一回すべてを忘れることが大事

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 さて、いよいよ小説を書くところに差し掛かりました。いざ、書いてみようというきっかけは何でしたか。

 「やはり、図書館で本を読むだけの生活を1年以上続けると飽きてくるんですね。野球中継をよく見ているけど一回もバットを振ったことがない人が、一回はバットを持って思い切り振ってみたいと思うことがあるように、僕もこれだけ本を読んできたんだから、一回くらいは書いてみようかという気持ちになったんです。どうせ無職で、毎日暇で退屈していましたし、元手もかからないからと」

 以前インタビューした新野剛志さんは、会社を辞めて自宅を飛び出てホームレス生活を始めてから、400字詰め原稿用紙をリュックに詰めて、毎日深夜、ファミリーレストランで鉛筆なめなめ小説を執筆した、という話をしてくれました。曽根さんも原稿用紙を担いで……?

 「いや、僕はパソコンで書きました。電源を使える図書館がありましたので、午前中は読書して、午後に執筆という生活を続けました」

 すぐ書けたのですか。

 「はじめは1カ月くらいで書けるかなと思っていましたが、いやいや大変でした。3カ月、4カ月、結局5カ月かかりました。最初に書いた作品(薬害の話で『蟷螂之斧』)を江戸川乱歩賞に応募したところ、1次審査に通ったんです。これは本当にうれしかった! この時が一番うれしかったです。その後、書いた作品が賞をいただいた時は、正直、まずいな、ヤバいと思いました。女の子を食事に誘ったら、いきなり婚約届を届けられたような驚き、戸惑いがありました。僕はミステリー小説は読んでいないし、文章修業もしていないから、さあ記者会見に出てくださいと言われて、こりゃまずい、大変なことになったなと。うれしさが全然なくて、やはり1次審査を通った時が今でも一番うれしいですね」

 江戸川乱歩賞受賞の「沈底魚」は、すらすら書けたんですか。

 「一応完成はしたんですが、どうしてもストーリー展開が気に入らない。どう直していいかもわからない。気分転換したいのですが、僕は酒が飲めないので、なかなか気分転換もうまくいかない。毎日うつ状態が続きました。それでは別に短編小説を一編書いてみるかと、書いたのが日本ホラー小説大賞をいただいた『鼻』でした。これを書いた後、もう一度『沈底魚』に戻って書き直したら、うまく書き上げられた。突破口は一回すべてを忘れることでした。アメリカのドラマを見ていたら、役者のセリフに『徹底的に考えて考え抜いたら全部捨てろ』というのがあって、これだ!と。一回すべてを忘れることが大事だと悟りました」

 作家活動には、そんな山あり谷ありが少なくないでしょう。オフの気分転換で楽しんでいることはありますか。

 「僕の趣味と言えるのは、山登りだけです。20代でバイクのツーリングをよくしていた頃、山登りをしたら楽しかったのでそれ以来、一人登山をやっています。今までで、そうですね、100回近くは登りました。槍ケ岳などの北アルプス、八ケ岳、奥秩父、奥多摩といった山々です。クライマーというよりハイカーレベルですよ。40代に入ってからよく行くようになりました。一度、山梨県側の甲武信ケ岳から金峰山まで10時間で尾根縦走した時は、くたくたになりましたけど、自分をほめてやりたかったですね」

 曽根さんにとって、山登りの楽しみとは何ですか。

 「頭が空っぽになるんです。リセットできます。それに性格が変わるというか、社交的になります。頂上に登ると、誰とでもしゃべるし、山小屋でも夕食後にストーブを囲みながら見知らぬおじさんとの話が楽しい。町の中で会ったらしゃべりたくないような人とでもしゃべりますから」

 最後に、これから作家として書いてみたいというテーマ、題材はありますか。

 「最近、昭和史ブームというか、角栄本ブームがありますね。僕はそれに便乗するのもイヤなので、しばらく待とうと思っていますが、1960年代から1970年代の政治の世界をずっと前から書きたいと思っていました。日本が元気だった頃ですね。もちろん、悪いヤツもいて、汚い金も今のセコイ金額でなく何十億円もの巨額が裏で動いていた世界です。それに今と違ってサイバーがなかったから、人間と人間の対峙たいじがあって、極めて人間臭いドラマがあった。哺乳類と哺乳類との悪知恵の闘いを、作家の想像力を駆使して作品にしてみたいですね」

〈次回は2016年11月7日(月) 東山彰良氏掲載予定〉

 

曽根 圭介(そね けいすけ)
1967年静岡県生まれ。早稲田大学商学部中退。サウナ従業員、漫画喫茶の店長などを経て執筆活動開始。2007年「鼻」で第14回日本ホラー小説大賞短編賞、「沈底魚」で第53回江戸川乱歩賞をダブル受賞。09年「熱帯夜」で第62回日本推理作家協会賞短編賞を受賞。近著に「工作名カサンドラ」がある。

