物語の世界と登山という行為は自分の中では不可分だった

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 小説に関心を持ったのはいつごろからですか。

 「小さいころから子ども用にリライトされた『名探偵ホームズ』などをよく読んでいました。その後も物語全般をずっと読んできて、高校の頃には『作家になる』という気持ちをはっきり持っていました。入学時に提出する書類に将来の志望学部などを書く欄があったのですが、名探偵という職業はないので、じゃあ弁護士かなあと。それで志望欄に法学部と記入したのを覚えています。今と変わらずバカでしたね。それが3年進級のクラス分けの時には、もう腹は決まっていましたからはっきり文学部と書きました。あとで父親から『お前、弁護士になるとか言っていなかったか』と言われたので、『知らねえよ』と」

 割合、早めから作家志望だったんですね。

「ええ。小説家になりたくても、なれるとは普通思わないじゃないですか。それで口にはしなかった。でも、小さい時からずっと読んできた物語へのあこがれが強くあって、いつか書きたいという思いが自分の中に変わらずあったのだと思います。小学校のころから、ふたこと目には『冒険だ! 神秘だ!』と口走るような子供でしたから。まあ、それがそのまま今に来ちゃったような……」

 そんなに冒険小説が好きだったんですか。どこに魅力を感じていましたか。

 「私が学生だった70年代、80年代には冒険小説というジャンルに対する共通認識があったと思うんです。次々と巨匠がデビューし、日本推理作家協会賞を悠々と取っていた時代だったんです。サスペンスやエスピオナージュ、ポリティカルフィクションなど幅広い内容を含む、非常に豊かなジャンルだったはず。ところが、この10年でその認識が失われてしまいました。もう今では“冒険小説”が通用しなくなっている。一般の人に聞いても、海賊モノやインディ・ジョーンズしかイメージしないと思う。20年も30年も後退してしまった」

 確かに、昔は外国の作品など随分種類が豊富だったような印象がありますね。

 「今は、本来の冒険小説を次の世代につなげていきたいという思いが非常にあります。作家デビューするまではそこまでは自覚的ではありませんでしたけど、デビューしてみると、冒険小説とは何かを皆が知っていて当然だと思っていたのが、そうじゃないことがわかり、にわかに危機感を抱きました。冒険小説という言葉そのものを何か他の言葉に変えた方がいいんじゃないか、とさえ思うくらい切迫したものを感じています」

 なぜ、“衰退”したんですか。

 「一つには、80年代以降、熱いものをちょっと斜に見て、鼻で笑う風潮が出てきて、それがカッコいいという空気が確実にあった。勇気や正義や勧善懲悪を真正面からなんのてらいもなく書く、そういう信念を持って書く人がいなくなったんですね。もちろん、100%の正義などあり得ないのは当然ですが、それでもそれをわかった上で書く。それに題材も自分の半径10メートルの日常的なものが多く、主流になっている。もちろんそういう作品にもいいものはたくさんありますが、あまりにも一辺倒になっていないかと思います。手に汗握るようなストレートな物語に対して、冷笑的な態度を取ってしまう読み手もいる。それは物語の楽しみ方を知らないということなので、大変残念に思いますね」

 いずれにしても、月村さんにとって高校時代の「作家になる」という決意と、登山部に入って山登りを一生の趣味にした時期とが重なりますね。そこに何か化学反応があったんですか。

 「物語の世界と、登山という行為とは、最初から自分の中では不可分だったのだと思います。登山をやっておられる方はわかると思うんですが、とんでもなく孤独でつらいものなんです。シャレにならないつらさ、しんどさがある。自然の中に入る、未知の世界に溶け込んでいきたいという強烈な思いがあって、その思いは物語への没入とつながっているんですよ。初めて登る山、いわば自分にとっての未踏峰に挑むとき、どういう事態が起こるかわからない。まさに自分で体験する冒険なんですよ。これにハマってしまうと、果てしなくハマっていくんです」

 大学を卒業してすぐに作家になったわけではないようですが……。

 「就職活動は一切しませんでした。来週が卒業式という時に、予備校の講師の求人面接があるのを知って受けたら採用されて1年間、講師をしていました。時給は相当に良かったですよ。その後、ご縁があって脚本を書いてみないかと声をかけていただきました。早稲田の文芸学科でしたので、課題で脚本を書くという授業もありましたから。『ただし使えなければそこまで』というお話でして、『わかりました』とお返事して。本来小説志望でしたからそこでダメでも自分としては全然構わないと。やってみてすぐに、『自分はこの仕事に向いてないな』と悟りましたが、何事ものめりこむタチなので、結局随分と長くやることになりました。その間、自らの作品には全力で取り組んだという誇りはあります。40歳を過ぎて、このまま文学修業をおろそかにしてはいけないと思うようになり、脚本家は廃業しました」

 それで40歳代後半で作家デビュー。

 「それまでいろいろありましたから、人よりはメンタルが強かったというのはあると思います。そうでなければ、到底耐えられなかったでしょう」

 そういう話を聞いていると、月村さんご自身が冒険家だったのではないか、という気がしてきました。

 「そうかもしれませんね。何の当てもないのに生きてきたのだから。でも、歯を食いしばって書き続けているうちに今日に至りました。デビュー作(2010年『機龍警察』)から認めていただけたのは本当に僥倖ぎょうこうでしたし、当時励ましてくださった方々には今でも感謝しています」

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  • 日本推理作家協会