エドガー賞にノミネートされたい

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 そして「QJKJQ」で見事、江戸川乱歩賞受賞。ガッツポーズが出ましたか。

 「いえ、受賞の電話をいただいたときも、あまりにも僕が淡々と応対したので、電話の女性からは正気を疑われたほどでした。それに僕はプロレスの世界でも、勝って大喜びするヤツは嫌いなんです。格闘技が始まってからでしょう、勝って大喜びするようになったのは。作家の中にもいますが、賞とってガッツポーズするヤツ、嫌いです。したければオリンピックめざせよと言いたい」

 でも、受賞の一報の後は、静かに喜びが湧いてきたのでは。

 「一人で自宅近くの新宿区百人町周辺を散歩しました。うれしいといえば、僕が上京してからの友達には結構格闘技系の人がいて、ベンチプレスのチャンピオンや総合格闘技のチャンピオンがいる。そんな中で、僕だけ単なるフリーターだったんですが、これで一つのタイトルを取ったなあとホッとしましたね。群像新人文学賞も優秀作で二番手でしたからね。プロレスのカルチャーでいえば、今回の受賞でやっとオーバー(観客の反応がある状態)できたかなと思います」

 受賞作「QJKJQ」は、まるでデスマッチで血だらけになったレスラーのように、猟奇殺人による流血場面もあるわけですが、なるほど、こういう世界に日ごろから慣れていると描写にもプロレスの影響があるのかなと思えてきますね。ただ、終盤に「人はなぜ殺人を犯すのか」「人はどう生きたらいいのか」という問いが埋め込まれていて、純文学の香りがある。今後は、どういう作品を目指していくつもりですか。純文学とエンターテインメント、この二刀流で行きますか。

 「そこが僕のセールスポイントですね。純文学すらのみ込むような勢いで、新しいミステリーのジャンルを創るぐらいでいきたいですね。そうすれば、他の作家のマーケットにもなりますから。それにもう一つ、50歳までに、どういう作家になりたいかというイメージの中で、アメリカ探偵作家クラブのエドガー賞にノミネートされたい、というのがあります。今まで、日本人では桐野夏生さん(『OUT』)と東野圭吾さん(『容疑者Xの献身』)のお二人しかいませんから」

 これからも、プロレスは見に行きますか。

 「今でも、時間があれば月に1回から3回くらい行っています。最近はフリーダムズというデスマッチ系の団体の中で、力道山の孫の百田力さん(リングネーム『力』)が出る試合に注目しているのですが、ご両親も会場に来ていて、リング上の息子にお母さんが『チカラ、かえせ〜!』と叫んだりしていました。力さんは入場する時はカッコいい。おじいさんと同じ黒タイツ姿で、すごく強そうに見えます。ブランド的には力道山3世ですから、究極の七光りです。ところが、ゴングが鳴って試合がはじまると、技も少ないし、ロープワークも最近のレスラーのように機敏ではありません。それなのに、会場が沸くんですよ。力さんの試合は第二試合で、普通のプロレスルールなのですが、メインのデスマッチにも負けないくらい、声援が飛び交います。そんな会場の風景を目にしていると、日本人が街頭テレビでプロレスに熱狂した時代に、タイムスリップしたような気になるんです」

〈次回は2017年1月9日(月) 阿刀田高氏掲載予定〉
*来年1月掲載分より内容をリニューアル予定です。

 

佐藤究(さとう きわむ)
1977年福岡県福岡市生まれ。福岡大学附属大濠高等学校卒業。2004年「サージウスの死神」が第47回群像新人文学賞の優秀作に選ばれる。16年に犬胤究(けんいんきわむ)の筆名で応募した「QJKJQ」で第62回江戸川乱歩賞を受賞、佐藤究(さとうきわむ)と改名。

