「イヤなら逃げろ」

会社と親に何も告げず突発的に“失踪”しました

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 2000年以上も前に中国で書かれた兵法の極意の書「孫子」に、「走るを上となす」という言葉がある。苦境に陥った時には、とにかく逃げるが最善、命あっての物種という意味だ。いじめに悩んだ末に自ら命を絶つ子供の問題が大きく報じられる現代日本で、「とにかく学校から逃げなさい」というアドバイスが最近増えた。大人の世界も同じ。過労死に至る長時間労働や陰湿な職場の人間関係に鬱々としている現代人は少なくない。30歳のある日、“宮仕え”がイヤになって会社にも親にも告げずに「突発的に失踪した」のが新野剛志さん(50)だ。インタビューは、作家誕生前夜あたりの話から。

 2008年に直木賞候補になった小説「あぽやん」は、成田空港で海外旅行客の世話をする旅行会社職員たちの物語ですね。テレビの連続ドラマにもなりました。あれは、JALパックにお勤めだったご自身の経験が基になった小説とうかがっていますが。

 「初任地が成田空港で、そこで4年半働いていました。海外旅行者の案内をするカウンター業務でした。途中から責任あるスーパーバイザーになりましたが、現場の仕事は好きでしたから楽しくやっていました。その後、異動で本社勤務となり、現場とのギャップを感じたというか、まるで敵対関係のような、別会社に行ったような感じになりました。ちょうどバブル崩壊のころで、企画案もコストダウンが課せられたころです」

 会社を辞めるという決意は、何か決定的な出来事、事件があったからか、はたまたそんな気分がじわじわと高まった末のことか、どっちだったんですか。

 「まあ、じわじわ、ですかねえ。直接的なきっかけは、入社5年目か6年目かのリーダー研修があって、同期入社が集まって、自分の職場の問題点を語り合ったり、ロールプレーなどやったりしていました。そのとき、同期生はみんな頑張っているなあ、それに比べて俺は仕事から逃げている、という気持ちがじわじわと強くなってきて、そんな自分の姿が嫌になり、会社にいたくない、もう会社に出たくない、ともんもんとしてきたんです」

 そういう思いは、“宮仕え”のサラリーマンなら多くの人が一度や二度は抱く感情でしょうけど、スパッと辞められる人は実際には少ない。

 「1995年でしたか、6年半勤めたところで、会社と親に何も告げずに、ある日突発的に自宅から姿を消して“失踪”しました。後日、退職届と手紙は郵送しましたけど」

 その決断の時には、すでに作家になるという覚悟はあったんですか。

 「いえいえ、何のあてもありませんでした。当時は独身で、千葉県浦安市の家で1人暮らしをしていましたが、とにかく家から飛び出そう、居所をわからなくしようという思いだけでした。最初は、アジアのどこかに行こうかなと。会社勤務の時はアジア担当だったので、一度も行ったことがなかったタイなど、物価も安いし面白いかなと考えていました。失踪するときに500万円は持っていましたから」

 「住所不定無職のホームレス」ではあるけど、お金の心配はなかったわけですね。すると、町の公園にいて段ボールハウスで寝泊まりするホームレス、ではなかった?

 「それはまったくありませんでした。ファミリーレストランで深夜から早朝まで粘って、始発電車に乗って、その車内で寝る。それに週2日はカプセルホテルに泊まると、生活パターンはきっちり決めていました。ただ、僕はあまり人にはずぶとくなれないので、毎日同じ店に行っているとホームレスだと思われる、それがイヤで当時東京都内全域にあった『デニーズ』のマップを手に入れて、あちこちの店に転々と日替わりで行っていました。昼間は『ウェンディーズ』を利用していました。あの頃はコーヒーのお替わりができたので」

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