人生7割の満足が得られたら、それでよしと思わねば

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 1960年代には、「何でも見てやろう」の小田実さんみたいなエネルギーいっぱいの若者がいましたね。

 「20代は屈折の多い時期ですが、失敗を恐れないことも大切です。今の仕事は自分に合わないとすぐに辞める若者が多いようですが、私から言わせてもらえば、合う合わないは5年から10年くらいやってみないとわからないものです。10年苦労してみなさい、いい部分も見えてくるからと」

 今の時代は「ブラック企業」などといった存在もあり、変化のスピードが速い経済環境でもあるので、働く若者も大変でしょうが。

 「終身雇用制もなくなってきていますしね。私の場合は、20代で病気・療養という重大なマイナスを負ったわけですが、そのマイナスが自分の人生を作ったな、という気がしています。療養生活中に、好きでよく本を読み、人生について考えました。今考えると、それが後年、生きる上で役に立ちました」

 と言いますと?

 「まず、そんなに満足した人生なんてそう簡単には送れるもんじゃない、人生7割の満足が得られたら、それでよしと思わねばと。一生、この病気のハンディを背負って生きていく以上、そういう覚悟を持たないといけないと」

 7割の満足で、よしと……。

 「それに、療養所にいる人を見ていると、どうしても国の補助や他人の手助けを当てにするような心理に傾いていく。しっかりと自立して、もっと前向きに生きていこうという決意が胸の中で生まれました」

 そういうお気持ちが、物書きになってから、どう生かされましたか。

 「6〜7割の満足でいいという気持ちはずっとありました。ですから(1979年『来訪者』」で)日本推理作家協会賞を受賞した時、もうこれで満足と思いました。一応、これで物書きとして評価していただいたと。その後、(1979年『ナポレオン狂』で)直木賞までいただいちゃって」

 そうすると、もっといろんな賞を取りたい、という気持ちは……。

 「いや、もっととは思いませんでした。よくぞここまで来たもんだ、もって瞑(めい)すべしと。たまたま運がよかった、人生には自分の力だけではない、いろんなものが作用しているんだなあと」

 そんな阿刀田さんの人生の中で、趣味嗜好と呼ばれるものは何ですか。

 「趣味は全くありません。私は若い時に貧乏でしたし、20代で健康を損ないました。そんな中で6、7割の満足人生を生きてきました。ひたすら小説家としてなすべきことだけを一生懸命にしてきて、それ以外には興味を持たずにきました。書くということに関しては努力してきて、生活のすべてがそれでした。ですから振り返ってみると、自分の人生はつまらない人生だったなあと」

 それでも、お好きなことはあるでしょう?

 「一番好きなのは読書ですが、物書きにとって読書は飯のタネですから、趣味と言えるのかどうか」

 スポーツや遊びの類いは?

 「できないことがこんなに多い男はいないんじゃないかと。例えば、ゴルフはやらない、クルマの運転もしない、楽器もできない、ハーモニカさえ吹けません。小説家として生きる以外のことは、できるだけそぐようにしてきた。若いうちから、ゆとりとか楽しみのある人生は見ないようにしてきた、というところがあるんですね」

 それでも、食べ物、飲み物には好みがあるでしょう。池波正太郎さんのようなグルメを楽しむ作家もいらっしゃいましたが。

 「池波さんには憧れています。食べるだけでなく、ご自分でもお作りになっていましたね。私は嗜好品といえば、飲み物ではコーヒーが割と好きで、毎日1杯は飲んでいます。といっても、これでなきゃダメだというこだわりはありません。でも以前、オランダのアムステルダムを旅行中、街の喫茶店に入って初めて飲んだアイリッシュ・コーヒーが非常においしかった。濃く甘いコーヒーにウイスキーが入っていて、旅の疲れを癒やしてくれるすてきな飲み物だなと思いました」

 ウイスキーもアイリッシュですね。

 「上が冷たくて下が熱いという不思議な飲み物ですね。日本に帰ってからアイリッシュ・コーヒーを出す喫茶店を探して、おいしい店を見つけましたが、今ではそういう店も少なくなりました。うちでも作りましたが、濃いコーヒーとクリームが用意できなくてなかなか」

 お酒は?

 「はい、好きです。どのアルコールも飲みます。若い時はめちゃくちゃ飲んだ時期もありました。酒の上での失敗はありませんが、赤羽の街で飲んで道で寝たくらいのことはありました。今は日本酒、ウイスキー、ワインなど。最近は夕食の時に赤ワインのハーフボトルを家内と飲んでいます」

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