「趣味に熱くなる」

24時間いつでも指せるからと対局サイトに入り浸りました

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 好きこそものの上手なれ。好きなことにはどんどん熱中して、一度ハマるとなかなか抜け出せない深い世界。そこには、もちろん光もあれば影もある。人間の業とも言える。そんな人間の深層を描くのを仕事とする作家には、深い沼にハマった経験のある人が少なくない。葉真中顕さん(40)もその一人。ご本人のネット将棋依存経験も、活字にするとやや重く悲惨に思えるのだが、コミカルにも響く語りを聞いていると、面白くてやがて哀しい青春の夕暮れの光景が浮かんでくる。八王子の執筆オフィスでのインタビュー。

 将棋界の最高峰・名人戦(羽生善治名人対佐藤天彦八段)が4〜5月に行われて、佐藤八段が勝って初の名人位に就きました。激戦の模様はご覧になりましたか。

 「第2局の最終局面で、羽生さんが8九銀と打てば勝ちだったのに、見落として逆転負けしたと話題になりましたね。プロの世界でも、しかも最高レベルの名人戦でもああいうことがあるんだなあと。もう秒読みの段階になると、人間同士の対局ならではの駆け引きがあるんだなあと、見ていて熱いものがありました」

 と、おっしゃる葉真中さんは相当な棋力の持ち主のようですね。将棋はいつごろから指しているんですか。

 「いや、ヘボですよ(笑)。僕は30歳すぎから始めました。当時は、いろいろな仕事をしながらフラフラしていた時期で、たまたま時間をつぶさないといけないときにインターネットのサイトで詰め将棋を見て、やったらパズルを解くようで面白かった。それで詰め将棋から本当の将棋をやってみようと、近くにある町の将棋道場に通いました」

 そのころは将棋のイロハ、駒の動かし方は知っていたんですか。

 「僕らの世代はファミコン世代ですが、男の子だったら将棋のルールや駒の動かし方は大体知っていましたね。でも戦法などはまったく知らなかった。だから道場に行って、小学校の低学年の男の子とやるとボロクソに負けるんですよ。これが悔しくて、悔しくて。それで勉強してもっと強くなりたいと、定跡本をたくさん買いましたよ。まあ、小学生でも有段者は結構いるんですね。そんな純粋な小学生に負ける時より、一番気分の悪いのはマナーの悪い大人に負けた時。ごく少数ですが、『あんた、へぼだねえ』と言ったり、平気で“待った”をしたりするような性格の悪いおじさんがいる。そんな人とやって負けると、本当に不愉快になりました」

 道場にはよく通ったんですか。

 「週に1、2回です。そのうち、ネットで将棋ができることに気が付いて、これなら不愉快な思いをしなくても済む、24時間いつでも指せるからと対局サイトに入り浸りました。当時は、もっと強くなりたい、多くの人と指してみたいという気が強かった。でも、これがその後、恐ろしいことになって」

 実戦対局が増えると、だんだん強くなりますよねえ。

 「最初はどんどん上達して、初段まではサクサク行くのかなあと。僕も町の道場では初段か二段くらいで指すようになりました。ところが、この先には壁がある。道場では初段から二段が一番多いんです。その上に行くには、一局一局の対局後に“感想戦”をして、反省して勝因敗因をきっちりとノートにつけたりと、かなり努力する必要があるんです。元来怠け者の僕はそこまでやることはなく、腕前は打ち止めになりました。正式な免状の申請もしてないので、有段者を名乗るのも申しわけないくらいです」

 戦法もそれぞれ、好き嫌い、得意不得意がありますね。葉真中さんはどんな戦い方が得意なんですか。

 「僕は振り飛車党です。振り飛車の方が序盤の指し手が決まっていて指しやすく、初心者向けとも言われますが、もちろん奥は深い。一番多く指すのは四間飛車。マニアックな話になりますけど、振り飛車戦法の気持ちいいところは、飛車角交換など大駒がさばけることなんです。パーンと交換できたら、ああ、さばけた!と脳から汁が出るんですよ」

 「さばきのアーティスト」と呼ばれる久保利明九段がいますからねえ。美学の領域ですね。

 「プロを引き合いに出されると恐縮ですが、こちらが指して相手がどう出るか。将棋はそこが面白い。例えば、一手目に先手が7六歩と指して、それに対して後手が8四歩と指したら、これは後手からの『ヤグラ戦法か角換わり戦法で行きますよ』という合図なんです。『棋は対話なり』という言葉があるんですよ。一手一手に対局者同士の対話がある。その一手一手の意味が次第にわかってくると、他人の将棋を見るのも楽しくなってくる。プロ同士の対局なんて、それこそ小説を読むような面白さがある。これは発見でした」

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