みんな、一回は豪速球を投げないとダメなんです

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 大学在学中に執筆した小説「怪物が街にやってくる」が、1978年に徳間書店主催の第4回問題小説新人賞を受賞。大学卒業後に東芝EMIに就職して2年ほど勤務した後、作家活動に専念して、次々と本を出していきましたね。

 「当時は書けば本にしてくれました。ちょうど1980年代の後半から1990年代はじめにかけて、まあバブル経済の頃ですね。ほぼ同時期に作家デビューした大沢(在昌)も俺も、当時の新書版ノベルスをどんどん書いて食っていました。今でいえば、文庫の書き下ろしのような感覚ですね」

 20代前半での作家デビューから、がんがん書きまくる。さぞや自信満々の日々だったんでしょうね。

 「いや、受賞したときに賞金30万円をもらったので、こりゃ小説家になるしかないなと決めていましたが、自信はなかったですねえ。でも、ものすごく不思議なんですが、不安もなかった。いつか売れるだろうと思っていた」

 で、実際、売れたんですか。

 「売れませんでしたねえ。1作目、2作目……長編やノベルスを出しても売れなかった。それに新人作家の作品なんか、誰もほめてくれない。ただ、ミステリー評論家の関口苑生さんが妙にほめてくれた。今もそれは忘れられないです」

 失礼ながら、デビュー作品が受賞した後、文学賞とは無縁な作家生活が長らく続いたようですが、売れない日々が続くと、ええい、もう作家はやめだ!と思ったことはないですか。

 「それは全くないです。一度もありませんでした。まあ、開き直りというか、実際、目の前の仕事が結構忙しかったんですよ。今と同じくらいのペースで書いていましたから」

 以前インタビューしたミステリー評論家の西上心太さんが、大ブレークするまでにたくさんの本を出し続けた今野さんを、今の若い作家は見習うべきだという趣旨の話をしていたのを思い出しました。ブレークしたらそれ以前の作品が一挙に日の目を見るという……。

 「27年かかりましたねえ。2006年に吉川英治文学新人賞を取るまで。本はたくさん出していましたけど、やっぱりつらかった。とくに、同じ時期にデビューした大沢が先に受賞して売れていましたからねえ」

 その大沢さんも20歳すぎでの早い作家デビューで、次々と本は出すものの売れずに、28冊ですか、一度も重版がかからない年月が続いて、「永久初版本作家」という称号を冠された、と今では自虐ネタにしているくらいです。それが1990年の「新宿鮫」で大ブレーク。「隠蔽捜査」で2006年にブレークした今野さんと軌跡が似ていますね。

 「実は、『隠蔽捜査』を書く前に、これがヒットしなかったら、もう作家はいいか、というくらい全精力を傾けて書いた作品があった。そんな開き直りの心境で書いたのが『ビート』という作品で、『隠蔽捜査』はやっつけ仕事のようなもので……」

 ええ、そうなんですか。それも大沢さんの「新宿鮫」大ヒットの事情と似ていますね。

 「そうそう、大沢も全身全霊を傾けて書いた『氷の森』の後に、さっと書いたのが『新宿鮫』だった。全く同じことが起きるんですね。つまり、みんな、一回は豪速球を投げないとダメなんです。その次に肩の力が抜けて、ちょうどいいペースになるんですよ」

  • JT
  • 日本推理作家協会