「裏口に回るな、正面から入れ」

ここで安住しちゃいかんのではないか

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 早寝早起き、小説執筆も1日に原稿用紙10枚分をきっちりと書き続ける。「非常に規則正しい生活を送っています」と自らが口にする日常生活を聞いていると、毎日決まった時刻に街を散歩するので、その姿を見た町の人が自宅の時計の針を合わせたという哲学者、カントのエピソードが浮かんでくる。一語一語丁寧に相手に伝えようとする声はささやきのようで、一字一字刻み込んで小説を作り上げる“石工"のような作業を繰り返してきた作家、佐々木譲さん(67)。作家デビューして40年近くになり、ベテランという冠がつけられる立場だが、「ここで安住したくない。チャレンジしたい」と新たな世界への旅立ちを誓った。そのエネルギー源は何だろう。

 日本推理作家協会賞を「エトロフ発緊急電」で受賞されてからも、直木賞など多くの文学賞を受けていらっしゃいます。長年のミステリー小説界への貢献が評価されて、昨年は日本ミステリー文学大賞の栄冠にも輝き、おめでとうございます。

 「今年3月の授賞式でスピーチをした際、作家として、これからは違うジャンルの小説を書いてみたいと言いました。この年で、それは冒険かもしれないなとは思いましたけど、ここで安住しちゃいかんのではないか、という気持ちが少しありまして、挑戦したいという発言になったわけです」

 具体的には?

 「SF小説にチャレンジしたいですね。今まで書いた作品の中にも、読者から『歴史改変SFでしたよ』と指摘されたものがありましたが、本人はそう言われて気づいたくらいです。昔からSF小説は好きでよく読んでいましたから、SFマインドは多少あると思っています」

 SFというと、壮大な宇宙を舞台にしたものが思い浮かびますが……。

 「私は結構、ロケット少年でして、中学生の時、人類第1号の宇宙飛行士となった当時ソ連のガガーリンが来日して、札幌で講演したのを聴きに行ったんですよ。オヤジに頼んでチケットを取ってもらった。当時労働組合の総評が受け入れ団体だったせいか、『この歌でお迎えしましょう』と、まず会場で歌唱指導がありましてね。♪ハラショー ハラショー ガガーリン……という歌でした。何度か練習した後、みんなが覚えて、会場全体で歌っているところに、いよいよ本人が登場、という段取りだったんですね。出てきた瞬間、あ、意外に体が小さいな、と」

 1961年にソ連のボストーク1号に乗って人類初の有人宇宙飛行に成功して地球に帰還したガガーリンですね。講演で印象に残っていることはありますか。

 「本人の言葉で『宇宙船から北海道が見えました』といったくだりのところで、ホントかな、と。きっと東京での講演の時には『東京が見えました』と言ったに違いないと、生意気にもそんなふうに感じていました。もちろん、例の『地球は青く見えた』という言葉も聞きました」

 ロケット少年は、その後、大きく発展したんでしょうか。

 「大きくは発展しませんでしたね。でも、少し飛行機が好きになりました。アメリカのワシントンDCに行った際も、スミソニアン航空宇宙博物館に行きましたから。でも以前、宇宙もの一冊の書き下ろしを予定していて、種子島に取材に行ったり、宇宙工学をだいぶ勉強したりしましたが、これが大変難しい。その前に勉強してそれを基に小説を書いた自動車工学は何とか理解できましたけど、宇宙工学は文系の頭ではちょっと無理でした。宇宙で事故を起こしたISS(国際宇宙ステーション)を救出しに行くというストーリーを考えていたんですが、結局やめてしまいました」

 またの機会にチャレンジしていただくことに……。

 「チャレンジといえば、もう一つ。私は長年、原作を提供して、それを仲間の演出家が脚本にしてお芝居をずっとやってくれているんです。そこで、これからは私自身が直接、台本を書いてみたい、と。小説を脚本化するのではなく、はじめから戯曲として書いてみたい」

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