知の架け橋

「健康・スポーツを語る」(7) メディアがつくるスポーツの〈公共性〉 武士道的野球観とオリンピック 文学部広報メディア学科 飯塚浩一 教授

2014年8月1日掲出

 「東京朝日新聞」は、1911年8月29日から22回にわたって「野球と其害毒」という連載記事を掲載した。明治末期に各都道府県に設置された中学校や私立学校で野球がブームになるとともに、第一高等学校以来の「武士道的野球観」が薄れているとして、野球の「害毒」を批判し、これを受けて都内の各有力新聞が野球のあり方を論じることで「野球害毒論争」が起きたのである。

 このことは、野球が明治末期において〈公共性〉―「する人」にとってのみならず、「見る・読む人」にとっての大きな「社会的意味」―を有しており、メディアが「社会的意味」を提示して(つくって)いたことを意味している。

 昭和になってメディアが〈公共化〉を促進したスポーツ大会の一つがオリンピックである。以前は個人間の戦いの場として報じられていたオリンピックであったが、32年のロサンゼルス大会では、最終日に「水泳日本・世界の覇王となる」「オリムピック国際大争覇戦終る」(「東京朝日新聞」8月14日号外)など、「世界と日本の戦い」という社会的意味づけがなされた。

 このとき、日本放送協会(当時)は、アナウンサーが競技場で見たままを実況さながらに語るという「実感放送」を行ったが、開会式の様子を伝える松内則三アナウンサーの放送では、「日本選手の入場は、織田幹雄選手が、秩父宮殿下御下賜の大日章旗をかゝげ…」「一段と大きいわが日章旗は、力強く風にはためいてをります。」(『週刊朝日』8月増大号)と、「日章旗」が強調された。

 36年のベルリン大会では、開会に先立って40年の開催地が東京に決定したことを報じる号外が発行された。「吾等の待望実現!〝東京〞遂に勝てり」(「朝日新聞」8月1日号外)と、オリンピック招致そのものが国家間の戦いとして示され、期間中は「燦たり待望の日章旗!最初の掲揚」(8月5日)、「ああ感激の「君が代」満場粛然!」(8月7日)のように、「日章旗」と「君が代」によって成果が表現された。

 戦後、日本は64年夏季大会の招致に成功する。開会式における日本選手団の入場を伝えるアナウンサーの高揚した声が、この大会に付与された(した)社会的意味を象徴している。「思えば1936年、オリンピック東京招致が決まりましたが、戦いの日にその夢は流され、5年前、東京大会が正式に決まり、それから5年、日本人のひとり一人の努力は、きょう、この日のために払われた感じがいたします。」

 東京オリンピックの開催は、日本が敗戦からの復興を世界に示す〈公共的使命〉だったのである。2013年9月8日、第32回オリンピックが東京で開催されることが決定した。20年までに、メディアはどのようなオリンピックの〈公共性〉をつくるのだろうか?

いいづか・こういち

1961年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学(法学修士)。専門は、英国における政治とメディア、メディア思想史。広報メディア学科の主専攻科目「スポーツ・メディア論」を担当。

(記事提供:「東海大学新聞」2013年12月1日号)

関連リンク:文学部広報メディア学科
http://www.u-tokai.ac.jp/undergraduate/letters/media_studies/

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