思い切りのめり込んだ方がいいんじゃないか

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 その後、増田さんは地元の新聞社、北海タイムス社に入社していますね。

「大学を中退した後しばらくは土方仕事をしていましたが、向こうが入社試験は終わっているというのに、粘りに粘って無理やり1人で追加試験を受けさせてもらい、11月から働きだしました」

 その頃のご自分の青春記録を基にした小説「北海タイムス物語」(新潮社、2017年)は、新聞社が舞台ということもあり、私も新人記者のときを思い出して身につまされ、共感した内容でした。今は4月。新社会人が新たな人生をスタートさせる時期ですが、ぜひこの本を読んでもらいたいと思いました。一人の若者が学生という小さな枠から抜け出て徐々に成長して独立心を持った大人になっていく過程がドラマチックに描かれています。仕事とどう向き合うか、先輩たち大人とどう関わるか、何がきっかけで成長の一歩を踏み出すか、など多くのヒントが詰まっている本だと感じました。

「僕自身は、2年でタイムスを辞めたんですが、当時は先輩たちが次々と退社していく時でした」

 北海道の地元紙として伝統のある新聞でしたし、社員も誇りを持って働いていたけど、増田さんが入社した1990年ごろは社運が傾いていたというか、記者・社員の数が他紙より少なく給料もだいぶ安く休みも少ない、それではまともな生活ができないからと他紙に移る記者や他の仕事に転職する社員が後を絶たない。そんな社内事情が赤裸々に描かれていますね。

「退社する先輩記者たちは皆、例えば親が倒れたからとか、実家に戻らないといけなくなったからとか、うその理由を口にして辞めていくわけです。他の新聞社に転職するなんて、当時の仲間を裏切るような形で出ていくものだから、言いにくいんですよ。だから社内ではごたごたが続き、みんな怨恨(えんこん)を残して去っていく人ばかり。結局、僕も2年で辞めるわけですが、うそついて辞めるのはイヤだから『中日新聞の試験に受かりましたので移ります』と正直に言うのが筋だと思ってそうしました。うそを言って辞めると後々、タイムスの人たちと付き合えないと思った。だから本当のことを言いますと、そこまで言った」

 それが当時の増田青年なりの筋の通し方だと思っていたんでしょうね。

「でも、つらかったです。その後もずっとつらかった。それが本当にいいことだったのかどうか、悔恨を残したままです。世話になった年輩の先輩たちを傷つけたんじゃないかと。うそをつくのも優しさなんじゃないかと。タイムスを辞めたときの自分に失望した。それはいま振り返っていろいろわかるんです。当時は向き合えないほどつらいできごとだった。中日新聞社に移ってからは年収は何倍にもなり、1日の仕事量は何分の1かだし、休日数は2倍3倍になった。でも、その生活を楽しいと思ったことは僕は一度もなかった。いつもタイムスの仲間たちのことを考えていた」

 小説ではモデルになった先輩たちが生々しく感情をぶつけ合う場面も多いですが、出版後に当時の先輩たちから何か反応はありましたか。

「お世話になった当時の上司から『今度同窓会があるから来ないか』と言われました。電話で話したんですが、当時のままのしゃべり方で、当時のままの優しさだった。すごくうれしかった。いま思うと当時の上司はいまの僕の年齢よりずっと若かったんですよ。でも、当時は見上げるような高い目標でした。僕がタイムスにいたのは24歳から26歳のとき。たった2年間ですが、人員が少なかったことや、先輩たちの教育の熱心さもあって、他社でいえば30年分くらい鍛えられた。それくらい力がついたと思います。でも、あの当時の僕は、武張っていたというんでしょうか、寡黙だったし、とがっていた。黙って行動で示せばいいんだくらいの気持ちだった。言葉も行動なのに、です。心のなかはまだ武道家であり現役のスポーツ選手だったんです。その流れそのままで生きていたんですね。柔らかさというか、まろやかさのようなものが欠けていた」

