知の架け橋

知の架け橋 「住を語る」(1)住宅の近代化が招いた退化 過去の住まい方に学ぶ 工学部建築学科 小沢 朝江 教授

2014年12月26日掲出

 住宅は多くの人にとっていちばん身近な建築である。その過去の姿を考えるには、ただ残された建築を調べるだけではなく、人がそこでどのように暮らしていたのか、「生活」「行為」とのかかわりを知る必要がある。しかし、これが意外と難物で、人の「行為」は形として残らず、住人の世代交代や生活慣習の変化の影響も受けやすい。

 そこで、古い写真や住人の日記、設計図の部屋名や家具の記載、当時の雑誌記事などから過去の生活像を推測することになる。これらに見る明治以降の住宅の変化は、洋風化と効率化に集約できる。「洋風」とはデザインだけではなく、生活も含み、床の上に座り寝る「床座」に代わって、椅子(いす)やテーブルを用いる「椅子座」が導入された。

 大正時代に始まった住宅改善運動では、この椅子座の普及と合わせ、各室のプライバシーの確保や台所など家事空間の効率化が重視され、接客用の座敷を最優先してきた平面も、家族用の居間や茶の間を中心とする形に改められた。戦後は、住宅の規格化や工業化、住宅設備の革新が加速し、台所や浴室など「裏方」の空間に対するイメージも大きく変化した。

陶芸家・濱田庄司邸(栃木県益子町)。江戸末期の民家を移築して1942年に改造された

 こうしてみると、近代から現代へ、住宅は進化し続けてきたようにみえるが、実は退化した面もある。それは住宅のリサイクルである。現在の横浜市鶴見区で江戸後期から明治まで約130年間書き継がれた『関口日記』という農民日記を見ると、建物の手入れや修繕が日常生活の一部であり、専門の職人だけではなく、家族や近隣住人の手で頻繁に行われた様子がよくわかる。不要になった古家の売買も日常的で、別の場所に移築して再利用され、取り壊した場合もその木材や建具を修理用にストックした。これは、日本の住宅が木造で、かつ主要な部材を金具を使わずに組むため、解体や再利用が容易だったからで、かつての住宅はリサイクル率がきわめて高かった。

 このシステムが崩壊したのは明治後期以降で、かつては専門職人が手仕事で製材するため高価だった木材が、機械製材の普及で劇的に安くなったこと、洋風住宅の影響で金物による接合が一般化したことによる。職人の工賃より材料のほうが安ければ木材の使い捨てが進み、金物を多用すれば材が傷むため再利用は難しい。技術の「進化」こそリサイクルの「退化」を招いた元凶なのである。さまざまな分野でリサイクルが進む現在、住宅業界は最も後れをとっている。

 これは生活も同様で、現在の住宅は建物だけではなく設備や家電も、専門の業者なしでは修理が難しい。住宅の維持が他人任せになれば、住宅に対する意識も変化する。スクラップ・アンド・ビルドの現状は、住宅への責任感の希薄さも起因している。循環型社会を目指す現代において、過去の住まい方に学ぶべき点は多いのである。

おざわ・あさえ

1963年神奈川県生まれ。東京理科大学工学部建築学科卒業、神奈川大学大学院工学研究科建築学専攻修了。博士(工学)。専門は日本建築史・日本近代建築史。著作に『明治の皇室建築』(吉川弘文館)、『日本住居史』(共著・吉川弘文館)など。

(記事提供:「東海大学新聞」2014年4月1日号)

関連リンク:工学部建築学科
http://www.u-tokai.ac.jp/undergraduate/engineering/architecture_and_building/index.html

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