取材を終えて  ジャーナリスト 網谷隆司郎

 「この欄をいつも愛読しています。深夜のバイトの休み時間に、ネット版を印刷して読んでいます。いつかこれに出たいなと思っていました」
 インタビューのはじめ、名刺交換をするや否や、こう切り出されては、気分の悪いはずがない。私も今回で「嗜好と文化」シリーズの推理作家インタビューは54人目となるが、ここまで熱い支持を表明した作家には、初めてお会いした。
 その後すぐに、佐藤究さん得意のプロレス談議に移っていった。まず、持参してきたトランクから取り出したのが、力道山3代のサイン入りTシャツ。最近見に行った試合会場で孫の百田力さんからじかに買ったものだという。
 力道山と聞いて、わが深層メモリー装置から、子どものころの記憶が瞬時によみがえった。日本のテレビ放送が始まったのは昭和28(1953)年。私が小学校に上がった昭和31年でも、ご近所にテレビ受像機がある家庭はたった一軒しかなかった。年上の遊び友達の家だった。毎週金曜日夜になると、私は兄と2人でそのお宅に「こんばんは」とあいさつして、まだ家族が夕食のだんらん中にもかかわらず、14インチ白黒テレビの前にちょこんと座った。プロレス中継を見せてもらうためだ。
 ほぼ毎週、その時間に行っていたが、その家のオヤジさんもお母さんも迷惑顔は一回も見せなかった。1年後にはお隣の友達の家にテレビが入り、今度もプロレス観戦のため、当たり前のように、毎週お隣に出かけた。やはり、家族で晩ご飯を食べている最中にお邪魔するわけだが、ここでも招かざる客ではなかった。
 当時住んでいたのは東京都心でもあった新宿区で、歌舞伎町まで歩いても10分ほどのところ。けっして下町ではなかったが、戦後日本社会はまだ、お互い助け合いながら生きていたんだなと今改めて気づいて、感慨深いものが湧いてくる。今のマンション暮らしが一般的になった都会では、想像しにくい人間関係だろう。
 別の見方をすれば、戦後復興途上の日本社会を明るくしたものの一つがプロレスで、特にテレビ中継は子どもから大人、老人までをも夢中にするキラーコンテンツだった。よその子どもがネズミのように我が家に侵入するのも大目に見てくれるほど、当時のテレビのプロレス中継は大衆娯楽、みんなで楽しむものとの認識が共有されていたのだろう。
 その主役が力道山であり、脇役の豊登や吉村を従えて、ルー・テーズ、シャープ兄弟、ボボ・ブラジルら外国勢をやっつける。プロレス人気の深層心理を、敗戦国の鬱憤を力道山の空手チョップ一発で一気に晴らすから、と解説する人もいたが、外れてはいないだろう。
 やがて、吸血鬼ブラッシーが登場、力道山の額にかみついて流血騒ぎがお約束となり、テレビを見ていた田舎のおばあさんがショック死した事件が起きた頃から、私のプロレス熱も次第に冷めていった。
 佐藤さんの江戸川乱歩賞受賞作「QJKJQ」と関係があるかどうか、ふと不安になった。インタビュー中、テレビ放送開始からしばらくの間、全国何カ所かに街頭テレビが設置されて、小学校に上がる前の私は近くの戸山ハイツに設置された街頭テレビで大勢の人たちにもまれながらプロレス中継を見たと話した。
 今までにも何人かにこんな昔話を語ったが、最近、本当にこの目で見たのかどうか、あやふやになってきた。記者生活でテレビ草創期の事情を記事にしたことが何度もあり、その都度、戦後社会の写真資料で、新橋や戸山ハイツでの街頭テレビに見入る大衆という写真を見ている。それを自分の記憶の中に混入させて、さも当時自分もそこで見ていたと思い込む……。
 犯罪捜査で刑事から何度も大声で言われているうちに、「白を黒」と供述を変える被疑者がいたり、ふつうの人でも思い出話を繰り返し繰り返し話すうちに、架空の物語が実際にあった物語と心に刻まれることもある。
 一人の人間の記憶を意図的に消し去り、新たなメモリーを徐々に注入する。そのために一人の人間の周囲にチームが存在して、別人格を作り上げる。これは生命を失わせる意味での殺人ではないが、人格に直結する記憶総体を抹殺するという意味では、魂の殺人ではないか。ミステリーやサスペンスは、殺人事件が起きてからストーリーが動き出す作品が大半だ。その意味では殺人は必須アイテムだが、殺人の枠を拡張する佐藤作品によって推理小説の幅がさらに広がりを見せるか。
 さて、佐藤さんの父上とほぼ同じ年ごろ、団塊の世代の私。空想と事実の境界がおぼろになりつつあると指摘されたら、そろそろ運転免許証を返上して、認知症チェックをしに出かけようか。それともVR(バーチャルリアリティ=仮想現実)やAR(オーグメンテッドリアリティ=拡張現実)を自在に楽しめるジイサンとして開き直るか。

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