取材を終えて  ジャーナリスト 網谷隆司郎

 「ホント、申し訳ない」
 2時間近いインタビューの中で、こんな言葉を何度も聞いた。別に謝ってもらうような文脈ではないのだが、謙虚な人柄ゆえか、曽根圭介さんの口癖なのか、すっと出てくる。
 想像するに、おそらくはこんな心情からだろう。
 「作家を目指して生きてきたわけではない僕が、図らずもいくつかの文学賞を受賞して、今は小説家として作品を発表している。しかし、別に文章修業したわけでもなく、あまたの著名なミステリー小説もほとんど読んでいない身で、あれこれ文学について言えるほどのものは持ち合わせていない。いろいろご質問をいただいても、あまりカッコいいことは言えないし、エラそうにしゃべることもできない。ホント、申し訳ない……」
 作家、小説家というと、世間のイメージは、奇想天外の構想力を発揮してストーリーを展開して、登場人物の奥深くの純粋な魂を描く半面、醜悪な欲望まで白日にさらす人間洞察力に富み、それを心を揺さぶるような文章で表現する、そんな才能豊かな人たち、というところだろうか。
 多くは幼少の頃から読書が好きで、中には小学校や中学校の頃から、文章で物語を書き始めた人も少なくない。作家の素質が早くから芽生えて、自分でも「いつかは作家になる」という志を秘めている。
 ところが、曽根さんは「僕は作家になろうと思ったことは全然ない」と繰り返し語った。実際、19歳で早稲田大学入学後、1週間通っただけで、いわば“大学不登校”を選び、アルバイトをしながらフラフラとした生活を続けたという。
 時まさしく1987年のバブル経済絶頂期。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされ、世界の富が日本に一極集中するかのごとき熱狂の渦が巻き上がっていた。日本社会全体が「今日より明日の方が確実に良くなっている」「株は何を買っても必ずもうかる」と信じ切っていた時代でもある。
 そんな刺激に富んだ空気の中で、前途有望な青年が「大学を卒業して会社に入って一生サラリーマン暮らしを続けて定年退職して終わる人生なんか、つまらないじゃないか」という心情に支配されたのも無理からぬものがあるが、今となっては、あの時代特有の雰囲気を抜きにしては理解できないだろう。
 「25歳まではブラブラさせてくれ」と親に断りを入れた曽根さんだが、根は真面目で、バイト先の働きようはきちんとしていたらしく、「一度もクビになったことがなく、辞める時ももっと働いてほしいと必ず言われた」と、やや自慢げに語る。
 ただ、一方で自身の表現によると、「無気力」な青春だったという。つまり、大学に行くのをやめてでも、やりたい、実現したい自分の夢がある、という生き方ではなかった。夢や情熱を持った青春とは正反対の、ややいいかげんというか、その日その日が楽しければいい、といった気分だったのかもしれない。
 そんな自己像を「ミクロの目で見れば戦術的には“真面目”で、マクロの目で見れば戦略的には“いいかげん”な生き方」とコミカルに描く。
 19歳から25歳までのバイト生活、25歳で正社員として就職し、サウナ従業員、漫画喫茶店長という、いわば現場仕事のブルーカラー労働を10年続けた。体力消耗ゆえに退職後、無職のまま毎日図書館で読書ざんまいするうちに、「これだけたくさん読んだんだから、一度くらいは書く方に」との思いで、パソコンに向かったのが、40歳での作家デビューにつながった。
 図書館通いしていた頃、ひとり公園でパンを食べていた曽根さんに、よく会うホームレスのおじさんから「あそこで炊き出し、やってるよ」と親切に声をかけられた。その時はすでに小説を書いていたが、「もし書いていなかったら今ごろどうなっていたと思いますか」と聞くと、「ホームレスになっていたかもしれませんね」と真顔で答えたのが印象に残る。
 「夢とか情熱とか、暑苦しいよ」。今の若者の中には、大人社会からの「期待される人生モデル」の押し付けをうるさく感じ、重苦しい圧力ととる向きがある。世間標準ではなく、自分の好きなことをやれればいいじゃないか、という自分標準を模索している。だから、やたら「大志を抱け」「世界で勝て」といった励まし、督励がうざったいのだ。
 「僕の小説が売れなくなって落ちぶれたら、別の仕事をしますよ」と力みなく言う曽根さんの一連の言葉を聞きながら、若者の格差や貧困が叫ばれている現代社会が重なって見えてきた。
 そこで、聞いてみた、「今の若者を見て、どう思いますか」と。
 「それほど今の若者は特殊ではないと思いますよ。でも、僕のまねをするなと言いたい。真面目に働けと。でもまあ、これは大人の、年長者としての義務なので言いますけど、内心では“好きにしろ!”ですね」と笑った。
 最後に聞いた、「これからの日本社会、どうなっていくと感じていますか」と。
 「暗いですね」と言った後、「でも僕は昔から厭世えんせい的楽天家なんです。生きていれば何とかなりますよ」と表情を和らげた。
 今の若者の走りのようですねと言うと、「そうかもしれません」という答えが返ってきた。現代は「少子化社会」であるとともに、「小志化社会」に入っているのかもしれない。そんな気がしてきた。
 それにしても、人のいい曽根さんに、あれこれぶしつけに質問してしまい、ホント、申し訳ない。

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