「冒険小説を復権させる」

登山中に意識が途切れ崖から落ちたことも

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 今年が没後400年に当たる徳川家康の言葉に、「人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。急ぐべからず」がある。山登りをすると、その言葉がずしりと身にしみる。「登山のおかげで、くじけない心と根性が付きました。それに人間を超えた自然に対して敬虔けいけんな気持ちも生まれてきます」という月村了衛さん(52)。高校生の時から抱いていた「小説家になる」という夢を40代後半になってからかなえたのも、一歩一歩山道を踏みしめてきた経験が生きたからこそ。50代に入ったこれからの冒険人生も聞いてみた。

 趣味というと?

 「登山です。といっても、最近は資料を読むのに追われていて、なかなか時間がありません。最後に登ったのは子どもが生まれる前だから、もう6、7年前になります」

 いつごろから山登りが好きになったんですか。

 「小さいころからキャンプ、アウトドアが好きでした。高校に入ってから登山部に入部して、本格的な登山に触れました。いやあ、厳しかったですねえ。それまでの自分がいかに甘かったか、体力がなかったか、痛感させられました。登り始めたら休めないし、黙々と登るだけ」

 どんな山に登るんですか。

 「大阪の高校に行っていましたから、しょっぱなの登山は大峰山でした。大雨に見舞われて、テントを張ったんですが、先輩たちは新式のドーム型テントだったのに対し、新人は従来の家型テント。そこに雨水が1センチ、2センチとたまってきて、ほぼ水没状態。ぼうぜんとするわけですよ。でも、そこで寝るしかない。子どもの時のキャンプとは大違いです」

 すぐにやめたりはしなかったんですか。

 「入部して2度目の登山は、大台ヶ原でした。一般コースでしたが、疲労のあまり意識がもうろうとしてきて、もうどうなってもいいや、という気になってくるんですね。それでフッと意識が途切れ、相当な高さの崖から、気が付くと落ちていました。死んでもおかしくない高さです。ザックのフレームはひん曲がっていて、メガネも吹っ飛んでいた。でも、打ちどころがよかったのか、ケガはしておらず無事でした。それを見た顧問の先生や先輩たちは『あいつはもう登山部をやめるだろう』と思ったそうですが、やめずに続けました」

 その瞬間はどんな気持ちでしたか。

 「その後の登山でもまるで違う状況下で何度か危機を経験しましたが、その都度、命を拾っているなと感じました。そこでだいぶ運を使ってしまったので、作家デビューがこんなに遅れたのかなあと。後年、ベテランの役者と話している時に、こんな趣旨の言葉を言われました、『まだやるべき仕事があるから、生かされているんだ』と」

 山登りは懲りずに続けた?

 「北海道大学の山岳部に入りたかったんですが、落ちまして。最終的に早稲田大学第一文学部に入りましたが、その時には小説か映画のサークルに入ろうと考えていました。山岳部か探検部に入ったらもう24時間取られますから、とても両立できません。体育会系ではない登山サークルにも顔を出したりしていたんですが、結局、単独行が中心になりました。20代の後半から30代前半にかけては東北の山々にひかれてよく行きました。在学中にもっと友達を作っておけばよかったと今になって後悔していますよ」

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