 それが自分の正義だと思い込むのが若者特有なのでしょう。

「中日新聞の入社試験の最終面接はずらりと前に20人くらいの社長や重役が並ぶんです。そのとき人事部長から『自分の長所を3分間でアピールしてください』と言われた。僕は一言『男が自分の長所を人前で言うようになったらおしまいです』と答えたんです。その時の自分としては正しいことを言ったつもりですが、しばらくその場がシーンとしてしまいました。今から思うと、『何言ってるんだ、この若造は!』というのが面接官全員の本音だったでしょう」

 う~ん、20代の青年が言っても、どうでしょうか……。

「結局、後々聞いたらその言葉が問題になって、僕は不合格になるところだったそうですが、1人だけ『面白いやつだから伸びるかもしれない』と言ってくれた重役がいて採用になりました。当時は余計なことを言わないのが男らしいと思っていた。山本五十六ではないですが『苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である……』ですね。でも、山本五十六をまねしたわけではないです。若いころ団体スポーツに打ち込むというのは、そういった精神を涵養(かんよう)するものなのでしょうね。それがいいことなのか悪いことなのか……」

 まあ、若者というものは大体そんなものでしょう。特にスポーツマンだったら硬派の信条を持つ人が多いんじゃないですか。

「若い時は誰しも、自分なりのルールを持っていて、これだけは譲れないというものがある。それで何事も決めつけてわかったような気になっちゃう。実際はわかっていないのに。学生から会社に入ったら、上司や先輩からいろいろ言われるけど、自分のルールでしか理解しようとしないから反発したりする。人の話をちゃかしたり、斜に構えて、裏を読んだり。先輩の言葉には必ず意味があるのに、それを真摯(しんし)に受け取ろうとしない……」

 「北海タイムス物語」の主人公・野々村青年がまさしくそんな感じで描かれていますね。大学を出て、新聞記者としてバリバリ記事を書こうと思っていたのに、入社後の配属先が取材部門ではない内勤職場の整理部。そこは他人が書いた記事の取捨選択をし、紙面のレイアウトを決め、見出しを付ける部署。新聞社としては中核部署ですが、取材で駆け回る新聞記者を夢見ていた新人記者からするとやる気にならない仕事でしかない。教育係の先輩の指導もことごとく受け流して、仕事もまともにやらない。ここは自分のいるべきところじゃない、と心の中で叫び声をあげている。これは今の若者に共通するところでしょうね。

「僕も新聞社でサラリーマン生活を27、28年も経験したので、この年になると、先輩や上司の話はよく聞いた方がいいよと言いたい。言い方はいろいろあっても、必ず意味のあるアドバイスがある、それを真摯に受け止めるべきですよ。こちらが素直な態度を見せれば、あちらも素直に話してくれるものです」

 「北海タイムス物語」で、ぜひ若い人たちに読んでもらいたいのは、後半部分、主人公が今まで嫌っていた整理部の仕事を必死になって先輩から学び取ろうとするくだりです。イヤだイヤだと思っていた仕事が一転魅力的な仕事に見えてくる。そこには上司や先輩や周りの人たちの力が働いている。これは新聞社が舞台の話ですが、どこの職場、どの業種でもあり得る、いや実際にある“マジック”だと思いますね。

 「経験からいうと、何事も自分が全力を出し尽くさないと、わからないものですよ。だから若い人に言いたいのは、自分が選んだ仕事や会社には思い切りのめり込んだ方がいいんじゃないか、ということです。それに本気でやる気を出してやり始めると、周りの自分を見る目がガラリと変わりますよ。入社してからもグスグスやっている若い人に、先輩は自分の持っている技術やノウハウを教えたいと思いますか? でも一生懸命に本気で頑張っている若者には自分のすべてを伝えようとしてくれるし、そこには強い絆が生まれてくる。若者の方がいいかげんだとその先輩の真意が見えてこない。数字で表示されるスポーツと違って、人の心は見えにくいから。でも、本人が全力を尽くしてやり出すと、それが見えてくる。ガラッと風景も変わって見えてくるんですよ」

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