつながっていましたねえ」などと軽口をたたいたのが、上機嫌につながったのかもしれない。
だが、ヒヤリとした瞬間もあった。邸宅の下の方の廊下に案内した山村さんが、鍵付きのドアを前にして、「この先は何があると思う?」と意味深な表情で問う。「さて、何でしょう?」と答えると、にっこりとほほみながら、「ここは死体置き場。私のことを悪く書く記者や、作品の悪口を言い触らす編集者の死体置き場なの」と、推理作家らしいブラックジョークを言い放った。
山村さんを紹介した自身の記事の中で、辛口の箇所があったかな、それを知っての発言かな、と一瞬、私の顔色が変わったかもしれないが、そんなことを楽しむのが山村さんだったなあ、と今にして思う。
そして当時、その館の廊下の奥の向こう側に、西村さんが住んでいたのである。大きな旅館を共同で買い取り、本館と別館とに分かれて暮らしていた。二人の仲は当時からマスコミの格好の話題にもなっていた。
今回のインタビューで、西村さんも淡々と二人の仲を回想した。山村さんの急逝(1996年、65歳)後に書かれた「女流作家」などでも、出会いから流行作家になるまでの“青春時代”を懐かしくいとおしく振り返っている。
「京都に行くまでは作家として全然売れなくて、京都に行ってから倍々ゲームのように年収が増えていった」と語る時、一人の女性との出会いを運命と感じていたのだろう。
ただ、今や累計2億冊を超える発行部数を誇るトレインミステリーの大御所だが、戦後70年を迎えた今年、やはり自身の戦争体験が再び濃縮されてきたのだろうか。「今年出版される十津川警部シリーズにはすべて、戦争・戦後体験を描いている」と語る。
年々若い編集者に代わる自身の周囲の環境に思いを巡らせながら、「B29を見ても、これ何ですか、という若い編集者が出てきた。戦争のこと、知らないんだね。がくぜんとしちゃう。書かないと戦争のことが忘れられちゃうから」と84歳の「元軍国少年」は、ミステリー小説という自身のとりでの中で、娯楽の中に戦争を感じさせるという、独自の戦いを始めている。
「夜中から朝までの4〜5時間で原稿用紙20枚を書くのが毎日の日課」という。1年間で11冊の雑誌の連載をこなす生活は、もう20年続く。1999年に脳梗塞こうそくで倒れてから今も左手がやや不自由な生活。にもかかわらず、執筆ペースは変わらない。「古希と還暦の年に結婚した」という瑞枝夫人を横に見ながら、「ずっとこのペースだと、奥さん、怒りますよ」と相好を崩した。

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