知の架け橋

「健康・スポーツを語る」(9)誰にとっての、誰のためのスポーツか
国、郷土、自分のため?体育学部体育学科 今村 修 教授

2014年11月4日掲出

 学問の専門を聞かれると、若干躊躇(ちゅうちょ)することが多い。「ほけんです」というと、多くの人が「エー、生命保険とか、社会保険ですか?」と聞き返してくる。そこで最近では、正確に「保健科教育学です」ということにしている。すなわち「保健という教科目において、何のために何をどのように教えればよいのかを考究する学問である」と。

 このような学問の性格上、また体育学部に所属している関係上、健康やスポーツについて考えるのはむしろ当然であって、ほとんど“飯の種”といってよい。本稿は「健康・スポーツを語る」というシリーズの第10回目にして最終回だそうであるが、そのお鉢が私に回ってきたのも、こうした事情によるところが大きいのだろう。

今村教授が編集委員を務めた大修館書店の『現代高等保健体育』は、課題学習を充実させ生徒が自らの健康やスポーツライフについて考え、判断する力が身につく構成になっている 今村教授が編集委員を務めた大修館書店の『現代高等保健体育』は、課題学習を充実させ生徒が自らの健康やスポーツライフについて考え、判断する力が身につく構成になっている

 折しも昨年来、日本はオリンピックブームに沸き返っており、ソチの冬季五輪はつい先ごろ、閉幕したばかりである。この間、マスメディアにおけるオリンピック報道は、ほとんど喧(かまびす)しいといってよいほどのものであった。多くの場合、“ニッポン”が色濃く押し出された論調であり、それが強調されすぎると、どうしても気になってくるのは、「はたしてスポーツとは、誰にとっての、誰のためのものなのか」ということである。

 ジョギングなどの日ごろのスポーツ活動において、それが国にとっての、国のためだと思っている人はまずいないだろう。しかしその活動が競技スポーツとなると、かなり怪しくなってくる。いわく、郷土のため、学校のため、国のため……。実は全く同様の疑念は健康についてもいえるのであって、「会社にとっての、会社のための健康」などと考えている経営者や上司も少なからずいるのではないだろうか。
 
 本来、健康にしてもスポーツにしても、それらは私事(わたくしごと)に属するものなのであって、あくまでも、「自分にとっての、自分のため」のものである。しかしながら、かつて第二次世界大戦中の日本においては、「国民体力法」や「国民優生法」が制定され、まさに「健康や身体は、国にとっての、国のためのものである」と明確に考えられていた時期が存在するのである。健康やスポーツについて考え語るときに、こうした過去があったという歴史的事実を、私たちは知っておいたほうがよいし、忘れてはならない。

 私の周りには今日も、自分のためにスポーツで汗を流したり、自分のための健康を保持増進しようとしている教職員や学生たちが大勢いる。健全な健康観であり健全なスポーツ観だと思う。

いまむら・おさむ

1952年東京都生まれ横浜育ち。体育学部長。東京教育大学体育学部健康教育学科卒業、同大学院健康教育学専攻修了。専門は保健科教育学。中学・高校の保健体育教科書(保健編)を執筆・編集。

(記事提供:「東海大学新聞」2014年3月1日号)

関連リンク:体育学部体育学科
http://www.u-tokai.ac.jp/undergraduate/physical_education/physical_education/index.html

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