子供のころからいつかトンガに行くと決めていました

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 登山の魅力は人それぞれでしょうが、その時の湊さんにはどんな体験が一番強烈でしたか。

 「楽しく登れて妙高の頂上に着いたとき、そこにいた中高年のご夫婦がその場でバーナーで沸かした、いれたてのコーヒーを『一緒に飲みましょうよ』とくださったんです。あったかいコーヒーを飲みながら、山頂から新潟県と長野県の両方が見えて、日本海も佐渡島も見える。ああ、こんなぜいたくなことが! その一杯のコーヒーで、すっかり登山のとりこになりました。若気の至りですが、自信もついたような気がして。その後、山と言ったら槍でしょ!と槍ヶ岳(3180メートル)にも登りました。今年20年ぶりに登ったところです」

 登山は、それから毎年?

 「はい、社会人になってからも。赤岳の山頂で見た夕日に映える雲海が、オレンジ色や紫やピンクに見えて、さらに向こうに見える富士山に虹が3段に架かった景色は、わが人生最高の景色でした」

 登山には感動・感激がありますが、危険もいっぱいです。そんなご経験はありますか。

 「幸い、悲惨な経験はありません。もちろん、縦走中に雨に降られることはありますが、雨は自転車旅行中にどこかしらで降るものと慣れていましたので、運が悪いとは思いません。いつもカッパだけは持っていました。ただ、今のような機能性登山衣料は当時まだなくて、低体温症にならないように、売り出されたばかりのゴアテックスを持っていきました。それにあのころはまだ女性用がなくて、私は男性用のSサイズを買っていたと思います」

 今でこそ、「山ガール」などという言葉ができて、登山を楽しむ若い女性たちの姿がテレビで見られますが、今から20年前では少なかったでしょう。若い娘を持つ親御さんからすれば、自転車の一人旅や登山は心配だったはずですが……。

 「親にはすべて事後報告でした。旅先から絵はがきを出したりして。うちの親は心配症でしたからね。中学から高校に進むときも私は島外の“本土”の高校に行きたかったけど、親が許してくれなかった。友達の多くの親もそうでした。お互いに、島外に出たい!という野望を語り合ったものです。私の場合、大学進学そのものはOKでしたが、関西の大学までなら出してもいい、東京みたいな恐ろしいところはダメだと」

 瀬戸内海の島を舞台にした「望郷」を読んで感じましたが、因島という比較的大きな島でも“島民意識”のようなものがあるんですねえ。

 「私は高校2、3年生のときには、自分できちんとした自立生活をしたいと思っていました。因島は造船産業が盛んな島で、クラスの4分の3の生徒の保護者は造船会社に勤めていました。私が小学校のころはまだ景気が良かったけれど、中学に入ったころから造船不況が始まり、どんどん転校していく生徒が増えて、学校だけでなく島全体が不況になっていった。遠足はなくなる、学校行事もなくなっていく。それにアメリカの牛肉・オレンジが自由化されて、ハッサク発祥の地である因島は柑橘農家が多くて、ダブルショックに見舞われました。うちの家も柑橘農家だったので、経済的に裕福とは言えなくなりました。そんな中、私は2人姉妹の姉で、どちらかといえば早く結婚してほしいと思っていた母は『短大にしてはどうか』となり、一方父は自分の大学時代が楽しかったことを挙げて『4年制大学に行ってもいい』と言ってくれて。結局、関西の女子大(武庫川女子大学)に行くことになりました」

 島から出たいという気持ちと、経済的に自立したいという気持ちが強かったんですね。

 「大学に行って自転車の旅をしたときに、生まれて初めて水平線を見ました。瀬戸内はどこを見ても島がたくさんありますからね。それに、自分のお金で欲しいものを買いたいという思いが強かった」

 自由に飛翔ひしょうしたいという思いがマグマのように熱く燃えたせいか、大学卒業後2年間、トンガに行っていますよね。この話をし始めると一晩かかりそうなので、手短にお話しください。

 「私の時は大学生の就職氷河期でしたが、アパレル関係の会社から内定も早くいただいて、卒業後、会社勤めを始めました。でも卒業前に、私の一つ上の学年の同じ学科(家政学部被服科)の人が、卒業すると同時に青年海外協力隊員として海外に出かけているのを、卒業生進路先一覧表で知ったんです。そのときの私の頭の中には、卒業後は会社員になるか公務員になるかしかなかった。それが、こういうのもあるのか、という思いが頭の片隅に残ったんですね」

 卒業後すぐに、ではなかったんですね。

 「会社に1年半勤めたところで、トンガ王国に行きました」

 いろいろな派遣先がある中で、トンガを選んだのはどんな理由ですか。

 「もうトンガに決めていました。もし派遣先にトンガ王国がなければ青年海外協力隊の試験そのものを受けなかったと思います。子供のころからいつか絶対にトンガに行くと決めていました。小学校5年生の時に読んだ森村桂さんの本『天国にいちばん近い島』がすごく好きだったんです」

 でも、あれはニューカレドニアでしょ。

 「森村さんはニューカレドニアだったけど、私は別の南の島を探そうと。すると、トンガ王国があった。だって、王国ってなかなかないじゃないですか。絶対ここに行くと決めていました。だから、協力隊の説明会・受験当時、フィジーや中南米のホンジュラスやアフリカのガーナなど10カ国から派遣要請があったけど、私はトンガ王国に絶対行けるという変な自信がありました。今から思うと、あの自信は何なんでしょうね、アホちゃうかというくらい。個人面接のとき、『フィジーに興味はありますか』と言われて、ははあ、この人は私にフィジーを薦めているんだなと。そこで私は、『いや、トンガでないとダメです』と言って決まりました」

 1996〜98年の2年間、トンガ王国では何をされていましたか。

 「栄養指導です。もともと骨太で肥満体の多い国でしたが、私が行った頃は動脈硬化や糖尿病が多くなっていました。サイクロン被害のあと、ニュージーランドからの食糧援助物資が入ってきて、その中の羊の脂身がその後もよく食卓に並ぶようになって、それが問題になっていました」

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