一番の謎は人間の心だろうなと思っています。

2/3ページ
 

 そこまで凝るのは中学生女子としては、かなり特殊な部類でしょうね。

 「デビューしてから自分のことを客観的にみると、当時の私は少数派だったのかなって。例えば、中学生のとき教室で漫画を回し読みしていたころ、女の子は当時『キャンディ♥キャンディ』とか『はいからさんが通る』『タッチ』が多かったのに、私は『漂流教室』みたいな恐怖ものが好きでした。雑誌も多数派は『明星』と『平凡』だったのに対して、私は『ロードショー』と『SCREEN(スクリーン)』を読んでいました。初恋の相手も、同級生の女の子の多数派は田原俊彦や近藤真彦だったとき、私は『セーラー服と機関銃』で薬師丸ひろ子の相手役をした渡瀬恒彦だったし、海外ではブルース・リーでしたから」

 ええ? 女の子でブルース・リーですか。男の子は当時、ブルース・リーのまねをしたりするのがはやっていましたが、女の子は少数派でしょうね。

 「中学生の女の子だったら当時はジャッキー・チェンでしたね。父親が会社の仕事でシンガポールだったか香港だったかに行くというとき、私はお土産にヌンチャクを買ってきてほしいと頼んだんですが、その時の父は複雑な顔をしていましたね。結局、買ってきてくれたお土産はチャイナドレス風のパジャマでした」

 確かに少数派路線のようですね。

 「その後、ホームズからアガサ・クリスティー、エラリー・クイーンとひと通り海外の古典へと進みました。私の場合、同じミステリーでも、例えば江戸川乱歩を読んでも、当時の多くは『少年探偵団』や『怪人二十面相』が人気でしたけど、私が好きだったのは『芋虫』や『人間椅子』といった作品。そちらの方に関心が向いていました」

 それだけいろいろ読んでいたら、早くからやがていつかは作家になりたい、という思いが兆していたんじゃないですか。

 「私には娘と息子がいて(もう2人とも今は社会人になっていますが)、上の子が中学に入ったとき、私は36歳でした。私が住んでいる山形市には、池上冬樹さんが世話人をしている月1回の市民講座『小説家(ライター)になろう講座』がありまして、そこに通うようになりました。小説が好き、書くことが好きだったからですが、そのときは単に、有名な作家が来て話をするのを聞きたい一心でした。将来自分が作家になりたい、とはこれっぽっちも考えていませんでした。足掛け4年通いましたが、出席したのは半分くらい。それも教室の隅にいて、じーっと話を聞いているだけでした」

 直接のきっかけになったのは何ですか。

 「縁があって、地元の書店が出しているタウン誌の取材を頼まれました。地元山形の歴史や伝統、例えば紅花や漬物などの専門家に会って、現場で取材して原稿を書く仕事です。丸2年やりました。日ごろなかなか会えない人にも会えて楽しかったんですが、それ以上に自分の書いたものが活字になる、これがものすごくうれしかった。こんなにうれしいものはないと思いました」

 それから小説を書きだして、地元の新聞社の文学賞に入選。さらに2008年、「臨床真理」が第7回「このミステリーがすごい!大賞」に選ばれて、いよいよプロ作家デビューと相成ったわけですね。

 「40歳でのデビューでした。作家としてはけっして早いデビューではありませんが、自分としてはいい時期にデビューできたと思っています。デビューしたとき、必ず2作目を出す、という目標をたてました。幸い2作目を出せて、次の3作目の『検事の本懐』で大藪春彦賞をいただきました。そして今回、日本推理作家協会賞をいただき、もう少し作家でいられるという希望をいただきました」

 これからもミステリーは書き続けるんですね。

 「はい。ミステリーは書いていきますが、私の中でのミステリーというと、犯人は誰か、トリックは何かというより、一番の謎は人間の心だろうなと思っています。事件があっても動機を重視して、どう悩み、どういう選択をしたか、どう決断したか、そうした人の心の動きを丁寧に描いていきたいですね」

 昔の作家の中には、書くために失恋経験をしたり、過酷な体験をしてそれを小説に書くといった体験型作家がいましたが・・・・・。

 「取材には行きますね。今回の受賞作『孤狼の血』のモデルになった舞台、広島には何度も足を運びました。書く前、書いている間、そして書いた後、いま続編を書いているものですから、何度も行って、そこの空気をつかみます。私、映画の『仁義なき戦い』が大好きなんです。『北陸代理戦争』も含めて実録物はほとんど見ています。極道の世界を描くなら広島だ!と」

 先月、アメリカのオバマ大統領も広島を初めて訪れましたね。

 「広島は原爆で何もなくなったところから、復興した土地。何もなくなったところから新たに築き上げた皆さんの苦労、パワー、エネルギーを感じます。私は5年前の大地震・津波被災地の岩手県出身ですから、復興する土地の熱を描きたかった。それには広島しかない。暑い夏に広島を訪れたときに、そう確信しました」

  • JT
  • 日本推理作家協会