「まじめな無関心」

超無気力でしたね

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 たいていの新進作家は文学賞を受賞したときには、「幸せです」「これからさらに精進します」といった初々しいコメントを発するものだ。だが、曽根圭介さん(49)は違った。40歳で作家デビューしたての2007年に、「鼻」で第14回日本ホラー小説大賞(短編賞)、「沈底魚」で第53回江戸川乱歩賞を相次いで受賞したとき、「正直、これはまずい、ヤバいと思いました」と意外な言葉が返ってきた。「小説家になろうとはまったく考えていませんでした」とも。まずはその辺からインタビュー。

 40歳と遅い作家デビューでしたが、すぐに受賞するなど、経歴を見る限りではすごく順調な滑り出しのように見えますが。

 「いえ、僕はまず作家になろうと思ったことはなくて、ガツガツしてなったわけではないんです。(懸命に作家修業している方々には)本当に申し訳ないんですが、人生の目標だったかと聞かれたら、いや違いますとしか答えられません」

 早稲田大学中退とのことですが、前回インタビューした古川日出男さんも早稲田大学文学部中退でした。古川さんは4年間通ったけど単位不足で卒業しなかったとか。曽根さんは?

 「静岡県沼津市の高校も中退しようかなと思っていたくらいで。結局、1浪した後、早稲田大学商学部に入学したんですが、入学式の後、1週間くらいは授業に出たんです。ところが、体育の授業で剣道があったんですね。大学まで入って、なんで剣道をやるんだと。それから大学には行かなくなりました。だから同級生は一人も知らないままです」

 え? たった一週間で中退?

 「いえ、除籍になるのは嫌だったので、4年間、科目登録はずっとしていましたけど授業には一度も出ないまま。それに学費は親が払い続けてくれましたから。今も親には頭が上がりません。もし親がぼけたら生涯面倒を見るしかないと思っています」

 大学の授業なんて役に立たない、と自分の好きなことを見つけて“生きた学問”をする中退者も結構いるものですが、曽根さんの場合もそうですか。

 「いや、特に何かしたかったというものは全然なくて、フラフラしていました。1987年入学で、日本社会がまさにバブル絶頂期でした。ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代で、まわりの友達はみんな証券会社に行きたがっていた頃です。でも僕は、これをやるぞというものがまったくなくて、お金には一生縁がないんだろうなと当時から思っていました。このまま4年間大学で勉強して、卒業してサラリーマンになって定年までずっといるんだろうなと思うと、急に人生がつまらなく思えて。超無気力でしたね。結婚もしようとは思わなかったし、一人だったら何やってもいいかなと気楽に考えていました。まあ、確信犯に近かったですね。でもその後、こんなに不景気になるとは想像できませんでしたけど」

 そうすると、バイトをしながら気ままな生活を……。

 「大学中退ですから、まともな就職はなかなかできないので、親には『25歳まではブラブラするから』と言っておきました。でも、僕は結構まじめで、バイト先ではよく働いて、一度もクビになったことがないし、そこを辞める時は必ず『もっといてくれ』と言われたくらいです。戦術的なミクロの目で自分を見れば真面目な人間で、戦略的なマクロの目で見ればいいかげんな人間だった、と言えますね」

 現在の小説家につながるルーツというか淵源えんげんというか、小さな芽はどの辺から芽生えていたんですか。本そのものは子どものころから読んでいましたか。

 「はい。中学生の頃から司馬遼太郎の歴史ものや、吉村昭のノンフィクション作品をよく読んでいました。でもミステリーは読んでいません。とくに有名作家の名作は全然読みませんでした」

 少年にしては結構、硬めの本ですね。

 「当時司馬遼太郎の本は、中学生ならみんな普通に読んでいましたね。中学生のときは戦国時代が好きで、高校生になると幕末が好きになりました。一番胸に響いたのは『世に棲む日日』でした」

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